なぜ検見川神社は現在の場所に設営されたのか。
「見渡しのいい高台だから」という切り口が思い浮かびました。
海浜幕張に住んでいる人が階段を昇るトレーニングをするために検見川神社まで来ていました。海浜幕張は元々は海でしたから、平坦でトレーニングに向いた坂や階段がありません。それで、わざわざ検見川神社まで来ていたのです。
まだ海が埋め立てられなかったころは、沖合からよく神社の杜が見えたことでしょう。「素盞嗚尊 (すさのおのみこと)」に平穏無事を願った人たちが思い浮かんできます。
目次
神社は何を拝む場所なのか
神社とは、神道の神をまつる施設です。
日本固有の宗教である神道には、仏教やキリスト教のように開祖がなく、具体的な教えもありません。自然現象に対する信仰や畏怖から自然に生まれたものと考えられています。
神道が信仰する対象を具体的にいくつかあげてみます。
- 水神:命にとって大切な「水」が湧き出る場所、米を生む田への水路に感謝し、祈りを捧げる。
- 道祖神:村境にある。疫病や悪霊を防ぐ村の守り神。
- 雷神、風神:雷、強風への恐れ。
- 氏神:一族を守る神
- 偉人神:偉人を神として祀る。日光東照宮、乃木神社、さつまいもの昆陽神社など。
他にも、太陽、月、岩、巨木、富士山などの山、などにしめ縄をして神として崇めています。
検見川神社は何をまつっているのか
検見川神社は、昭和62年(1987)までは「八坂神社」という名前でした。*1貞観11年(869)に全国に流行した疫病を鎮めるため、「素盞嗚尊 (すさのおのみこと)」をまつる神社として設営されました。それはどんな神様かというと、《あらゆる災いなどを除き去る神様》として信仰され続けてきました。
八坂神社と名乗る神社は全国に76ヶ所もあります。*2「疫病退散、無病息災」を求めて多くの八坂神社が設営されており、検見川神社もその一つなのです。
検見川神社本殿には、他に次の2つの神がまつられています。
- 《宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)》
名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神。
「お稲荷さん」としてまつられることの多い。 - 《伊弉冉尊 (いざなみのみこと)》
多くの神々を生み出したことから夫婦和合、縁結びの神様
海を見渡せる高台に神をまつった
ここからは八坂神社を設営する場所として、なぜこの土地が選ばれたのかについて考えていきます。
「検見川神社 - Wikipedia」には、❝現在地から北隣の地は「嵯峨」と称され嵯峨天皇ゆかりの地として伝わっており、朝廷と関係のある土地であったと考えられている❞ と記述されていいます。
海を見渡せる高台
そもそも、なぜ《嵯峨天皇ゆかりの地》になったのかと考えると、海を見渡せる高台だったからではないでしょうか。
海浜幕張は埋め立てで出来た街です。元々は海でしたから漁も行われ、漁の無事を祈る神としてこの場所が選ばれたと考えるのが妥当です。
検見川神社には、40段の階段があります。
この階段はどのくらいの標高差があるのか。
右13.9mが階段を昇りきった場所の標高。左6.4mが階段下の標高。その差は《7.5m》あります。海浜大通りのZOZOマリンスタジアム前の標高が《3.9m》ですから、目立つ高い場所なのがわかります。
神社は海から近かった
1963年頃の空中写真を見ると、検見川神社のある場所は海から近かったことが分かります。
ウェブで過去の地形図や空中写真を見る (Leaflet版) 空中写真 [1963年頃]
右上の森が検見川神社。左下に港がありますが、そこから先は埋め立てられて現在は千葉と東京江戸川を結ぶ国道14号が走っています。この港から花見川河口までは約2.6kmあり、それは全て埋め立てられた土地です。
階段の断面図
国土地理院に「地理院地図 / GSI Maps」があり、その中に断面図を作れるツールがあります。そのツールで検見川神社の階段から旧花見川河口の港までの断面がどのようになっているかを切り取ったのが以下の図です。
一番高いところから階段下までは10m近くあるのが分かります。
検見川神社は沖からよく見える
検見川神社は高台にありますから、沖に行ってもよく見えたことでしょう。花見川を下った橋から、その様子を確認してみます。
埋め立て前の花見川河口にあった港から
花見川はもともと、犢橋あたりを水源とする小さな川でした。それが印旛沼の洪水対策と干拓を目的に、勝田川、高津川等を花見川へ流す工事によりできたものです。*4
コンクリートで固められた川岸、鉄やコンクリートで出来た橋、周りの住宅、電柱、鉄塔、それらがない小さな川でした。検見川の杜がよく見える様子が想像できます。
京葉線の側道「若葉第1号線」の橋から
奥に小高い検見川神社が見えます。千葉街道(国道14号)、東関道、真砂大橋がありませんでした。周りは海ですから、花見川河口の港がよく見えたことでしょう。
花見川河口にかかる美浜大橋から
現在の陸地の最南端です。中央奥に検見川神社の杜が見えます。
ビルも公園も橋もなく、花見川河口の港までは一面が海でした。
まとめ
検見川神社を紹介する記事を書きたいと思っても、Wikipedia の劣化コピーのようなものしか思い浮かばず、あきらめていました。
「見渡しのいい高台の神」という切り口から、まだ海が埋め立てられなかったころは、沖合からよく神社の杜が見えたのではないかと考え、検証してみました。
ポイントは、40段の階段です。
この階段はどのくらいの標高差があるのかを「標高ワカール 」で計測すると、その差は《7.5m》ありました。
1963年頃の空中写真をみると、神社は海のすぐ近くで遠く沖合からでもよく見えただろうことが分かります。
国土地理院の「地理院地図 / GSI Maps」で、検見川神社の階段から旧花見川河口の港までの断面を見ると、見渡しが良いことが分かります。
そして、実際に沖に行ってもよく見えたかどうか、花見川を下った橋からその様子を確認してみました。
科学が発達していなかった遠い過去の人たちが、幕張の沖合から見える「素盞嗚尊 (すさのおのみこと)」に漁の平穏無事を願っていたのだと思われました。
*1:参考「検見川神社 - Wikipedia」2022/09/13確認
*2:八坂神社 (曖昧さ回避):にある「八坂神社」を数えた。京都の八坂神社、検見川神社は含まれていない。2022/09/13確認
*3:android版「標高ワカール -山登り・防災のための高度計」、Windows PC版 「標高ワカール - パソコン用」