シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

ゼレンスキー大統領がウクライナで絶大な人気を誇る理由

f:id:sirocco:20220320063414j:plain

ウォロディミル・ゼレンスキー(wikipedia)」より 

ゼレンスキー大統領が注目を集めている

 2月24日、ロシアがウクライナへ侵攻し、現在も激しい戦闘が続いています。プーチン政権はウクライナの予想外な奮闘に苦戦しているとも伝えられ、ゼレンスキー大統領は民主主義陣営の先鋒として、注目度がぐんとアップしています。その理由を手短に説明すると以下のようになります。

  1. 「親ロシア」と「反ロシア」の対立の中から生まれた
    ウクライナはソ連崩壊により生まれた国で、複雑な背景を持っている。
    ウクライナ東部は「親ロシア」が多く、逆に西部は「反ロシア」多い。大統領選挙も「親ロシア」と「反ロシア」が対立を繰り返しており、その対立の中からゼレンスキー大統領が生まれている。
  2. 巧みなアピールによって支持を集めている
    コメディアン出身のゼレンスキー大統領は話術が巧みだ。TwitterやFacebookに写真や動画をアップし、「われわれは降伏せず、負けない。海や空などいかなる場所でも最後まで戦う」と主張し続けている。
    西側諸国に対しては、リモートで国会で支持を訴える演説を展開している。
  3. 人気ドラマの続きを演じている
    ゼレンスキーは政治風刺ドラマ『国民の下僕(Servant of the People)』を制作・放映して、大ヒットさせている。ドラマ・映画は理想の人物が描かれるが、その主人公がドラマから飛び出して、ドラマの続きを演じて実際に大統領になった。

 ここでは、「3」のゼレンスキー大統領がコメディアンであることに着目し、ドラマに描かれる理想を掲げながらプーチン政権のウクライナ侵攻にと戦うについてゼレンスキー大統領について書いていきます。

コメディ劇団「Kvartal 95 」

 ゼレンスキー大統領については、Wikipediaの記事「ウォロディミル・ゼレンスキー」が参考になります。(英語版「Volodymyr Zelenskyy(wikipedia)」)
 それによると、ゼレンスキーは父がコンピュータ科学者、母親がエンジニアというユダヤ教のインテリの家庭に生まれ、大学で法学を学びました。しかし、法律家の道には進まず、コメディアンになっています。

 ゼレンスキーは、17歳の時にロシアのコメディ番組『KVN』に参加して優勝しています。父が分離独立問題になっているドネツク国立経済貿易大学の教授であったことを考えると、ウクライナ問題がいかに複雑であるかが分かります。さらに、ゼレンスキーはテレビ番組制作会社「Kvartal 95 」を立ち上げ、テレビ番組を制作するようになります。

www.youtube.com (ロシアのバラエティ番組「KVN」に出演している芸人時代のウクライナ・ゼレンスキー大統領。)

 「Kvartal 95」の目的が「ユーモアと創造性という私たちが持っている道具の力を借りて、世界をより良い場所に、より優しく、より楽しい場所にすること」といいますから、ロシアの侵攻に対しても、ゼレンスキー大統領の目的は現在でも変わらず、世界をより良い場所にしようとしていることが分かります。

www.youtube.com(コメディ劇団「Kvartal 95」のゼレンスキー大統領)

ドラマの続きを演じて大統領になった

政治風刺ドラマの大ヒット

政治風刺ドラマ『国民の下僕』(Servant of the People)を制作して大ヒットさせたことが、ゼレンスキーが大統領になるきっかけとなります。

ドラマは、30代の高校の歴史教師(ゼレンスキー)が、授業で政府の腐敗を批判したところ、それを生徒が録画してSNSに投稿するとバスり、実際に大統領に選出されるというというストーリーです。ドラマ『国民の下僕』は第2、第3シリーズと続き、ゼレンスキーは現実に大統領になりましたから、今もドラマの続きを演じているようなものです。

政党「国民のしもべ」

ドラマを制作した「Kvartal 95」が中心になって、政党「国民のしもべ」が立ち上げられます。そして、ドラマの続きをイメージした宣伝を行うことによって、ドラマの世界を実現するゼレンスキー大統領が誕生することになります。

  • 大統領選挙 1回目の投票結果
    前大統領ポロシェンコ:17.8%
    ゼレンスキー:30.4%
    共に過半数には至りませんでした。

劣勢なポロシェンコは討論会を要求して、実務経験のないゼレンスキーのボロをあぶり出そうとしましたが、ゼレンスキーは拒否してきました。ところが、決選投票を前ににポロシェンコが討論会を挑むと、ゼレンスキーはスタジアムの大観衆を前に行うという条件で討論会が実現します。

話術の巧みなゼレンスキーは大観衆を魅了し、2019年3月31日の決選投票では 73.22% という驚異的な得票率を得ることに成功しています。

そして、政党「国民のしもべ」は2019年7月21日のウクライナ最高議会選挙で、定数 450 のうち 241を獲得します。

『国民の下僕』放映権の問い合わせが殺到している

ウクライナがロシアからの侵攻を受けるという悲劇に対し、ゼレンスキー大統領はNATOから海外での亡命政府を提案されても、キーウで戦うことを宣言しました。

破壊されたキーウをバックにして動画をSNSに投稿したことから注目を集め、世界中から放映権の問い合わせが殺到しています。

www.afpbb.com

コメディアンが大統領になる意義

ゼレンスキー大統領はコメディアンとして、その能力を発揮してきました。

政治風刺ドラマ『国民の下僕』には全裸で自転車を漕ぐシーンがあります。

www.youtube.com

股間でピアノを弾くコントも人気です(本当に弾いてはいないようです。こんないい音がでるはずないもの)。

www.youtube.com

そんなコメディアンが大統領になる意義はどんなところにあるのでしょう。

私の卒業研究に似ている

私は、放送大学の卒業研究として ❝『スミス都へ行く』における理想とは何か―喜劇と「民主主義の兵器廠」❞という論文をかきました。

スミス都へ行く(字幕版)

スミス都へ行く(字幕版)

  • ジェームズ・スチュワート
Amazon

『スミス都へ行く』は1939年に公開されたアメリカ連邦議会上院を舞台にしたコメディ映画です。誠実な理想家のスミスが新聞業界を牛耳る悪のテイラー一派と闘うという映画で、傀儡として上院議員に担ぎ出されたスミスが悪事を知り、フィリバスター(議事妨害)で「アメリカは誰もが差別されない自由と平等の国である」と主張するというものです。

映画には美化した理想のヒーロー像をスクリーンに描き、観客はそのヒーローに憧れ、感銘を受けるという一面があります。論文では映画に描かれた理想に着目して、それがどのようなものなのか、また、それは何を意味するものなのかを考察しました。

ここで気がつくのは『スミス都へ行く』の世界の対立と、プーチン大統領とゼレンスキー大統領の対立がかなり似ているということです。

f:id:sirocco:20220313170105j:plain

  • テイラーはニセ情報でアメリカのある州を牛耳っている。
    プーチンはニセ情報でロシアを統治している。
  • 手先派
    ペイン上院議員、ホッパー州知事などが封建的利益を求めて手先になっている。
    ロシアの高官も封建的なつながり。
  • 日和見主義
    ヒロインのソーンダース、新聞記者などはテイラーの悪事は知ってはいるが、この構造を破壊してくれる人物が登場しないかと期待はしているものの、自分だけの力ではどうすることも出来ず、知って知らぬふりをしている。現状は良くないと知りつつもテイラーと闘うことさえ諦めている。短期的にはその方が楽で得だからである。
    ロシアにも現実を知っている人は多くいると思われる。
  • 最下層の一般の大衆
    正確な情報を入手する手段がない大衆は、テイラーのニセの情報に扇動される。主人公である理想家のジェファーソン・スミスがこの大衆の中にいる状態から始まる。

コメディアンであるゼレンスキーがドラマの理想の世界から引き続き大統領になったことは、『スミス都へ行く』のジェファーソン・スミスが飛び出したことに相当します。

ロシアのウクライナ侵攻は、プーチン大統領が失脚するという形で終わってほしいという願いがあります。それにはロシア国内からジェファーソン・スミスのような人物が登場する必要があります。

そうなる可能性があるのでしょうか。

終わりに

ロシアがウクライナに侵攻し、現在も激しい戦闘が続いています。プーチン政権はウクライナの予想外な奮闘に苦戦しているとも伝えられ、ゼレンスキー大統領は民主主義陣営の先鋒として、注目度がぐんとアップしています。

それはゼレンスキー大統領が理想を描いたドラマから飛び出した人間だからです。

そして、プーチン大統領とゼレンスキー大統領の対立は、私が卒業研究の題材として『スミス都へ行く』の世界界によく似ています。

映画では連邦議会議場に独裁国家の視察団が二組視察に来ていて、スミスの闘いを見守るというシーンがあります。映画作者のフランク・キャプラは独裁国家にこそ見て欲しいと作った映画なのです。
『スミス都へ行く』は第二次世界大戦の前夜である1939年に作られた映画です。その対立構造が80年も経過してから表面化したことに驚いています。

ロシア国内からジェファーソン・スミスのような人物が登場してプーチンが失脚することを願うばかりです。