目次
日光から会津へ・会津西街道
会津西街道は、会津藩主・保科正之によって整備された街道です。参勤交代にはこの街道を使って会津から今市へ抜け、さらに日光街道で江戸に向かいます。
今回の旅は、保科正之の逆コース。日光街道で日光へ。そこから会津を経由して、実家に行く計画です。
日光の奥座敷・川治温泉に宿泊。東武ワールドスクウェアで、ポルトガルのお土産「バルセロスの雄鶏」を買った話は前回書きました。
翌日は、宿泊した川治温泉から県境を越えて会津を通り、実家で墓参りをしてきました。今回は、会津西街道の見どころを紹介します。
会津西街道は標高差が多い
川治温泉から会津へは県境の峠を越えますから、標高差の多いドライブになりました。AT車は思ったようにギアチェンジされなくて、登坂用に切り替えようとも考えましたが、そのまま走り切りました。
標高ワカールで測定すると、通過した地点の標高はこんな値になりました。
- 川治温泉の宿泊したホテル 490m
- 五十里ダム見晴台 603m
- 県境の峠 910m
- 塔のへつり駅 446m
- 塔のへつり 408m
- 大内宿 670m
おまけに実家への標高も。
- 磐越道 会津若松IC 198m
- 磐越道 磐梯山SA 571m
- 磐越道 郡山JCT 256m
- 阿武隈高原の実家 495m
- 千葉の住んでいる家 22m
標高差の多い旅でした。
五十里ダム見晴台
川治温泉から日光街道を北上すると、5分もしないうちに五十里ダムが見えました。ここには前に来たことがあります。職場の旅行で川俣温泉に来たときですから、もう、40年以上も前のこと。川俣温泉は旅館から谷底に降りたところに温泉があり、鹿の肉が出てびっくりしたのを覚えています。
五十里ダム堰堤改良事業
五十里ダムダでは改良工事が行われていました。工事の目的は次の三つ。
- 貯水の濁り具合に応じて、取水する水深を調整できる設備を作る。
- 老朽化した利水放流設備を整備する。
- 放流水を利用した 水力発電所を作る。
契約額は、土木工事が約7億5千万円、機械工事が約13億8千万円。
うーん、高いのか安いのか・・・。
穴を開けるために取り除いたコンクリートが展示してありました。
駐車場
ダムの手前に見晴台があり、無料で駐車できます。リンク先の上空からの写真をみると見晴台とダムの位置関係がよくわかります。
塔のへつり
県境の峠を超えて、五十里ダム見晴台から60キロくらいの地点が「塔のへつり」です。県境峠は標高が 910m。山に囲まれた景観が続きます。
「塔のへつり」の「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のこと。河川の岩盤が流れによって浸食され、人が通れるほどの凹んだ溝ができたものです。
ここも若いときに来たことがありました。凹んだ溝が長く続いていたイメージがあったのですが、今回訪ねてみるとそれほでもなく、「あれ、こんなだっけ」と少しがっかりしました。
そうそう、途中の売店で瓶に入れた生きたマムシが売られていました。
車は木かげ駐車場に駐車します。
料金は300円。
ここから降りたところに「無料駐車場」と書かれた駐車場がいくつかあります。しかし、そこは売店、レストランの私有地。その店で食事をしたり、お土産を買ったりした人は無料という意味です。
店舗前の無料駐車場に車を止め、そのまま見物に行こうとしたおっさんが、店のおばさんに引き留められていました。立ち去ってしまったので、結果は分からないのですが、どうなったでしょう。
塔のへつり駅
木かげ駐車場の手前に会津線「塔のへつり駅」があります。ホームも駅舎も全体が緑の木立に囲まれた珍しい駅です。
「あれ? こんな駅はなかったよなぁ」と思い確認すると、昭和35年新設され、昭和44に廃止。そして、昭和63年に正式な駅として開業しています。私が来たのは、廃止されて再開業する間だったようです。
木かげ駐車場からみたホームと駅舎。
駅舎
無人駅でスイカの自動改札どころか、切符の販売機もありません。
車掌さんから切符を買うのかと思いましたが、違いました。左の白いボックスのディスプレイにこう表示されていました。
会津鉄道 本日の列車運行情報
会津鉄道ではワンマン列車を運行しております。
2両ワンマン運転の場合は、2両目のドアは開きません。
1両目のドアボタンを押し、整理券をお取りの上ご乗車ください。
ワンマンだから切符を売っていては運転が出来ないのです。つまり、乗車するときに整理券を取り 、下車した駅で支払うようです。
片側だけのホーム
会津線は複線化されていません。それにここで車両が交換する訳でもなく、駅があっても線路は1本だけです。ホームは片側にしかありませんが、会津若松へ向かうときは右側のドアから乗車し、会津田島へ向かうときは左側のドアから乗車すればいいのです。
浅草方面の表記がカッコイイ!
列車の本数は1日に15本。1時間に1本が目安で、17時と21時に2本。実家のある田村市を通る磐越東線は1日に14本ですから、1本多い!
ちなみに「塔のへつり」から「浅草」までどのくらい時間がかかるのでしょうか。
- 今市経由
07:39→12:51 5時間12分 3,763円 乗換:4回 - 会津若松→郡山(新幹線)→上野→浅草
06:40→11:13 4時間33分 9,665円 乗換:3回
せっかく浅草方面の表記があるのに、逆の会津若松方面に乗った方が早く浅草に着くというのがちょと悲しい・・・Orz
大内宿
大内宿は、会津西街道の宿場だったところです。 明治18年、現在の国道121号が整備され、ここを通る人は少なくなくなりました。追い打ちをかけるように、昭和2年に会津線が開業しています。
私が福島にいるころは「大内宿」という名前を知りませんでした。1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことが、観光地として栄えるきっかけになったようです。
上の地図のように山に囲まれた集落です。
駐車場
地図を拡大すると、中央を走る道路の右手に駐車場があります。夏休みの期間だったためか、平日にもかかわらず、駐車場は満車でした。
満車だったらどうするのか。係りの人に指示され、空くまで県道で待つことになります。この日は、私が駐車すると満車になり、2、3台の車が列を作りました。
- 料金 400円
領収書には「大内区」と表記されていました。この駐車場は大内宿に住む人たちが運営しているようです。
「半農半宿」だった建物が並び、中に入って食事ができます。
今ふうのカフェ、スイーツ、昔ながらの蕎麦、もちなどが中心です。孫が別なものを食べたいというもので、食べなかったのですが、ネギ一本で食べる名物の「ねぎそば」は一度は食べるべきでしょう。
「大内宿 雪 写真」で検索すると雪に埋もれた大内宿を見ることができます。
茅葺屋根の家に住んでいたことがあります。都会の文化住宅をうらやましく思いながら育ちましたから、大内宿をみると情緒は感じますけれども、「素敵!」という感情ばかりではなく、複雑なものがあります。
船橋のアンデルセン公園で、デンマークの農家を再現した葦ぶき屋根の建物を見たことがあります。屋根は低く質素で、私が知っている華やかなヨーロッパとは別な印象を受けました。ゴッホが描いた「ジャガイモを食べる人々」を思い出して、ヨーロッパの劣等感から抜け出したような感覚、デンマーク農家への親しみを感じました。
茅葺き屋根はいろんな国にあるのです。
終りに
今回の旅は、会津西街道を日光から会津へ抜けました。
「五十里ダム」「塔のへつり」「大内宿」は、世界遺産の日光東照宮や会津若松の鶴ヶ城、白虎隊が自刃した飯森山などメジャーな観光地とは違った雰囲気があります。
私が印象に残ったのは、暑い中でも涼しさを感じる林に囲まれた「塔のへつり駅」。浅草方面の表記がオシャレでした。
それと、雪に埋もれた大内宿にも行ってみたいと思いましたが、実現はちょっと・・・もし行くとしたら、列車で。囲炉裏のある茅葺き湯の「野上温泉駅」が良さそうです。