シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

テネシーワルツが流れる高倉健さんの映画・ 降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』

鉄道員(ぽっぽや)

鉄道員(ぽっぽや)

 

目次

高倉健さんの映画にテネシーワルツはずるくね?

『鉄道員(ぽっぽや)』は1999年6月に公開されました。シネプレックス幕張がオープンしたのが2002年。まだ幕張に映画館がなくて、千葉の古い映画館で見ました。

オープニングは汽笛とともに走るダイナミックな蒸気機関車D51。豪快に煙を吐き、蒸気機関がジュ、ジュ、ジュ、ジュと走ります。

石炭をくべる佐藤乙松(高倉健さん)。

そこに大竹しのぶさんのハミングで「テネシーワルツ」が流れます。

佐藤乙松(高倉健さん)と妻・静枝(大竹しのぶさん)の古い写真。

あれ、ずるくね?

「テネシーワルツ」と言えば高倉健さんの奥さんだった江利チエミさんの歌。

高倉健さんに「テネシーワルツ」をかぶせれば、江利チエミさんとの離婚、そして死とう悲しい出来事が脳裏に浮かぶ人は多いはずです。*1

「テネシーワルツ」は何度も登場してきますが、健さんは、脚本の段階から気にしていたようです。

東京に帰ってから健さんに「テネシー・ワルツ歌えますか?」って聞いたんです。 
 すると健さんはしばらく考えてから、「あんまり個人的すぎちゃって、ダメじゃないですか」と言うから、「僕らも歳だし、これで最後になるかも知れないから、もういいじゃないですかね……」っていうやり取りがしばらく続きました。

 ようやくクランク・インのときに、「健さん、あれで行きますよ」と

伝えたら「分かりました」と了承してくれたんです。

『永久保存版 高倉健 1956~2014』降籏康男「健さんと生きた57年」p63

高倉健さん ⇒ 江利チエミさん ⇒ 「テネシーワルツ」と連想する観客は多い思いますが、その連想がなくても、ゆったりとしたリズムの音楽はジーンと身に染みます。

I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz ・・・

見どころは「テネシーワルツ」だけではありません。

原作の浅田次郎さん、降籏康男監督、脚本の岩間芳樹さん、高倉健さんは何を描いのでしょうか。

この映画の見どころを紹介していきます。

ドラマはどんな構造をしているか

ドナルド・リチーの『映画のどこをどう読むか』を読みだしましたら、『戦艦ポチョムキン』は空間(場所)と時間が統一され、艦上か海岸に場所をとり、それ以外の場所はないという事が紹介されてました。

映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)

映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)

 

このことは放送大学の授業科目『舞台芸術の魅力』の「フランスの古典主義演劇理論」でも取り上げられていました。 

舞台芸術の魅力 (放送大学教材)

舞台芸術の魅力 (放送大学教材)

 

<3つの《単一統一性》の規則>が守られなければならない。*2

  1. 筋の《単一統一性》
    ただひとりの主人公の、単一の筋のみを持っていなければならない。
  2. 時の《単一統一性》
    できるだけ「太陽が一回りする時間内に」納められるべきである。
  3. 場所の《単一統一性》

『鉄道員(ぽっぽや)』が<3つの《単一統一性》の規則>を取り入れて作られていることに気が付きました。

筋の《単一統一性》

主人公は高倉健さん演ずる定年退職を迎える廃止寸前の幌舞駅長・佐藤乙松。

僚友の小林稔侍さん演ずる杉浦仙次はトマムのリゾートに再就職が決まり、乙松を心配するが、鉄道のこと以外は出来ないと頑固。

 彼の身に起こった奇跡が描かれる。

時の《単一統一性》

正月の何日間に3人の女児が訪れる。

乙松の過去も描かれるが回想として処理されている。

  • 娘の墓の前。
  • 病気の女児を駅から送り、遺体を迎える。
  • 具合の悪い妻を見送る。
  • 妻の死。行けない乙松。
  • 妻が17年間も待ち焦がれた子どもが出来たという報告。
  • 志村けん演ずる酒癖の悪い期間工の炭坑夫。炭鉱の事故で亡くなるが、その息子が食堂の養子となり立派なイタリアンシュフになる。

場所の《単一統一性》

基本的に「幌舞駅」。例外に「美寄駅」がある。小林稔侍さん演ずる杉浦仙次と息子が退職後の乙松を心配しているシーン。雪の中を走る列車なども例外。

<3つの《単一統一性》の規則>のメリットは何だろう?

正月の何日間に3人の女児が訪れるという奇跡がメインの話だ。それを《単一統一性》を無視し、全てを時間順、それぞれの場所で描けば、女児が訪れる奇跡は最後に固まったものになってしまい、散漫なものになってしまっていたでしょう。

なぜ乙松はあんなにも鉄道を大切にするのか

男の子は電車が大好きです。何歳まで電車が好きなのか個人差はあるでしょうが、鉄道マニアの大人も多いのです。

『鉄道員(ぽっぽや)』にはタブレットが登場します。これは単線での上り・下り列車の衝突を避けるためのもので、区間を決めて、このタブレットをもっている車両だけが区間に入れるようにするためのものです。

こちらに分かり易い説明があります。

こちらが「ウィキペディア」の説明。充実しすぎて膨大な情報量になり、「これがタブレット閉塞器だ!」の方が分かり易くなっています。鉄オタ恐るべし。

高倉健さん演ずる乙松はとても鉄道を大切にします。

どんなにさびれた駅でも、乗客が一人でも、いなくても、正確に時間通りに鉄道を運行させる。それが誇りでもあります。

使命感の強い乙松は、家族を犠牲にすることになります。

妻、子供が病気でも、代替え勤務の人がいなければ鉄道から離れることはできません。そのため、子供を失い・・・妻を失い・・・乙松は孤独な老後を迎えそうです。

小林稔侍さん演ずる仙次は、乙松と対照的に幸福です。妻がいて、息子はJRの幹部、孫も生まれ、トマムのリゾートに再就職が決まっている。乙松が面倒をみて、養子にまでしようと考えた志村けんの息子も立派なイタリアンシュフになっている。

高倉健さん演ずる乙松は、「オレはいいんだ」と、他人を羨ましがる素振りも見せません。そんな強い使命感の健さん。観客は「それでいいんだ」と応援します。そして、最後に訪れる奇跡を我がことのように喜びます。

しかし、なぜ乙松はあんなにも鉄道にこだわるのでしょう。妻、子供が病気でも、交代要員が見つからないと駆け付けることはできないのです。

臨終に間に合わなかった乙松。泣いてやれと非難されますが「おら、ポッポやだから身内のことで泣くわけにはいかんですよ」と涙を流します。

交代要員を探すシーンもなく、後から台詞で語られるだけに、よけいに乙松の使命感が悲しくなります。

大竹しのぶさんが妊娠を告げるシーンは名場面だ

大竹しのぶさんと言えばリアルな演技には定評があります。「ウィキペディア」の映画・受賞歴をみても、いかに演技の巧みな女優さんであるか、一目でわかります。

わたしの記憶に残っているのでは『男女7人夏物語』で、明石家さんまさんとの、喧嘩のような、ラブシーンのような、漫才のようなやりとりは見事なものでした。

それに対して、不器用がセールスポイントの高倉健さんが見事に絡んで名場面を作り上げています。

雪の中ひとりホームに立つ乙松は、妻がお腹に子どもが出来たと知らせに来たことを思い出します。

大竹しのぶさんの「テネシーワルツ」のハミング。大竹しのぶさんがニコニコしながらくる。

列車の雪を取り除いている乙松。

「どうしたの?」
「やっぱりだった、赤ちゃん」
「赤ちゃんよ」
「診療所の先生が」
「ほんとう? ほんとかよぉ」
「2ヶ月半だって」
「えー・・」
「キャハハ」と静枝、ホームから飛び降り、乙松に抱き着く。
「17年目だよ、あんた」
「人にみられるよ、勤務中だぞ」
「勤務中でもいい、大丈夫、大丈夫」
「よくないよぉ」
「あんたって人がわからなくなる。嬉しいなら嬉しいって、言ったらいいっしょう」
「やめろよぉ・・」

こんな芝居を「1:15:14」あたりから「1:19:27」まで、4分以上もやるんです。

静枝は17年も子どもが産めないことを気にしていたことを話します。
もう、乙松のところを明石家さんまさんがやってもいいくらい。

台詞は全部メモしましたけれど、紹介はこのくらいにします。

後は映画で名場面を観てください。

まとめ

降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』 について以下のことを紹介しました。

  • テネシーワルツが高倉健さんの奥さんだった江利チエミさんを思させること
  • フランスの古典主義演劇理論の 3つの《単一統一性》の規則に近い作り方であること
  • 鉄道好きで使命感・責任感が強い健さんが不幸になってしまうことについて
  • 大竹しのぶさんが妊娠を告げる名場面について

いい日本の香りのする映画でした。みなさんにも『鉄道員(ぽっぽや)』の素晴らしさを味わってほしいと思うのであります。