( 「GATAG|フリー素材集 壱」さんより)
文体が馴染めなかった大江さんの作品
前回のブログで、大江健三郎さんの本を読んだことがないと書きました。
しかし、「文学再入門」のビデオを見終えて、大江さんの本を読んでみたくなりました。それは、文体から大江健三郎さんの本は難しい話なんじゃないかと勝手に思い込んだだけで、本当は違うんじゃないかという気がしたからです。
例えば「万延元年のフットボール」。現在読んでいる又吉直樹さんの「第2図書係補佐」では自分の祖父についてのエッセイの後に、こんなあらすじの紹介があります。
【あらすじ】生涯を持つ子供を抱える兄とアメリカ帰りの弟が高知県の村へ移り住み、曽祖父が起こしたという万延元年の一揆を現代に起こそうとする。ノーベル文学賞作家・大江健三郎の代表作
ビデオを見て大江さんの本の印象が変わりました。作品には自分の故郷である四国の村を舞台にした話が多いこと、よく大江さんのような障害を持った子どものいる人物が登場するのが分かり、大江さんに親しみを持つようになったからです。
障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作
(アマゾン「新しい人よ眼ざめよ」 内容紹介より)
文体に馴染めないのも、今では読み切る自信があります。それは線を引いて書き込みをするようになったからです。
例えば、プログラムの本は最後まで読み切ることはありませんでした。困ったときにそこだけ読めばよくて、ネットで検索しながら作業をしているうちに、読まないまま内容を理解してしまうことが多かったのです。
赤線パワーは協力です。赤線を引いて書き込みをしながら読めば少しくらい難しくても読めるんじゃないかと思うようになりました。
だから、大江さんの本も大丈夫。きっと読めます。
さて、ビデオを紹介する前回の続きです。
5漱石の女性像
ビデオは 、大江さんが野上弥生子さん、大岡昌平さんから女性を描けていないと言われたという話から始まります。
それで、大江さんは夏目漱石が女性を描くことを意図した作品ではなかったけれども、「行人」に登場する女性の描き方が優れていると言います。
どんな作品かアマゾンの「内容紹介」をはりつけます。
内容紹介
学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。
弟と一郎の妻が一緒に泊まるんですけれども、そのとき停電になってしまうんですね。二人は暗い中、向かい合って座っている。
女性には情熱があって、年下の男性を誘うような言葉が話されます。その様子をNHKのアナウンサーが朗読します。
そして、大江さんは女性の情熱は描けていたが、時代背景の条件からそれを受け入れる男性を登場させることが出来なかったと言います。朝日新聞に連載されていた小説ですから、読者に支持される登場人物である必要があったのです。
弟は自分の義理やモラルを打ち壊す覚悟が必要で、現在の時代でも同じ結果になるかもしれません。夏目漱石は女性の情熱を受け止める男性の枠組みを用意していなかったのです。
6バルザックと情熱
「明暗」では夏目漱石は近代的な女性像を作っているのだけれど、それを解放するのに力を貸す男性がいないと大江さんは言います。
主人公の妻・お延は年下の親戚の子に言い寄ったりするのですが、社会が閉じられていて、近代を乗り越えられない。
その点、バルザックの「村の司祭」は女性が解放される仕組みが作りこまれているといいます。男たちの協力を得て情熱を実現していくのです。
ベロニックは11歳のとき天然痘になったことから顔がみにくくなったんですけれども、情熱を持つと目が美しくなる。ベロニックは郊外で実際には実現不可能と思われる灌漑の事業を始め、回りの男性たちが協力します。
神話的世界の女性像だと大江さんは言います。
「神話的女性像」ってどんな女性なのか。
神話→古代から自然界の現象を超自然的な力を 持つ人格的存在に託して説き伝えられてきた民族的、宗教的な 説話。
よって、普通の人間には出来ないだろうという行動、物事をおこなう事。
簡単に表現すると スゴイ私には真似できないわ!!末代まで伝えなければ!
これで思い出したのがNHKの朝ドラ。近代を超える情熱を持った女性が実現不可能と思われることを周りの男性の協力で実現していきます。
まさに、神話的な女性像です。
7無邪気なフォークナー
大江さんはフォークナーの「野生の棕櫚(しゅろ)」を何度も読み返したそうです。
なぜ、何度も読み返したのか、まず、「野生の棕櫚」にはこんな人物が登場します。
- ヘンリー・ウィルボーン(ハリー) - 本作の主人公。27歳。苦学して医大を卒業し、インターン修行を務めていたが、それがもう少しで終わるという時にヒロインの人妻シャーロットに出遭い、逃避行を敢行する。シャーロットが妊娠し、堕胎を求められて初めは拒否するが、自分の手で手術を行い、シャーロットを死なせてしまう。
- シャーロット・リトンメイヤー - 本作のヒロイン。25歳くらい。結婚し、2人の娘も生れていたが、ハリーと駆け落ちする。常に愛の理想に向かって盲進する。堕胎手術の失敗で死ぬ。
(Wikipedia「野生の棕櫚」より)
ウィルボーンは堕胎手術に失敗し、シャーロットは死が迫っています。シャーロットが「逃げて」と訴えるシーンがNHKの女性アナウンサーによって朗読されます。
ウィルボーンは長期間の重労働が科せられます。青酸カリを渡されますが受け付けず、「無よりも悲しみを選ぼう」と言って小説は終わります。大江さんは、ウィルボーンが最後に「無よりも悲しみを選ぼう」というのが気になって何度も読み返したそうです。
フォークナーが日本にきたとき、「日本は過程を重要に考えているが、アメリカは結論を大事にする」というようなことを言ったそうで、そのことが気になりました。
熱があるので
風邪をひいたのが熱っぽくてだるいです。今回で終りにしようと思ったのですが、書いた分だけあっぷします。
ビデオを見てそのままを書いてしまって、自分なりの理解や考えが示されていないのが情けないです。思いついたら書き加えたいものです。
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