シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

農村青年を応援したくなる映画・山田洋次監督の「同胞(はらから)」(1)

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「男はつらいよ」の合間にシリアス映画

「山田洋次監督と言えば、寅さんだよね」 そう言う人が多いかも知れません。

渥美清さん演ずるテキ屋のフーテンの寅がマドンナに惚れて失恋する人情喜劇「男はつらいよ」シリーズは日本国民の映画と言って良いでしょう。

けれども、それだけではありません。山田洋次監督はハナ肇さんから始まる喜劇から渥美さんの「男はつらいよ」シリーズを作るようになりましたが、その間ところどころにシリアスな映画を作っているのです。

  • 家族(1970年)・・・長崎の炭鉱で働く家族が北海道の根釧原野を開拓して酪農をするために日本列島を旅する話。大阪万博が出てきます。
  • 男はつらいよ・・・5本
  • 故郷(1972年)・・・瀬戸内海で船を使って石の運搬をしている家族の話です。汗を流しながら淡々と働く家族の姿が印象的です。
  • 男はつらいよ・・・6本
  • 同胞(1975年)・・・今回取り上げる農村青年の話です。
  • 男はつらいよ・・・4本
  • その後も、男はつらいよの合間に、「幸福の黄色いハンカチ」、「遙かなる山の呼び声」とシリアスな映画を作っていきます。

なぜ、こういう順序で映画を作ったのか。本当のところは分かりませんが、私が単純に推理するに、「男はつらいよ」で会社のために利益を上げて、シリアスなシリーズで山田監督の作りたい映画を作っていたのかも知れません。いや、やっぱり、山田監督は人情喜劇とシリアスな映画、両方を作りたかったんでしょう。

私はシリアスなシリーズの方が好きでした。(テレビドラマでは「泣いてたまるか」も見た記憶があります。東芝日曜劇場の「放蕩一代息子」もみました。平田満さん演ずるタクシー運転手と芸者さんがオペラを通じて知り合うラブストーリー・「 ぼくの椿姫」は録画して何度も見ました)

映画「同胞(はらから)」を知っていますか?

「同胞(はらから)」は農村の青年が統一劇場という劇団の公演をする話です。公演というのは興行、つまり公演をお金を出して買い取り、切符を売りさばき、公演を成功させる話です。簡単にあらすじを紹介しましょう。

舞台は岩手県の松尾村。賠償千恵子さん演ずる統一劇場のマネージャーが寺尾聰さんえんずる青年団長を訪ねてきます。青年団長はボーッとしたような雰囲気のある、「雨あがる」を演じた寺尾聰さんはのほほんとしていますが、剣の達人という設定ですが、そのれから剣の達人をとってしまったような平凡な農村青年です。

劇団の公演をするには65万円かかります。この当時の65万円だと新車を買うにはお金が足りない、かなり程度の良い中古車を買える金額、今なら130万円程度でしょうか。その公演をするかどうか、青年団が毎晩集まって討論するんです。お金はどうするのか、忙しい農繁期に芝居を観にくるのか、民主主義ですね。そして、やっぱり無理だ断ろうという話になって、賠償千恵子さんに断るということになるのですが、ひょんな話の行き違いで、やるかやらないかの堂々巡りに戻ってしまいます。

青年団長の高志には好きな女性がいました。市毛良枝さん演ずる可愛くて美しい女性佳代ですね。その佳代が東京に行ってしまうんです。好きとも言わずに駅で佳代を見送ります。そして、高志はその夜しこたまお酒を飲んで、劇団の事務所に泊めてもらうんですね、そこで劇団の人たちが貧乏だけど良く笑うこと、とても芝居が好きな人たちであることを知って、ここで本気になる訳です。

あとは一気にクライマックスへ昇り詰め、公演となります。

実際にあったことをモデルにしている

映画に登場する「統一劇場」は実際にあった劇団です。「統一劇場」から「ふるさときゃらばん」、「現代座」、「希望舞台」という劇団が分離独立しているようですが、本体の統一劇場はどうなったのでしょうか・・・。
この統一劇場の公演は私も見たことがあります。映画と同じように青年団の若者が、おそらく町中全戸を訪ねて売り歩いたのでしょう、私の家にも青年団がチケットを売り来ました。当時の私は青年団には入っていなかったのですが、両親がチケットを買ったようです。部落の若者がお願いに来れば、それはみんな子供のときから知っている訳ですから、みんな買いますね。

映画に登場する人たちは、自分たちと同じような人たち。ですから、やっぱり応援したくなります。

この物語の前提

今、安宅和人さんの『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』というのを読んでいます。その本の181ページに『ガラスの靴で有名なシンデレラの物語は「シンデレラが継母の娘より圧倒的に魅力的である」とい前提が話を成り立たせている』という記述があります。 

最初、山田監督は統一劇場の側から映画を作ろうとしていて、劇団についてあるてい取材をしていたそうです。芝居に熱中して、なんとか公演を見てもらいたい貧しい劇団の話なのでしょうね。しかし、思うような脚本が書けない。そして、青年団の側から考えると書くことが出来たという話を何かで読んだことがあります。シンデレラで言えば「シンデレラが継母の娘より圧倒的に魅力的である」の部分を、劇団から青年団に変更することによって、「これはいける!」と思える前提が生まれたのですね。

この映画は岩手の寒村で農業をしているうだつの上がらない青年団長が主人公です。主人公の青年は、私と同じようにダメな農村青年だけど、統一劇場の公演を実現することで、私よりも生き生きとした時間を過ごします。それが山田監督の描きたかったことだと思います。それを書く設定がどうやって生まれたのか、興味深いエピソードですね。

もっと書きたいことがあるのですが、書き終わるまで公開しないと気力が萎えてしまいそうなので、分けてアップしますね。

今回はこのへんで。

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