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市川コルトンプラザで山田洋次監督の「母と暮せば」
義母の希望で、市川コルトンプラザで山田洋次監督の「母と暮せば」を見てきました。
井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」が黒木和雄監督により映画化されています。
「母と暮らせば」は山田洋二監督が井上ひさしさんの構想を引き継いだもので、「父と暮せば」と対の作品です。
小説「母と暮らせば」の作者をみると山田洋次さんと井上ひさしさんの三女・麻矢さんになっていますね。井上ひさしさんは市川に住んでいたことがあり、市川文化振興財団の理事長をしていたこともある人だからでしょうか、小さな SCREEN9 での上映でしたがほぼ満員でした。
2013年1月に小松座の「組曲虐殺」を見たことがあるのですが、その事前イベントに麻矢さんのトークショーがあって、聞きに行ったこともあります。
話がずれてきたので、本筋に戻します。
「父と暮らせば」は原爆の直撃を受けて死亡したはずの父が幻となって娘の前に現れるという話です。
それに対して、「母と暮らせば」は原爆の直撃を受けて死亡したのは長崎医科大学の学生だった息子(二宮和也)が母(吉永小百合)の前に現れるという話です。息子には婚約していた女性(黒木華)がいて、その女性と一緒に暮らしているのです。
吉永小百合さん演ずる母は息子の婚約者が一緒にいてくれるのはうれしいけれど、彼女には息子とは別な男性を見つけて幸せになってほしいと考えていいます。
強力な脇役は加藤健一さん演ずる「上海のおじさん」 。闇屋の彼は吉永小百合さん思いを寄せていて、何かと彼女を心配して食料を調達してくれます。
義母の感想
義母は吉永小百合さんの年齢を私に聞くと、立ち振る舞いがとても美しいと感心していました。
映画は画像で表現しますから、登場人物がそれらしく見えることが一番重要です。「東京物語」の笠智衆さん、東山千栄子さんは、映画に映っているだけで日本のお父さんであり、お母さんです。芝居をしなくてもそれで存在感があるのなら、それで十分なのです。
ビートたけしさん、山田洋次監督を酷評
以前、Youtubeで聞いたビートたけしさんの話を思い出しながら、映画を見ていました。
- たけし、山田洋次監督を酷評!日本映画の知られざる裏側を暴露!
ビートたけしさんは、「日本映画はヨーロッパの映画祭に出品してるけれど、ことごとく予選落ちしている。オレの作品がヨーロッパの映画祭で上映されるのはその度に日本のチャンピオンになっているからだ」と言います。
ビートたけしさんと山田洋次さんの受賞歴を比べてみると、たしかにビートたけしさんの受賞歴は海外で高いものがあります。それに対して山田洋次さんの受賞歴は国内には強いけれども、海外では弱いように見えます。
なぜなのでしょうか?
ビートたけしさんはなぜ世界で通用するの?
ウィキペディアのビートたけしさんの「その男、凶暴につき」の制作、脚本を見ると面白いことが書かれています。
この映画が上映された当時に松竹セントラルでみた記憶があるのですが、その後、野沢尚さんが脚本を勝手に変更したことについて、「勝手に直すのなら、最初から自分で書きなさい」と怒っている、という記事を読みました。変更は楽だけれども最初に作るのはとても大変でしょうから、それは分かるような気がします。
残念ながら出典の記述がなくて根拠は不明ですが、「まず行ったことは脚本から不要な会話を徹底的に削ることであった」という記述は興味深いですね。
ビートたけしさんは映画を絵として表現しています。海外にも通用しやすいのは絵だからでしょうね。
それに対して、山田洋次さんは芝居中心。「母と暮せば」はかなり長いセリフも登場します。言葉で表現する部分が多く、極端に言えば小説に近いと言うことが出来ます。言葉が多いと伝えようとする情報量も多くなりますから、共感を得るのも大変。山田洋次さんの扱うテーマは日本独特のものが多いですから、海外に通用しにくいのかもしれません。
それと、山田洋次さんは人間が持つ悪の部分を描く作品がほとんどない作家です。フランクキャプラのように夢や生きる希望のある作品が多く、それが玄人好みでないのかもしれません。
記憶に残ったことば
世界では山田洋次さんよりビートたけしさんが評価されているのかも知れません。しかし、私はいつも山田洋次監督の映画に感動します。
小学校教諭をしている二宮和也さんの婚約者が幼い生徒を連れて、戦地から帰ってこない父の安否を役所に聞きにいくシーンがあります。私はそこで泣き出してしまいました。
吉永小百合さんが「戦争で死ぬのは運命ではない」と言います。戦争は人が始めるものなのです。避ける方法が全くないなんてありえないのです。この言葉に山田洋次さんらしさを感じました。