目次
- 都道府県の中でも特別な「沖縄県」
- 1872年(明治5)、「琉球処分」により「琉球王国」は日本になった
- 著者の高良倉吉さんは琉球史のスペシャリスト
- 映画「ハクソー・リッジ」とのつながり
- 辞令書により「琉球王国」の構成を探る
都道府県の中でも特別な「沖縄県」
沖縄について知りたいと思っていました。日本には47の都道府県がありますが、その中でも、沖縄はかなり特別な存在だと認識していたからです。
そんな思いの中、佐藤優さんの「功利主義者の読書術」を読んでいるときに「琉球王国」を知りました。
- from:sirocco_jp 功利主義者の読書術 - Twitter Search
(略)
sirocco @sirocco_jp 2013年7月4日
「功利主義者の読書術」読了。30冊くらいの本についての書評のようなも。作者のお母さんの出身地が沖縄なこともあって「琉球王国」は知らないことも多く面白かった。それから、佐藤さんは拘置所に入っていた経験があることから、死刑囚、連合赤軍。外交官に関する話。「山椒魚戦争」も凄い本だ。
このときに「琉球王国」を購入したものの読み始める訳でもなく、積ん読の状態になったままでした。
それが、映画「ハクソー・リッジ」映画を見たことから、沖縄をもっと知りたくなり、「琉球王国」を読みました。
この本を読んで一番の収穫は琉球王国(沖縄)の歴史を知ることが出来たことです。琉球王国が元々は独立国で日本に併合されたことは知りませんでした。
他に、どんなところが興味深かったのか紹介を書いてみます。
1872年(明治5)、「琉球処分」により「琉球王国」は日本になった
この本を読んで感じたのは、「沖縄は、まだ完全には日本に溶け込んでいない」ということです。
飛鳥時代に大和朝廷が統治したとき、東北や北海道は「蝦夷地」と呼ばれ、日本に含まれませんでした。しかし、それが徐々に日本に含まれ溶け込んでいきました。私の故郷である福島は昔で言えば「蝦夷地」ですが、そのことを別に気にもとめたことがありません。
韓国は、1910年(明治43年)に日本に併合され、太平洋戦争後に独立して別の国になりました。今でも、併合の屈辱が問題にされます。
それでは沖縄はどうだったのか、それががこの本を読むと分かります。
「琉球王国」は日本と対等の独立国だった
石器時代、貝塚時代を経て、「琉球王国」が形成されました。「琉球語」は日本語の一部なのか、別の言語なのかと言う議論もあります。それでも、ひらがな、漢字を使っていて、文化としては日本に近いものがあるようです。
中国はアジアの国との秩序を維持するために冊封体制をとりました。
中国の皇帝が朝貢をしてきた周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて君臣関係を結んで彼らにその統治を認める(冊封)一方,宗主国対藩属国という従属的関係におくことをさす。
( 「冊封体制(さくほうたいせい)とは - コトバンク」より)
そのときは、日本も琉球も冊封国になっていますから、日本とははっきりと分かれた別の国だった訳です。
1609年、江戸幕府の支配下となったが、琉球王国は存続を認められた。
17世紀の初め,日本で天下統一を果たして江戸幕府を開いた徳川家康は,琉球との国交をめぐる対立を背景に,薩摩藩の島津氏に対して琉球の征服を命じた。
1609年,島津氏は琉球に攻め込み,圧倒的な軍事力によって沖縄の島々を制圧していき,琉球王・尚寧は首里城を明け渡して降伏した。
この「琉球征服」によって,沖縄の地は島津氏を通じて江戸幕府の支配下に組み込まれたが,琉球王国は存続を認められ,中国の明および清に対する朝貢の形式も継続された。こうして,近世の琉球は,日本の統治下に入りながら,中国との冊封関係ももつという「日中両属」の形式をとることになった。(「大学受験の世界史のフォーラム 」より)
このとき、島津は奄美群島を割譲させ、奄美は薩摩藩になりました。
「琉球王国」は日中両属ですが、国王がいますから「王国」が維持されています。
1872年(明治5)、「琉球王国」は完全に日本になった
完全に日本になったのはここからです。
りゅうきゅうしょぶん【琉球処分】
沖縄の廃藩置県のこと。明治政府は王国体制のまま存続しつづける琉球の処遇について画策し,1872年(明治5)9月,琉球王国をひとまず〈琉球藩〉とし外務省の管轄とした。つづいて〈琉球藩〉を廃して〈沖縄県〉を設置しようとしたが,琉球側の執拗な抵抗と琉球に対して宗主権を主張する中国(清朝)の強い抗議にあい,容易に意図を実現することができなかった。74年,明治政府は先に台湾に漂着して殺害された琉球人に対する報復措置を名目に台湾出兵を行い,琉球が自国の版図であることを中国側に示した。(「コトバンク・ 世界大百科事典 第2版の解説」より)
沖縄は日本になって、まだ150年も経っていないんですね。それも、かなり強引に日本に組み込んだようです。
激しい戦闘で県民の1/4が亡くなったという沖縄戦があり、戦後は1972年までアメリカに占領され、本土に復帰しても在日米軍基地の75%は沖縄に集中しているといわれています。
こんな状態ですから、沖縄はまだ完全には日本に溶け込むには無理があるんだと思います。だからと言って、他にどんな道があるんだ、と言われても困ってしまうのですが、とりあえずは、私にできるのは沖縄もっと理解することしかありません。
みなさんにも知って欲しい。そう思いました。
著者の高良倉吉さんは琉球史のスペシャリスト
著者の高良倉吉さんがどんな人なのか調べて見ました。
高良 倉吉(たから くらよし、1947年10月1日- )は、沖縄県の歴史学者。琉球大学名誉教授。専門は琉球史。特に琉球王国の内部構造、アジアとの交流史を研究する。
(Wikipedia「高良倉吉」より)
高良さんは100本以上の沖縄に関する歴史の論文を書いています。
琉球大学の教授をされて、沖縄県の副知事。「エフエム沖縄」では「高良倉吉の沖縄歴史散歩」というコーナーのMCをしていたというのですから、琉球史を教えて貰うのに最適というのが分かります。
映画「ハクソー・リッジ」とのつながり
積ん読になっていてこの本を読み始めたのは、「ハクソー・リッジ」を見たからですが、本の中にも関連することが出てきます。
この本は高良倉吉さんが浦添市の図書館長をしているとき書かれました。浦添市と言えばこの本を読むきっかけとなった映画「ハクソー・リッジ」の舞台です。
話はそれますが、この記事の解説が素晴らしいですね。浦添市にこれだけの記事を書く人がいるんでしょうか。高良倉吉さんの後継者のような人がいるのかと思ってしまいました。
話は戻って、第1章は琉球史研究の先人、伊波普猷(いはふゆう)のお墓の紹介から始まります。そのお墓があるのが浦添城跡の一角、「ハクソー・リッジ」と呼ばれた断崖は浦添城を守る自然の城壁の役目をしている場所だったのです。
映画で知ったばかりのことなのですが、そのことが本に書かれていると興味が湧いて来ます。そんなこともあって、興味深く読み進めることが出来ました。
辞令書により「琉球王国」の構成を探る
第四章、第五章では「琉球王国」がどんな構成だったのか辞令書により探っていきます。会社や役所では、新入社員の採用、昇格、人事異動などのとき、辞令書を交付します。「琉球王国」でも辞令書を交付していました。
それを収集して琉球王国の組織がどんなものだったのかを探るのです。時代によって辞令書のフォーマットに変化があります。使用される文字がひらがな中心のものから、ほとんど漢字のもの。それを分類、分析して推理していきます。
これ以前の章は参考文献を基に沖縄の歴史を語りますが、第四章、第五章は自身が沖縄の歴史を解明していくのです。
この洞察力の高さは見事で、まるで探偵小説を読んでいるような雰囲気。興味深く読みました。