1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 (朝日文庫)
- 作者: ベアテ・シロタ・ゴードン,平岡磨紀子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2016/06/07
- メディア: 文庫
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目次
- 草案メンバーに23歳の女性がいた
- なぜ、GHQが日本の憲法草案を書いたのか
- なぜ、ベアテさんが人権条項を書くことなったのか
- 日本の女性が幸せになるために必要なことは何か
- 日本政府は女性の権利条項を削除しようとした
- 鶴瓶さん南原さんが司会する「新・平成日本のよふけ」出演していた
草案メンバーに23歳の女性がいた
学校では「日本は理想の憲法を作ったのだ」と教えられました。その後、憲法はGHQに押し付けられたものだと聞くことが多くなり、半藤一利さんの「昭和史」で日本国憲法ができたいきさつを知りました。
この本を読むと、草案を作るメンバーに23歳という若い女性がいて、その女性が人権条項を書いたというのですから、びっくりです。
どんな人なのかと知りたくなり、購入して読むことにしました。
なぜ、GHQが日本の憲法草案を書いたのか
なぜ、GHQが憲法草案を書くことになったのか。そのことが分かりやすく説明されたNHKが放送した番組を見ました。
- 「日本国憲法を生んだ密室の九日間」
簡単に説明してみます。
- マッカーサーは幣原内閣に新しい憲法を作るように命じたが、出て来たのは明治憲法とさほど変わらなかった。
- そのときには政治犯が釈放され、言論も自由になっていた。民間の憲法研究会が作った案も発表されており、その案にマッカーサーは期待していた。
- 毎日新聞が政府案をスクープ。しかし、民間案が繁栄されていないことにマッカーサーは落胆した。
- マッカーサーは天皇制を残すことに決めていた。しかし、このままでは極東委員会からもアメリカ本国からも突っ込まれ、それも出来なくなってしまう。
- そこでGHQ民政局に草案を作らせ、それを内閣に渡して日本が自分で作ったように発表させた。
草案を示したのに、逆に全く違う案を渡された日本政府はびっくりです。
日本政府はハイハイと喜んで草案を受け入れた訳ではありません。受け入れないなら、この草案と松本案のどちらが良いか国民投票にかけるとマッカーサーは言ったそうです。
国民投票をしたらどうなっていたでしょう。日本国民はGHQ案を支持しなかったのではないかと思います。多くの日本人は戦前の教育を受けた人ですから、明治憲法と変わりない政府案を支持してしまっていたかも知れません。
なぜ、ベアテさんが人権条項を書くことなったのか
ベアテさんは5歳のときから15歳まで日本に住んでいました。父は有名なレオ・シロタというピアニスト。山田耕作の招きで来日して今の芸大でピアノを教えていました。
15歳のときベアテさんはアメリカに留学すると、日米が開戦してしまいます。終戦後、両親に会いたくても民間人は来日できません。そこで、募集していたGHQのメンバーになったのです。
彼女は6か国語が話せます。「日本語の他に話せる言葉は?」と民政局の上司に質問されて、次のような返事をしています。
「両親がキエフ生まれですので、ロシア語。私はウィーン生まれですし、日本に来ても少女時代ドイツ語学校に通っていましたので、ドイツ語。フランス語は、特別に家庭教師について習いました。アメリカの大学ではスペイン語もやりました」
(「1945年のクリスマス」P30より)
それで、こりゃスゴイ!と上司も喜びます。その他にも 6ヶ国語を話せるのは大きな威力を発揮します。
彼女が憲法の人権に関することを書くことになると、図書館へ行って世界中の憲法の本を借りてきます。そして、世界中の憲法、人権宣言のいいとこどりをしたのです。
日本の女性が幸せになるために必要なことは何か
ベアテさんは、5歳のときから15歳までの多感な時期を日本で暮らしました。そこで見た日本の女性の地位が低さが気になっていたのです。
- 結婚は家長の同意ないとだめ。
- 姦通は女性だけが罰せられ、男はお妾さんがいてもよかった。
- 女性は選挙権も、被選挙権もない。
- 女性は結婚すると夫の許可がないと重要な法律行為が出来ないようになる。
- 相続は長男だけに。
この中でも、ベアテさんが気になっていたのは日本の結婚の問題でした。だから、婚姻を一番最初に書いたのだそうです。
条文の案を書いたけれども、GHQ案として提出するまでには何度も修正され、削除されました。その辛さに彼女は泣き出してしまいます。
日本政府は女性の権利条項を削除しようとした
GHQが作成した案をマッカ-サーがチェック。そのときに1ヶ所だけ修正されます。それは「人権条項は永久に修正してはならない」という部分です。後世の歴史まで束縛するのは良くないという理由からです。
英文の憲法草案が出来て政府に渡します。さらに、政府が発表する日本語の草案をGHQでチェックしますが、そのとき、ベアテさんは通訳として参加しています。
政府が翻訳して政府案として公表するものには、女性の権利が削られたり、修正されたものがありました。
政府の言い分は、日本に合わない、そういう文化がない、ということです。
ベアテさんの上司は「このベアテさんも望んでいることだ」というと、日本の事務代表はびっくりして女性の権利が残ったそうです。
私たちは、簡単に「イスラムには女性の権利がないからダメだ」などと簡単に批判しますが、同じ状況に生まれ育てば私も「日本の文化に会わない」と言っているかも知れません。戦後に生まれてよかった。
鶴瓶さん南原さんが司会する「新・平成日本のよふけ」出演していた
本が届いたまま何日か読まないでいるうちに、放送大学図書館AV ブースで「私は男女平等を憲法に書いた」というVHSビデオを見つけました。前からあったのでしょうが、「1945年のクリスマス」を購入したことから、GHQの憲法草案にアンテナが張り巡らされて敏感になったようです。
それから、鶴瓶さんと南原さんが司会する「新・平成日本のよふけ」出演していた動画がありました。
「日本国憲法誕生 全編」には憲法9条が変更されていく様子があり、興味深いものでした。
マッカーサーノート(対訳 マッカーサー・ノート)には「日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。」と書いてあったのですが、民政局で修正されます。さらに、日本の国会で変更されます。
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日本国憲法第9条
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」。これが追加されます。私たちが平和を望んでいるんだという主体性をだしたいというのです。これはいいアイディアです。
それと2項の「前項の目的を達するため」が「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」にかかると、それ以外の目的なら戦力を保持してもよいことになる可能性があるとの極東委員会のコメントも紹介されていました。
最後に
GHQ憲法草案の人権条項を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんの自伝を読みました。
ベアテさんがテープに吹き込んだものをドキュメンタリー工房の平岡さんが文章に整理したものです。タイトルの「1945年のクリスマス」はベアテさんが民間人要員としてGHQに赴任した日にちからです。
押し付け憲法だからダメだという人もいますが、日本人だけではこんな見事な憲法は作れなかったと思います。
それと、テレビで日本国憲法が作られるいきさつがこれほど放送されていたのはショックでした。私は1995年ころからテレビ、新聞をほとんどみていません。こんなことも知らなかったのかと、悔しくも感じました。
来学年は「事例から学ぶ日本国憲法('13)」を履修する予定です。
その他のおまけ
GHQのあった第一生命ビル
- 日本国憲法の誕生 国会図書館