シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

なぜ、天皇は開戦を止められなかったのか? 山本七平「裕仁天皇の昭和史」

目次

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

 

開戦決定に和歌を詠む天皇は呑気なのか

ずいぶん前に購入して長く積ん読になっていた山本七平の「裕仁天皇の昭和史」を読みました。

読んで感じたことは、私の天皇の捉え方はずいぶんと一方的で稚拙なものだったのだということ。それだけ私が無知であったということです。

私が中学校や高校で学び把握していた天皇のイメージは次のようなものでした。

  • 現在の日本国憲法で規定されている天皇
    日本および日本国民統合の象徴・・・具体的に政治的発言も、行動もしない。
  • 戦前の大日本帝国憲法では国家元首

    第1条「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」

    第4条「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」

この本で論じているのは戦前の大日本帝国憲法下の天皇です。天皇は日本国の統治者で元首だと明確に規定されていました。だから、私は強力な権限あったと考えていました。

ところが、昭和16年9月6日の御前会議で大東亜戦争の開戦が決定されると、天皇は懐から短冊を取り出して一首の和歌を詠みあげたと言います。

「四方の海、みな同朋(はらから)と思う世に、など波風の立ちさわぐらん」

「四方の海はみな同胞と思うこの世に、なぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのだろう」と言う意味です。天皇は明治天皇御製の和歌を読み、戦争に反対する気持ちを表現したのだそうです。

これを知ったとき、「なんて呑気な話なんだろう。 元首なのだから『戦争はするな』と指示すればよいではないか」と思いました。

御前会議では天皇に発言権がない

ところが違うのです。この本には、昭和天皇は「二度、憲法を踏み外した」と言っていっていると書かれています。それは次の二つです。

  • 226事件を鎮圧したとき
  • 御前会議で終戦の決議をしたとき

天皇は太平洋戦争の開戦を止められませんでした。それなのに、なぜ軍が本土決戦と言っているのを押し切って終戦出来たのか。この「裕仁天皇の昭和史」を読み進めると、その理由が分かってきます。

  • 御前会議では天皇に発言権がありません。内閣が開戦を決議すれば、自分の意の沿っても沿わなくても承認するしかありません。
  • 終戦のときは内閣の意見が分かれて決まりませんでした。
    侍従長をしたこともある気心の知れている鈴木貫太郎首相が、急に「天皇の聖断を仰ぐ」と発言します。これには軍も反対ができず、終戦が決議されました。

これが、「踏み外した」内容です。

「開戦の際、東条内閣の決定を私が裁可したのは、憲法に従って統治を行うという立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬことであった。もし己が好むところは裁可し、好まざるは裁可しないとすれば、専制君主と何ら変わるところがないではないか

 

私がもし、開戦の決定に対し拒否権を行使したならば、国内は必ず大混乱になり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保障されかねぬ雰囲気であった。私のことは良いとしても、いずれ再び開戦論が持ち上がり、今次の戦いに数倍する惨事が生じ、日本は確実に滅びることになったであろう」

 (日米開戦の真実…「昭和天皇独白録」より) 

天皇は美濃部達吉博士が「天皇機関説」で言う機関になろうとしました。私が考えていた国王のような支配者ではなかったのです。

本を読んで認識がガラリと変りました。そして、山本七平が書いた本をもっと読みたいと考えました。

どのようにして天皇の自己規定を知るのか

この本のテーマは「天皇の自己規定」です。つまり、昭和天皇はどのようなルールのもとに行動していたかを論考しています。

それでは、天皇の考えを知るにはどうすればよいのか。山本七平と言えども、天皇を長時間インタビューして「あのときは何を考えていたのか」と聞くことはできません。

一般的に考えられる資料は、次のようなものです。

  • 公式な記者会見で天皇が発言した記録
  • 宮内庁には皇室に従い世話をする侍従職があります。その侍従が書いた日記、回想録

ところが、山本七平はその他にも天皇を教えた教師について調べます。昭和天皇の思想がどのように築かれたのか、それを知るためです。昭和天皇のものの考え方は道徳の教師による指導の影響が大きい、と考えたからです。

では、天皇の倫理的規範は誰によって形成されたのか。山本七平は白鳥庫吉博士と杉浦重剛だと考えました。

まず、杉浦重剛の残した「倫理御進講草案」と杉浦重剛の生い立ちを調べ「後の天皇が、独伊を信頼しなかったのはなぜか」など倫理の「御進講」が、後の天皇にどのように影響を与えたのかを考察していきます。

それから、白鳥博士の「白鳥庫吉全集」により、「天皇は、神話や皇国史観をどう考えられたか」を論考します。

推理小説の探偵のようです。

天皇の受けた教育と思想は100%一致するのか

自分が中学時代や高校時代に受けた教育を考えてみると、教育よりも別の要素で人格が形成されたような気がします。それは、山奥の村で育ったという家庭の環境だったり、子供のときに見たアメリカ製のテレビドラマ、「鉄腕アトム」や「巨人の星」などのアニメ、勧善懲悪の時代劇のようなものです。

昭和天皇はどうだったのか?

私のように教育以外にも影響を受けたかもしれませんが、自分が日本を背負って立たなければならないという心理では、反面教師として「前独逸皇帝ウィルヘルム二世」や「イギリス王・ジョージ五世」の親愛感は大きな影響があったと思われます。

「昭和天皇は生まじめで頑固だ」と山本七平は言います。その昭和天皇が機関説の機関になろうとしていたこと、二二六事件の革命についてもまとめてみたいのですが、次の機会にします。