2015年11月13日、パリで同時多発テロ攻撃が発生し、130名以上のの市民が亡くなったそうです。そして、パリの事件を「kamikaze」と呼ぶ欧米メディアに対して、日本のネットユーザーが困惑しているというニュースがありました。
そこで出てきたのが産経新聞の記事です。
この記事で、末吉さんが生き残った理由を産経新聞は次のように書いています。
末吉さんは16歳で陸軍少年飛行兵に応募し、昭和18年に陸軍飛行学校に入校した。18歳だった20年4月28日、特攻隊として、4機5人と台湾の飛行場から飛び立ったが、約1時間後、隊長機にトラブルが起きて沖縄・石垣島に全機不時着した。再出撃の命令は出ず、そのまま終戦を迎えた。
これを読んで、映画「永遠の0」を思い出しました。
隊長は出撃のとき、自分が恩を感じた若者と機体を交換します。それは良く故障を起した機体でした。隊長は若者を助けたかったのです。
隊長機にトラブルが起きて全員生還。
機体のトラブルは偶然だったのでしょうか? 終戦も近い時期になると、まともな機体が少なくなってきたという話も聞きます。
ただの偶然だったのか、誰かの意思が働いていたのか。隊長は非難されたのでしょうか? とても気になります。そのときの様子を聞いてみたいですね。
日本の第二次世界大戦での死者数は約300万人。こんな生きるか、死ぬか、紙一重のことがいっぱいあったに違いありません。