シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

私にも愛読書が出来た・佐藤忠男さんの「裸の日本人―判官びいきの民族心理」

裸の日本人―判官びいきの民族心理 (1958年) (カッパ・ブックス)

裸の日本人―判官びいきの民族心理 (1958年) (カッパ・ブックス)

 

 私にも愛読書が出来た

「あなたの愛読書は何ですか?」そう聞かれたら何と答えますか? 

そんな質問をされたことがなくても、プロフィール欄に「私の愛読書は夏目漱石の『こころ』です」とか「聖書です」と書かれているのを読むと、引け目のようなものを感じていました。私には自信を持って「この本はすごい!」と自慢できる愛読書がなかったからです。

地方に住んでいた若いときから本はある程度は読んではいました。けれども、そこは地方の本屋さん、飾ってあるのは売れ筋の本ばかり。そういう中では「これが私の愛読書だ」と言えるものには出会ってはいなかったのです。読みたい本を読むというより、本屋さんが売りたい本を読んでいたのではないかと思います。

読みたい本が見つかるようになったのは、本を紹介するブログに多数出会ってからです。それにアマゾンのカスタマーレビュー。それからは芋づる式ですね。例えば、野矢茂樹さんの「論理トレーニング101題」。この本など書評ブログで紹介されなかったら、自分で見つけて読むことはなかったでしょうね。

さて、今回、私は愛読書と自慢できる本に出会いました。どんなことから「裸の日本人―判官びいきの民族心理」を読むようになったのか、そしてこの本の凄さは何なのか、これから書いてきますね。

独学の評論家・佐藤忠男さん

私が佐藤忠男さんを知ったのは、1980年代にNHKで放送されていた世界の名画を紹介する番組です。そのとき紹介していたのが韓国映画で、 離婚に必要な書類を本籍地まで二人で取りにいく「離婚旅行(KBSドラマ)」、急激に発展するソウルで苦悩しながらも生き生きと夢と希望を追う地方出身の若者を描いた「風吹く良き日」、ラスベガスで米国の永住権を取得するために偽装結婚する話の「ディープ・ブルー・ナイト」などでした。(中国の謝晋監督「芙蓉鎮」もこの時期にみたように思います)しかし、佐藤忠男さんについては良くしりませんでした。

佐藤忠男さんに興味を持つようになったのは、ウィキペディアやアマゾンのレビューを見るようになってからです。ウィキペディアの記述を見ると面白いことが書かれています。

新潟県新潟市出身。新潟市立工業高等学校(現在、新潟市立高志高等学校)卒業。予科練出身。
新潟在住のまま、国鉄、電電公社等へ勤務。『映画評論』の読書投稿欄に映画評を盛んに投稿。また、1954年に『思想の科学』に大衆映画論「任侠について」を投稿し、鶴見俊輔の絶賛をうける。1956年刊行の初の著書『日本の映画』でキネマ旬報賞を受賞。

定時制高校しか出ていない佐藤忠男さんは『映画評論』に読者投稿を続け、編集者として迎えられます。また、論文「任侠について」で鶴見俊輔の絶賛を受けています。

絶賛を受けたというこの論文、さて、どんな論文なのでしょうか。

国立国会図書館で検索すると、「現代日本映画論大系 2 (個人と力の回復)」に入っているのが分かりました。そして、アマゾンで調べると入手できるではありませんか。アマゾンは素晴らしい! 

現代日本映画論大系〈2〉個人と力の回復 (1970年)
 

そして、読んでみるとびっくりしました。「任侠」という捉えどころのなさそうなテーマなのですが、ガチガチに固めた論理を積み重ね論文が構築されているのです。

「森の石松」と言えば庶民に愛されている伝説的人物です。それをとるに足らない人物として描いて、ヤクザ社会のばかばかしさを訴えた喜劇映画がありました。

その映画はヒットしませんでしたが、プロの批評家にはウケて「庶民は程度が低い」という声が広まるんです。そういう声に対して、国鉄をクビになり、電電公社で電話の修理をしている新潟の青年が、真っ向から中央の論壇に向かって、なぜ、庶民はヤクザが好きなのかを論じたのです。(「任侠について」は機会があれば書きますね)

佐藤忠男さんは戦時中に旧制中学の受験に面接で失敗しています。その後に予科練、それから、定時制の高校にしか行っていません。それなのに、なぜ、こんな論文が書けたのか。とても興味が湧きました。そして、佐藤忠男さんの本を出来るだけ読んでみたいと思いました。

そして、この「裸の日本人―判官びいきの民族心理 」に出会ったのです。

さて、私が凄いと言っても、「ふーん、そうですか」で終りだと思います。佐藤忠男さんは凄いと言っている他の人の文章を貼り付けておきますね。

仮に世界中で最も優れた評論家を選ぶとしたら、日本と先進諸国の映画はもちろんのこと、発展途上国・新興国の映画についての見識から考えて、おそらくは佐藤忠男がその第一候補になるのではないか。

私は、最近、ニョーヨーク・タイムズ紙に掲載された映画批評を一冊の本に集めたもの(The New York Times Film Reviews)を購入したが、一通り読んで、つくづく思った。日本とアメリカが、競争した場合、確実にこれだけは日本が勝つと言えるものが一つある。それは、『映画批評』の質だ。
その理由は察するに難しくない、日本には佐藤忠男がいるが、アメリカには、ボスリー・クロウザーやトーマス・カーティスやユージン・アーチャーはいても、佐藤忠男はいないからだ。

どうです? 佐藤忠男さんの本を読んでみたくなりませんか?

 

映画評論家は適当に思いついた感想を言っているだけ?

この本は「はじめに―どんなふうに、私はこの本を書いたのか」ということから始まり、3つのことをやろうとしたと書いてあります。

  1. 現代日本人の性格に、何か見逃すことの出来ない重大な特質はないか、考えてみよう。たとえば、恋人や配偶者に対する態度に、家族や友人との口のきき方や鼻歌の歌い方に。天皇や上役についての感じ方や、神さまや仏さまのおがみ方に―。
  2. もし、そこに特質的なものがあるとすれば、それを極力、私じしんの個人的な生活体験の中から探っていってみよう。
  3. そのようにしてさぐりだされたものの考え方一般の中には、どんな形でしみとおっているか―。「九郎判官義経」と愛し、「森の石松」を生み、「忠臣蔵」を育てたわれわれの心理を、映画や芝居や歌謡曲などを手がかりにして調べてみよう。もの言わぬ庶民の涙や笑の底にある、無意識のものを掘りおこしてみよう。

これを外国に行ったことも、特別な人生経験がある訳でもない平均的な日本人の青年がどうやって解決したか、とても興味があります。そして、このテーマで書くことを28歳の佐藤忠男に提案した光文社の編集者、伊賀弘三郎さんの見ぬく力にも感心してしまいます。

どんな手法で書かれているのか

最初は「心の底にひそむ“天皇”」という章です。

天皇もか―”不忠者”の運命

  • 15歳の佐藤忠男少年は、天皇が人間宣言を行い、「占領軍批判以外は、天皇制の批判をふくんで一切の言論は自由である」と発表されたときは<なんというたいへんな世の中になったのだろう>とあきれ、<これでは世の中はまるでメチャメチャだ>と思っています。
  • それが、写真を見ると、<こんな間抜けな感じの人物が、なぜわれわれの象徴でありうるのか>という嫌悪をさえ感じるようになってしまっている。
  • なぜ、自分が喜びいさんで予科練を志願したのか、と考えると大きく目の前に立ちふさがるのは天皇だ。

だから、「日本人を考えるには、まず天皇を考えなければならない」と天皇について考えはじめます

佐藤忠男少年が生まれたのが満州事変の前年。5年生のときには太平洋戦争がはじまり、小学校高等科を出たときに終戦になっています。戦争は天皇の名で進められ、<そのためにこそ正義である>と佐藤忠男少年は信じていました。「よい子」であるためにはそう思い込む必要があり、自分をそういう型にはめようと、相当な努力をしました。

  • その例として、中学の入学試験の面接で「日本に生まれた幸福は何か」という質問に答えられなくて、受験に失敗した話が出てきます。「なぜ日本はシナをこらしめねばならぬか」とか、「ABCD包囲陣とは何か」とか、「飛行機はなぜ飛ぶか」といった問題なら簡単に答えられるのに、どう答えてよいかわからなかったのです。

     答えは簡単。答えられないのはけしからぬこと。「万世一系の天皇をいただいているから」です。

     答えられなかった佐藤忠男少年は、日暮れまで教室に残され、<この恥は家の者には話すまい>と誓います。

  • もうひとつ。思春期の少年が赤ん坊はどうして生まれるのか、どこから生まれるかを産婆の本や百科事典で知るようになります。

     で、「天皇もか!」と友人がいうと佐藤忠男少年は「そうだ!」と答えます。

     佐藤忠男少年の心は揺れます。その夜は悶々とし、<やっぱり自分は不忠者だったのだ>と宮城に向かって最敬礼を繰り返します。そして、自分の頭を柱にぶつけます。

    翌朝、「天皇もか?」と言った友人をいきなり殴りつけるのです。

天皇については周囲の人たちの観察(中学校校長が国粋主義者である様子、中学試験に引率していった先生のあきれた様子、対応)、自分の経験が書かれています。

次が「畳の上では死ねない―”戦争の子”の常識」という見出し。「どうせみんな兵隊に行って死ぬのだから・・・」という考え方について書かれています。そして、「我々は消耗品」、「人生わずか25年」、「玉砕」、「七生報国」など、本気で考えワクワクした話です。

ここまで読み直してきてみると、佐藤忠男さんの経験が中心で、特別に変った手法はみつかりませんでした。ただ、戦後民主主義の価値観に変った作者が天皇を中心とした軍国主義少年を描いていますから、面白いことがいっぱい見つかっている、そう言えるのかも知れません。

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これだけでは、なぜこの本が凄いのか、その答えが見つかりません。次は「オレは馬鹿だけど・・・」と馬鹿でない人が言う意味について考えています。もう少し深く読むのを続けたいです。