シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

有名作家の作品をレベルが低いとぶった切る強さ・福田和也『作家の値うち』

作家の値うち

作家の値うち

 

目次

小説の完全ガイドを目指して

ちょっと古い本ですが紹介してみます。この本は、現役作家の作品について100点満点で採点したブックガイドです。

出版当時に現役だったエンターテイメント、純文学、それぞれ50人の作家が取り上げられていて、作家に対する評価コメント、次に5本程度の小説が年代順に取り上げられ、それぞれが採点されて短評が書かれています。

 ロバート・M・パーカーJr. がヴィンテージワインの評論をした『ボルドー』という本があり、それと同じことを目指したのだそうです。シャトーを作家に、ビンテージワインを小説に当てはめた訳ですね。

ボルドー第4版 ロバート・M・パーカーJr. 著

ボルドー第4版 ロバート・M・パーカーJr. 著

  • 作者: ロバート・M.パーカーJr.,アーネスト・シンガー,オフィス宮崎,石垣憲一
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2004/12/10
  • メディア: 単行本
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本の最後にはINDEX(作品・評点一覧)があり、採点された574本の小説が点数順に並んでいます。一部を紹介してみます。

90点以上 世界文学の水準で読み得る作品

96点

  • 『仮往生伝試分』(古井由吉)
  • 『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)
  • 『わが人生の時の時』(石原慎太郎)

29点以下

「人前で読むと恥ずかしい作品。もしも読んでいたら秘密にした方がいい」と忠告され、渡辺淳一、伊集院静、大江健三郎、林真理子、小林恭二、丸谷才一、丸山健二、高橋源一郎など私も知っている有名作家の作品が低評価になっています。

それにしても、574本もの小説を読んで採点し、コメントをつけるのは大変な労力です。私にやれと言われても、読書が遅くていつ終わるか分かりませんし、ましてや採点など、とても出来ることではありません。

筒井康隆さんが純文学に分類され、高評価だったのは意外でした。江藤淳が手首を切って自殺したとき、自分が酷評された腹いせか、酷いエッセイを書いたのを覚えていたからです。福田和也さんは『奇妙な廃墟』で江藤淳に見出された人です。それでも、筒井さんを高評価したのですから、立派な批評家精神です。

小説評価の質は低下しているのか 

この本を書いた理由として、著者は「数年来、私は日本の文芸、とくに主説にかかわる評価の質がきわめて低下し、かつ乱れてきてことについて、危機感を抱くようになってきた」からだと言います。

「福田和也 site:https://ja.wikipedia.org/」として、Wikipediaに書かれている「福田和也」を検索すると、約 358 件ヒットします。Wikipediaの作家、作品に『作家の値うち』の評価が書き込まれたからで、この本の影響が大きかったのが分かります。

本当に、小説評価の質は低下し、乱れているのでしょうか。

当時、直木賞の選考委員をしていた「井上ひさしさんのWikipedia」を見ると、こんなことが書いてあります。 

直木賞選考委員(井上、林、五木、渡辺)は『作家の値うち(2000年刊)』で低評価を受けた作家の中にみんな入っていて、だからこそ選考委員は最低点だったある作家を同年の直木賞にすることで、著者の福田和也が批評家失格だと世間に認知させる必要があったらしい。記者会見に出席した井上は、受賞作家のことは脇に置いて福田を激しく非難したという。

これは、2000年12月に福田和也さんが出版した「『作家の値うち』の使い方」に書いてあったことのようです。

最低点だったある作家を同年の直木賞にすることで」とうのが気になります。

この本が出版されたのが2000年4月ですから、2000年7月の直木賞が該当しそうです。

2000年7月の直木賞は、船戸与一さんの『虹の谷の五月』と金城一紀さんの『GO』。

金城一紀さんは評価のリストにありません。

しかし、船戸与一さんは20点以下の測定不能とされ、8本の小説に酷評がついています。よほど読むのが辛かったのか、8作品を読了したときは、自分の職業的良心を強く感じたと言っています。 

批評家失格だと世間に認知させるために受賞させたのか。

流石にそれは勘繰り過ぎなのではないかと思います。

prizesworld.com

 このときの選考委員は11人。

宮城谷昌光選考委員は候補作6本のうち、船戸与一さんの『虹の谷の五月』を「■」と低評価しています。

同じ受賞作である金城一紀さんの『GO』を、阿刀田高さんは「■」にしています。

(記号は「◎」>「○」>「□」>「△」>「●」>「■」でいいの?)

絶対な定量評価は可能なのか

そもそも、芸術を絶対的に定量評価することは可能なのでしょうか。

夏目漱石はイギリスで文学を学びますが、イギリスで良いと言われる文学の良さが分からずノイローゼになってしまいます。そして、生まれた国の文化、人の感性によって文学に対する感じ方は違ってよいのだという考えになります。そして、自分の文学を作ろうと考える訳です。

今までは全く他人本位で、根のない萍きぐさのように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。

(略)

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的てつがくてきの思索しさくに耽り出したのであります。

 (青空文庫・夏目漱石『夏目漱石 私の個人主義』より)

 

テレビ視聴率のような数字を算出することは出来ますが、年齢、地域、学力、文化など、評価は人の感性によって違うと思われ、絶対評価は無理だと私は考えます。

最後に

文芸評論家、慶應大学教授である福田和也さんの『作家の値うち』を読みました。現役作家の作品について100点満点で採点したブックガイドです。読んだというより、感想の切り口を思いついたので、読み直しました。

読んで最初に感じたのは、福田和也さんの言っているのが全てではないだろうとうこと。そして、世の一流作家を相手に酷評を下すのは半端な勇気ではないと敬服しました。

敵になってしまった出版社もいるでしょう。

言葉を発して主張すれば、それを批判する人は出てくるものです。それでも、主張すべきだという勇気を貰いました。