クリスチャンが「読むな!ひどい」という本
「卒業研究」のために『教養として学んでおきたい5大宗教』を読みました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の5宗教が取り上げられ、分かりやすく解説されています。アマゾンのレビュー評価平均が星5つ中の 4.3、楽天ブックスが平均 4.33、hontoが平均 4.5 と、どのレビューも高評価。宗教の入門には良い本だと思いました。
ところが、「読むな! 偏見と誤情報に満ちたひどい本」と言っているクリスチャンがいました。「ユダヤ教とキリスト教の項目に限って言えば、素人丸出し。偏見と誤情報で満載の、悪意に満ちた本」と言っています。
どういうことなのでしょう?
著者は宗教を「霊や神のような不合理な(非科学的な)存在の働きを前提とする文化の様式」と定義しています。それが理由かも知れません。
日本は神の存在を信じている人は少ないですが、世界ではその逆です。
ギャラップ国際調査では、世界の7割の人が「神を信じる」と答えています。無神論者が多いのは、67% で中国がトップ*1。日本は 29%で2位、韓国は 23%です。
私も無神論者にはいるのでしょう。お寺や神社にお参りはしますが、輪廻や神を信じている訳ではありません。この本は、私のように「信仰したいわけではないが、宗教について知りたい」と言う人にオススメです。
文章が平易、本がうすい
薄い本です。それに分かりやすい平易な文章で書かれていますから、簡単に読んで理解することができます。
具体的にはどんな感じかと言うと、物理的には、207ページの新書サイズ。全体的に文字数が少なく、文章もスペースが多くて、重要なキーワードは太字で強調され、図・写真を使って解説してます。
この本は、マイナビ出版が発行したものです。マイナビの雑誌・書籍の紹介サイト「マイナビBOOKS」では、「どこでも読める知識と元気」と紹介されているそうです*2。
「教養として学んでおきたい」という言葉がタイトルの頭につくシリーズがあり、この本もそのひとつ。『教養として学んでおきたい神社』、『教養として学んでおきたいギリシャ神話』・・・どれも、研究書のように難しくなく、入門書として分かりやすい本にしょようという思いが伝わってきます。
著者が宗教学者
著者は宗教学者の中村圭志さんという方です。著者のプロフィールには次のように紹介されてました。
中村圭志(なかむら・けいし)
1958年北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)、宗教学者、昭和女子大学非常勤講師。著書『教養としての宗教入門』(中公新書)、『人は「死後の世界」をどう考えてきたか」(角川書店)、『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)他多数。
クリスチャンが「読むな!」、「ひどい」というのは著者が神学者でないからのようです。神学者なら、神を信じる立場で論じますが、宗教学者はそうではありません。宗教を「霊や神のような不合理な(非科学的な)存在の働きを前提とする文化の様式」と定義して解説し始めるなんて、もってのほかです。
佐藤優さんのように、神学修士(同志社大学・1985年)の立場から何かを述べるなら賛同するでしょう。ハサン考中田さんのようなカイロ大学で哲学科博士を取得しているようなガチガチのイスラム法学者も好きかも知れません。
しかし、中村圭志さんは信仰に距離を置いて、各宗教を対等に述べます。
どのように対等かを知るために、述べているページ数、節数、コラム数を比較します。
- ユダヤ教 24ページ 8節 1コラム
- キリスト教 28ページ 8節 1コラム
- イスラム教 26ページ 8節 1コラム
- ヒンドゥー教 14ページ 6節
- 仏教 38ページ 8節 1コラム
ヒンドゥー教の情報が少ないのは、対等に述べようとしたが情報量が少なかったからでしょうか。仏教は母国で最も盛んな宗教ですから、知識も多く自然と情報量も多くなったのでしょう。 ヒンドゥー教について述べている本が少ない中、ヒンドゥー教を対等に扱おうとしているバランス感覚に敬意を表します。
日本の仏教・文字との出会いは遅い
仏教が極東の日本へ伝わるのには時間がかかった。仏教は紀元前 5 世紀くらいに生まれましたが、日本に伝わったのは飛鳥時代時代です。それまでは教典や具体的な教えはなく、開祖もいない神道が中心でした。
それに対して「ユダヤ教」には歴史があります。紀元前10世紀には成立していたとも、紀元前20世紀とも言われ、そのときの日本は縄文時代です。キリスト教が生まれたのは弥生時代。イスラム教は610年ころですから飛鳥時代です。
ユダヤ教の「モーセ五書」は、紀元前4世紀頃には権威が与えられていたと言いますから、文字を使っていた歴史も古い。
日本人が本格的に文字を使うようになったのは、仏教が伝わってきたころといいますから、圧倒的な歴史の差があります。
巨大なバチカンのサン・ピエトロ大聖堂が出来たのが関ヶ原の闘いのころだと聞いて、その建物の豪華さと時代の差に圧倒されたのを思い出します。
一神教 vs 多神教
この本を読み始めたのは、以下の記事を読んだからです。
宗教学者の中村圭志さんが、「一神教は『人間は神の下に平等だ』というファンタジーをもっています」と言っています。日本が西洋と比べて「自由、平等」を主張しないのは、宗教の違いからだと思ったのです。
そして、こんな本も見つけました。
著者の竹下節子さんは、次のように言います。
フランスは、その共和国的な価値観のキリスト教ルーツのことを実は、はっきりと意識している。三色旗が表す「自由・平等・博愛」の理念は新約聖書の四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の中でイエス・キリストが説き、実践したエッセンスだからだ。そのエッセンスの上に築かれた「宗教」のシステムは共和国によって否定された。けれどもフランスはそのエッセンス自体を捨てはしなかったというわけだ。そのエッセンスが「イズム」としてのキリスト教だ。(p. 26)
だから、西洋は「自由・平等」にうるさいのでしょう。
中村圭志さんは5大宗教を次のように紹介しています。
- ユダヤ教 民族の宗教 ユダヤ民族を救う
- キリスト教 救世主の宗教 個人を救う
- イスラム教 戒律の宗教 ユダヤ教、キリスト教を尊重、イスラム法
- ヒンドゥー教 輪廻の宗教 ヒンドゥーとはインドのこと
- 仏教 悟りの宗教
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも一神教です。経典がコンパクトな一冊に収まるほど教えがシンプルです。
それに対して、ヒンドゥー教は神々の数が多い多神教で、経典の数も漠然としています。
仏教はどうなのかというと、神々より悟った人の方が偉いという考え方で、神だのみをしないで人間が自分で悟りを開くことを目指します。
しかし、大乗仏教となると、厳しい修行をしなくてもみな成仏するという考え方で、多神教のように神にあたる存在が多数あります。
- ブッダは悟りを開いた人・・・如来
薬師如来・・・薬の神様
阿弥陀如来
など - ブッダ修行中の候補生・・・菩薩
観音菩薩
地蔵菩薩
弥勒菩薩 - 神様も取り込む
明王:不動明王、愛染明王
天:帝釈天、弁財天
こうして、仏教を分かりやすく短くまとめて書いていると、仏教を信仰して如来や菩薩を有り難く拝んでいる人に失礼なのではないかという気持ちが生まれ、クリスチャンが「読むな! 偏見と誤情報に満ちたひどい本」と言いたくなるのも分かるような気がしてきました。5大宗教をより一段と高いところから眺め、宗教を文学作品や映画批評のように比べているからです。
そうは言っても、世界の殆どの人は自分が信仰している宗教のことしか知らず、比べて考えるのも重要かと思います*3。
終わりに
「卒業研究」のためにキリスト教について知りたくなり、『教養として学んでおきたい5大宗教』を読みました。
薄い本で、分かりやすい平易な文章で書かれていますから、簡単に読んで理解することができます。
それと、著者が宗教学者ですから、信仰に距離を置いて各宗教を対等に解説しています。ヒンズー教については初めてしりました。
読んで気がついたのは、日本は仏教・文字との出会が遅かったということ。極東の島国日本は地理的に文化が伝わりにくかったんですね。
一神教と多神教の違いも強く感じました。日本に「自由、平等」の概念が弱いのは、宗教に違いからだと思います。儒教や仏教からは「自由、平等」概念は生まれません。
日本は秩序を大切にしますが、「自由、平等」とどちらを大切にすべきかというと、そのバランスは難しいのだと思います。
同じ著者のこんな本を見つけました。
私はお寺の檀家にはなっていますが、輪廻とか成仏の概念を信じている訳でもありません。祈るときも、何を祈ったらよいかもわからず、手を合わせていただけです。
お寺では「墓じまい」をした跡も見受けるようになりました
「無神論」とは神が存在しないことを積極的に主張することで、「無宗教」とは信仰そのものを持たないという立場だそうです。
形式的は神道・仏教徒であり、救世主の宗教であるキリスト教に興味が湧いて、「無宗教」とも言えない私です。
*1:「2030年には中国が世界最大のクリスチャン国に」という記事も見つけました。
*2:Wikipediaより。脚注のリンク先はログインしないと読めない?
*3:世界の宗教人口は、キリスト教が 33.4%、イスラム教が 21.2%、ヒンズー教が13.5%、儒教、道教などの中国の伝統的な宗教 5.7%、仏教が 5.4%、ユダヤ教 0.2%、その他の宗教が6%、無宗教・無神論 14.3% だそうです(「世界の宗教を知ろう! - 港区」より)