シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

2019年10月31日を過ぎれば視聴できなくなる・NHKオンデマンド【無料】「ドキュメント沖縄戦」

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(Wikipedia「沖縄戦」より)

目次

NHKオンデマンドの沖縄関連番組が配信終了になる

辺野古新基地建設が問題になっています。

そもそもなぜこんなにも沖縄には米軍基地が多いのか、それはどう始まったのか。

それがよく分かる番組がNHKオンデマンドのあるのですが、次々と配信終了になります。

配信期間:2019年8月31日まで

配信期間:2019年7月31日まで

配信期間:2019年10月31日まで 

  • 【無料】ドキュメント沖縄戦
    NHK沖縄放送局が制作した1本9分程度の番組が12本。
    石原昌家沖縄国際大学名誉教授が収集した証言の記録1000本のテープをもとに作られた。

この中でも特に見て欲しいのは、『【無料】ドキュメント沖縄戦』です。

無料ですから、ユーザ登録をすれば誰でも見ることができます。

生々しい圧倒的な証言には心を打たれます。

【無料】ドキュメント沖縄戦

2019年10月31日を過ぎれば見ることが出来なくなります。

目の前で人が殺されて行く様子。それを現実に体験した人が語ります。その迫力と衝撃は計り知れないものがあります。

内容を簡単に紹介します。

  1. 本島上陸
    読谷村の海岸。昭和20年4月1日。アメリカ軍の本当上陸はここから始まった。
    戦地はどのような状況だったのか、目撃者の証言が生々しい。
    横一線にならんだ米軍が一気に押し寄せ、舞台を展開させる。
    米軍の上陸を知り、竹やりで反撃しようとして撃たれた男と女三人。
    短パンで丸腰の米兵がガマに入ってくる。日本語と英語の書かれた黄色い本を指さしながら話す。
    「殺しませんよ。日本は負けるんです」。
    そう書いてあるところを「読みなさい」と指さす。
    集団自決。143人のうち83人が死亡。
  2. 嘉数高台の戦闘
    地雷。決死隊が自ら持ち運び戦車の下に差し込む。小箱に火薬を詰め込んだ急造爆雷を背負って戦車に突進する。
    日本軍の元兵士の証言。
    「戦車を見たら飛び込むにはあまりに大きくから、びっくりして飛び込めないわけ。いや、もう、死ぬに決まっているからね。
    夜になって呼びつけられてね、中隊長が「こらー」ってね、「3人いったら、なんで3台やらないんだ」と。
  3. 伊江島の戦闘
    平坦な島。米軍は本土爆撃の飛行場用地として欲しがった。

    今でもアメリカの軍事施設がある。一番右が伊江島空港だが、現在は緊急輸送にしか使われていない。
  4. 前田高地の激戦
    映画「ハクソー・リッジ」の舞台になったところ。

    sirocco.hatenablog.com

    当時浦添村の職員だった知念明さんの証言。知念さんは前田高地の壕に住民たちと避難していた。
    「玉が飛んでくる音が聞こえてくる。死のうが死ぬまいが浦添でだ。死んでも生きてもここで終わる」
    壕に爆雷を投げ込み入り口をふさぐ、壕の上から穴をあけガソリンを流し込む。火炎放射器。
  5. 那覇の戦闘
    軍人が民間人の中に紛れ込むようになり、米軍は民間人も攻撃するようになる。
    米軍のスパイと疑われた大城さんの証言。
    電話線で縛られ、日本刀で切られそうになる・・・。その場で射殺された住民も。疑われた女性の証言も。
    沖縄の方言を話すものは米軍のスパイとみなすという軍の指示。米軍に捕らえられた民間人が軍の居場所を話すのを恐れた。
  6. シュガーローフの戦い
    地下壕を掘ってタコツボの中で戦う日本兵。
    戦場近くにいた住民の証言。物資が欠乏していたと語る元日本軍兵士。
    米軍の被害も多く、海兵隊の死傷者2600人、心を病んだ米兵1300人。
    泣いている若い米兵をなだめている上官の映像が印象的だ。
  7. 首里陥落
    首里城の地下30メートルに長さ1キロメートルの地下壕を掘り、司令部としていた。1000人の将兵。
    米軍は身をひそめている日本兵を火炎放射器で焼き尽くそうとする。
    日本軍の看護を手伝っていた女性の証言。
    砲弾で入り口が広げられ、火炎放射をする。パチパチ生きている人が焼ける。あと何時間かしたら、自分の番・・・。
    無傷の壕にいた民間人が日本兵から手榴弾と日本刀で脅され追い出された。
  8. 北部と収容所
    投降を呼びかけるビラが大量にまかれる。375000枚。
    「米軍は皆様の友達です」「皆さんの為に充分な食料医薬及び安全な避難所がタイラとナカジンに準備してあります」
    住民は投稿できなかった。
    米軍が住民を殺害するのを目撃した人の証言。
    「いやぁ、はじめは見つけしだい殺しよったですよ・・・」
    戦闘が終結すると30万人以上が収容所へ。
    栄養失調、マラリア・・・
  9. 特攻
    鹿児島の知覧から出撃した特攻機は沖縄に向かった。
    特攻を目撃した人の証言。
    「日本軍がマメリカの舟に体当たりをやるのを見たんですよ」
    特攻艇出撃に立ち会った男性の証言。
    米軍の対策により、ほとんどの特攻機はうち落とされるようになる。
    家族を連れて逃げる男性も自分も死ぬもんだと思っていた。
  10. 南部撤退
    死の十字路。
    海軍太田実司令官が使った硯。兵士は切り込みに出て次々と命を落とす。
    本土に「沖縄県民かく戦えり後世に特別のご高配を賜らんことを」と電報を打ち、太田実司令官自決。
    ガマに避難していた人の証言。
    「鳴き声は聞こえますよ。うなり声、鳴き声は・・・」
    置き去りになった負傷兵・日比野勝廣さんの証言。
    「体はもう、あの時、うごけなくなって、30キロなかったですよ」
    「”水筒の中へ、その粉を入れて盃一杯くらい述べれば楽に死ねるから”と。私はこのときは嬉しかったんです。こんなに楽に死ねるものだったら」
  11. 持久戦の果てに
    避難していた男性。
    「(岩陰に)自分がいて、一時そば離れると誰かが入り込んでいるんですよ。相手いるところに僕が入っていたらおじいさんが来て、そこは私の場所だとよけさせられた」
    バックナー中将が砲弾による攻撃で戦死すると、米兵が殺気立ったのが分かった。
    投降の呼びかけに協力していた住民の証言。
    「その近辺からは相当荒れていたのでは、ちょっと雰囲気が変わっていた。前線将兵の気が荒れていましたね」
    海の中に逃げ込んだ女性の証言。
    死んだ人は逃げなくていいから羨ましいという。夫婦で自殺しにいく人を誰も止めない。亡くした姉の夢を何度も見たという女性。彼女は誰とも戦争の話はしたくなかったそうだ。
  12. 戦後70年の思い
    突然日本軍に動員された女性。いつ死んでもいいと爪と髪を切った。アメリカ兵はビールを飲みながら火炎放射をしていた。スパイ扱いもされた。