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降伏決定から玉音放送までの24時間
終戦の日にあたる8月15日。 「日本のいちばん長い日」を観ました。
あれほど酷い状況なのに、なぜ日本軍は降伏しなかったのか。それが理解できなかったのですが、この映画を観て印象が変りました。
この映画はポツダム宣言の文面映し出され、その原文が英語で読み上げるところから始まります。
- 7月26日ポツダム宣言。
黙っているのが賢明で、ノーコメントのつもりが伝言ゲームで拒否と受け取られる。 - 8月6日、広島市への原子爆弾投下。
- 8月8日、ソ連が日本に対し宣戦布告。
- 8月9日、長崎市への原子爆弾投下。
戦争終結を望んでいる天皇と鈴木貫太郎内閣は、閣議を開きますが決着がつきません。そして、天皇の聖断を仰ぐという奥の手に成功します。旧憲法でも天皇は独裁者ではなく、基本的に内閣の案は承認するしかなかったのです。
- 8月14日、天皇の聖断によりポツダム宣言の受諾決定
この映画は、閣議で降伏を決定した8月14日の正午から、玉音放送をする8月15日の正午までの24時間を描きます。
玉音放送の文章はどうするのか、責任を認めたくない陸軍と海軍の対立。玉音を録音したレコード盤を奪おうとする反乱の様子。阿南陸軍大臣が自害します。
この映画を観て、戦争をやめたくない軍人の気持ちが理解できました。
軍人であるからには、総玉砕するまで戦うしかない。命が惜しくて降伏してしまっては、死んでしまった300万の人たちに申訳がたたない。自分だけが生き残ってはいけない。
軍国教育を受けた生まじめな若い軍人たちはそう考えたのです。
私もオススメる見どころは次の三点です。
- 自刃する三船敏郎さん演ずる阿南陸軍大臣
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笠智衆さん演ずる鈴木貫太郎首相
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玉音放送レコードを奪おうとする狂気
ひとつずつもう少し詳しくお話します。
自刃する三船敏郎さん演ずる阿南陸軍大臣
8月14日正午、御前会議で天皇の聖断により降伏が決定されます。
閣議では「戦勢日ニ非ニシテ」を「戦局必スシモ好転セス」に変更を要求し、反対する海軍を押さえます。
8月15日5時30分。三船敏郎さん演ずる阿南陸軍大臣は陸軍大臣仮官邸で割腹。頸動脈を切って自刃します。部下の見守る中でのことでした。トップにある「日本のいちばん長い日 Blu-ray」のパッケージは自刃する阿南大臣です。
阿南大臣の遺書は靖国神社遊就館で見たことがあります。
一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣阿南惟幾(花押)
神州不滅ヲ確信シツヽ
大君の深き惠にあみし身は
言ひ遺こすへき
片言もなし
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣 惟幾(花押)
私は、阿南陸軍大臣のせいで降伏が遅れたと思っていました。徹底抗戦派の代表が阿南大臣。半藤一利「昭和史」、山本七平「裕仁天皇の昭和史」を読んで、そう理解していたのです。
彼に怒りのようなものを感じていたのですが、この映画を観て印象が変りました。
自分だけが生き残ってはいけないという軍人たちの突き上げがあって、簡単に降伏には応じられなかったのでしょう。
これが、総玉砕するまで戦えと言った軍指揮官の責任の取り方です。
鈴木貫太郎首相だから天皇は聖断ができた
笠智衆さんが鈴木貫太郎首相を演じています。
「男はつらいよ」では柴又帝釈天の御前様。「東京物語」の平山周吉など、優しい役柄を演じていますが、そのイメージそのものです。
映画評論家の町山さんが「棒読み」と言っていました。笠智衆さんの棒読みは味があります。情感豊かに演じてしまっては、人柄の暖かさは出ないのです。
鈴木貫太郎が首相だったから、天皇の聖断という奥の手を使うことができたと言われています。彼は海軍出身です。連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を務め、昭和天皇の希望で侍従長になり、さらに天皇の諮問機関である枢密顧問官を務めていました。
ですから、天皇の信頼が厚く、気心が知れていました。だから、天皇の聖断を仰ぐという形に持っていけたのです。( 山本七平「裕仁天皇の昭和史」)
昭和天皇は「二度、憲法を踏み外した」と言っていますが、それは次の二つです。
・226事件を鎮圧したとき
・御前会議で終戦の決議をしたとき
なぜ、天皇は太平洋戦争の開戦をと止められなくて、軍が本土決戦と言っているのに終戦出来たのか。この「裕仁天皇の昭和史」を読み進めると、その理由が分かってきます。
・御前会議では天皇に発言権がありません。内閣が開戦を決議すれば、自分の意の沿っても沿わなくても承認するしかありません。
・終戦のときは内閣の意見が分かれて決まりませんでした。侍従長をしたこともあり、気心の知れている鈴木貫太郎首相が急に「天皇の聖断を仰ぐ」と発言します。これには軍も反対ができず、終戦が決議されました。
これが、「踏み外した」内容です。
昭和天皇が憲法を踏み外さなければ、日本はどうなっていたのでしょう?
もっと原爆が投下されていたのかも知れません。考えただけで、ぞっとする話です。
玉音放送レコードを奪おうとする狂気
黒沢年雄さん演ずる畑中健二少佐たちは、戦争を続行するために、玉音放送に使うレコード盤を奪おうとします。
近衛師団長を説得し、226事件のような反乱を起こそうとするのです。近衛師団長は説得に応じません 。近衛師団長は殺害されます。
畑中健二少佐たちは、死んでしまった師団長の命令をねつ造して、師団を動かします。皇居のあらゆる部屋の荷物をひっくり返してレコード盤を探します。
「二二六は天皇を擁しなかったが、我々には天皇がいる」
そう言って、戦争を続行するために玉音放送を阻止しようとするのです。
バカな軍人と批判する気にはなれません。軍国教育を受けた若者はみんなそう思っていたのです。
私の尊敬する映画評論家・佐藤忠男さんは軍国少年で予科練に志願して入っています。
「予科練出身の著名人」を見ると、騎手・調教師の野平祐二さん、タレントの前田武彦さんも志願しています。
佐藤忠男さんは国粋主義は微塵もなく、前田武彦さんも、野平祐二さんも、そうだったと思います。そんな人たちも軍国主義に染まっていた異常な時代でした。
私が予科練に志願しても合格することはなかったと思いますが、この時代に生きていれば、周りから立派な男と認めて貰いたいと考えていたに違いありません。
まとめ
終戦の日にあたる8月15日に、放送大学図書館にあるビデオテープ 「日本のいちばん長い日」を観ました。
私は、阿南陸軍大臣のせいで、降伏が遅れたと思っていました。もっと、降伏が早ければ犠牲者は少なくてすんだのに・・・と、阿南大臣に怒りのようなものを感じていたのです。
この映画を観て印象が変りました。
軍人であるからには、総玉砕するまで戦うしかない。命が惜しくて降伏してしまっては、死んでしまった300万の人たちに申訳がたたない。自分だけが生き残ってはいけない。
そんな軍人が多かったのです。
ここで、ぐっと突き放して、冷静になると、この考え方には限界があるのがわかります。
戦後、一転して国民は悪くなかった、悪いのは軍の指導者だという教育がされました。それも、事実の全てではないと思ったのでした。