シロッコ手習鑑

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シロッコ手習鑑

高卒シニアなのに臨床心理士になりたいと思い立って放送大学生になりました。

井上ひさしさんが毎日夜どおし電話して娘に伝えたかったこと・井上麻矢「夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉」

夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉

夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉

 

目次

著者の井上麻矢さんがこの本を手に取って見たかも

JR市川駅には直結のショッピングセンター・シャポー市川 があります。

7月4日、そこの本屋さん「住吉書房」の入ると、すぐの目立つ場所に井上ひさしさんの三女・井上麻矢さんが書いた「夜中の電話 父・井上ひさし 最後の言葉」がありました。

著者の井上麻矢さんは市川に住んでいます。市川市文学プラザが作った「井上ひさし~東北への眼差し~」という冊子に麻矢さんが書いたページがあって、井上ひさしさんと出かけたシャポー市川にあったレコード屋、本八幡の蕎麦屋の話。そして井上麻矢さんのお宅が市川駅南口から近いということが書いてあります。

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 それから、作家・小林多喜二を描いた最期の戯曲「組曲虐殺」が2013/1/26に市川市文化会館で上演されたことがありました。その事前トークのときも「シャポーなんかに良く行きますよ」と話していました。

井上麻矢さんもこの本屋さんに来て、この本を手に取って眺めたかも知れない。そんな妄想も湧いてきました。そんな親しみから購入して読みました。

毎晩かけた電話の目的

2009年、井上ひさしさんが肺ガンを宣告されると、経理をしていた麻矢さんは「こまつ座」の社長になるように頼まれます。自分の命が残り少ないと知ったからでしょうか、井上ひさしさんから毎夜、電話がかかってくるようになります。

父から「マー君ちょっといいかな。三十分だけ。今日はどうでしたか? 疲れていないですか?」と夜中に毎晩、電話がかかるようになったのは、二〇〇九年の九月ここと。父はがんを患い、療養中だった。抗がん剤治療をしていない日の夜十一時過ぎ、スポーツニュースが終ってからかかってくる。

電話は明け方に終わることもあれば、朝の八時、九時まで続くこともあった。三十分だけ仮眠して、出勤する日も多かった。

夜中の電話は日課になった。

こまつ座の現状、稽古場の様子、旅公演の様子、演劇論、人生論などを話し始めると、時間は見る見る過ぎて四時間、五時間以上にもなったそうです。

とにかく父は私に早く教え込まなければならない。時間がない。そこに甘えなど一切入り込む余地はなく、電話が終ると私の手には血豆ができていた。一言一言、父の言葉をノートに書きながら話を聞いていたので、その指に血豆が出来てしまっていたのだ。受話器を当てている左耳は真っ赤になって痛かった。毎日、緊張感の中で会話は行われた。 

井上ひさしさんは生涯をかけて集めた蔵書があり、それは生まれ故郷の山形県川西町に寄贈しました。その数は数万冊、「図書館・遅筆堂文庫」になるほどの読書家でした。井上ひさしさんの頭には役に立ちそうな話がいっぱい入っていたに違いありません。いくらでも伝えたいことが浮かんで話が尽きなかったのだと思います。

自分がこの世を去っても作品は残る。自分の書いた戯曲を上演し続ける「こまつ座」の運営が旨くいけば戯曲の上演も続き、麻矢さんも幸福な人生を送って欲しい。そんな願いから願いから井上ひさしさん夜どおし電話をしたのでしょう。いくらでも聞いてくれる娘がいた井上ひさしさんは幸せだったに違いありません。

井上ひさしさんが遺した人生指南の言葉77

井上ひさしさんは小説、戯曲でした。エッセイを書くことはあっても、人生指南のようなことをストレートに伝えることありませんでした。

当初このお話を頂いた時、父が私だけに遺してくれた言葉を、人生を生きるためのバイブルを、誰にも知られたくない気持ちの方が強かった。私だけの宝物としてとっておきたいと思っていたのだ。しかし一方で、父の言葉をメモして残してある膨大な紙は、当然劣化してしまう運命にある、それならばキレイな形で残しておきたいとも痛切に感じた。

井上ひさしさんが娘に語った人生指南。この本はそれを井上麻矢さんが整理して自分の体験を重ね合わせて解説したものです。師匠が語った人生指南を弟子が書き残す。聖書の福音書みたいなものでしょうか。聖書のことはよく知らないのでいい加減な話です。すみません。

  • 自分という作品を作っているつもりで生きなさい。 
  • 問題を悩みにすり替えない。問題は問題として解決する。
  • 交渉事はまず先に、相手にとことんしゃべらせること。
  • ・・・

書斎に貼ってあったという有名な言葉も紹介されています。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。 

人間生きて行けば誰しもいろんな問題が立ちはだかります。77の言葉はそれを乗り越えるためのツールとして使えそうです。でも、そのためにはことばを自分のものにする。ツールとして鍛えて研ぎ澄ます力も必要になりそうです。

積ん読になっていた「ボローニャ紀行」

最後に麻矢さんがボローニャを訪ねる話があります。

「ボローニャ紀行」 を購入したものの、積ん読になっていた私には気になるところです。井上ひさしさんはなぜボローニャに憧れ続けたのか。そのことも書いてありました。

なぜ父がボローニャを愛していたのか。主な理由は次の三つだと思う。

一つ目は、演劇の力で街を活性化したモデルの街であること。

二つ目は、ナチ侵攻の際、市民が力を合わせて阻止したこと。

三つ目は、志を持った人たちで社会的共同組合を作ったこと。

ボローニャ紀行 (文春文庫)

ボローニャ紀行 (文春文庫)

 

井上ひさしさんは「ツンドクにも効用がある」と言っていますが、「ボローニャ紀行」も読まなくては・・・そう思ったのでした。

 

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