シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

正吉が魅力的なのはアンチヒーローだから・『北の国から '84夏』

目次

『北の国から』は今でもファンが多い

 2021年3月に田中邦衛さんが亡くなったのをきっかけに、『北の国から』関連の動画を見るようになりました。そして、『北の国から』は今でもファンが多いのが分かりました。

    Youtube には、ドラマに感動したファンがロケ地を尋ねて紹介する動画が数多くあります。ぐっさん、小堺一機さん、コロッケさんなど、田中邦衛さんのモノマネをする芸人さんが多いのも、多くの人が『北の国から』の記憶が残っているからでしょう。私が、吉岡秀隆さんがの音楽に衝撃を受けたことをブログ*1に書いたのも、私が『北の国から』のファンだからです。

 Wikipedia「北の国から」の変更履歴を見ると、放送が終了して20年が経過した今でも 編集が続いています。それは、今でもドラマの感動が残っているからと言えるでしょう。

笠松正吉は人気がある

 今回、『北の国から '84夏』を視聴して、脇役の笠松正吉はドラマを支える重要なキャラクターですが、それは正吉がアンチヒーローだからと気がつきました。

アンチヒーローといえば、『ダーティハリー』のハリー・キャラハン刑事がいます。彼は連続殺人犯逮捕のためには手段を選ばないところがあり、過激に銃を撃ちまくります。それと同じように、正吉も目的のためには手段を選ばないところがあるのです。

 ねとらぼ調査隊が行った「あなたが北の国からのメインキャストで、一番味のある俳優だと思うのは?」というアンケートでは、意外にも笠松正吉を演じたを演じた中澤佳仁さんが3位にランクインしています。*2

 1位が主人公の黒板五郎、2位が息子の黒板純。ここまでは当然として、次が蛍を演じた中嶋朋子さんでもなく、雪子おばさんの竹下景子さん、清吉の大滝秀治さん、草太兄ちゃんの岩城滉一、中畑木材の地井武男さんでもないのです。

正吉を演じた中澤佳仁さんの生き方

正吉を演じた中澤佳仁さんの生き方も少し変わっていて、現在は役者を引退されています。

大人男子のライフマガジンMensModern[メンズモダン]」に「 北の国からの正吉役(中澤佳仁)の現在は?男気のセリフで人気の俳優だった」という記事があります。

  • 「北の国から」正吉役の俳優中澤佳仁さんプロフィール
  • 「北の国から」正吉の現在についてファンの方からの情報

参考にしてください。

 以下、なぜ笠松正吉は魅力的なのかを考えるため、描かれている正吉の特徴を読み解いていきます。

アンチヒーローの笠松正吉

どんなドラマか

 『北の国から '84夏』ではいくつかトラブルが描かれます。その原因は純にあるのですが、純は自分のせいではないとごまかそう、ごまかそうとします。それに対し、一緒にいた正吉が責任をかぶることになり、結果的に罪を正吉になすりつけたまま分かれてしまうことになります。
    正吉と別れるとき、純は走り去る列車を追いかけて「本当は自分に責任がある。卑怯で弱虫だから言えなかった」と叫ぼうとしますが、正吉は窓から顔を出すこともなく、列車は走り去ります。
 その帰りにラーメン屋で、純は「自分に責任があり正吉になすりつけていた」と五郎に告白します。

罪をなすりつけたことはないですか?

 私はあります。小学校4年のとき出来事がトラウマとして長く残っていました。
先生が学校の経費を集めていたのですが、出しそびれていました。お金をなくしてしまったからなのかも知れません。そうしたら、先生が経費が足りないことに気づいたらしく、ひとりひとりがお金をどのように渡したを話すことになりました。
    あぁ、どうしよう・・・順番になったら私がお金を渡していないことをいうしかない。そう思っているうちに、Tさんが話せなくなり、渡していないのはTさんということになってしまいました。
    ここでの私は純と同じように罪をなすりつけてしまったのです。

    今考えてみると、この先生かなり酷い先生です。経費を集めたかどうかは集める人が名簿を作りチェックするのが当然でしょう。この先生、クラスの生徒を並ばせて、「あんたこっち、あんたはそっち」といくつがのグループに分けたことがありました。5段階評価の調整をしていたのです。授業中に息子の自慢話をすることも多かったです。
    それでも担任の先生ですから、みんなで慕っていたのですから立場というのは怖いと今になって気が付きました。
 こう書いてみて、小学4年の私は純のように「卑怯で弱虫」だったのですが、先生の方が酷くて長年思い悩むほどのことではなかったのかも知れません。

笠松正吉の魅力

 なぜ笠松正吉は魅力的なのかを考えて行きます。

 笠松正吉は脇役ですが、ドラマを支える重要なキャラクターです。それは正吉がアンチヒーローだからと気がつきました。

独自のモラルを持っている

 アンチヒーローといえば、『ダーティハリー』のハリー・キャラハン刑事がいます。彼は連続殺人犯逮捕のためには手段を選ばないところがあり、過激に銃を撃ちまくります。それと同じように、正吉も目的のためには手段を選ばないところがあります

  世間のモラルはタイトですが、正吉のモラルはルーズです。笠松正吉は自分が大切な人のためなら、世間のモラルを破ってしまいます。

 そこで、正吉が努(つとむ)のパソコンを盗るという事件が起きます。正吉は自分がパソコンの本を欲しい訳ではありません。

 一方、東京生まれの純はパソコンを使える努に劣等感が生まれます。そして、みんながゲームに夢中になっているスキに断りもなく持ち出そうとするが、努に話しかけられ失敗します。

 正吉はパソコンに特別興味がなく、パソコンの本を盗るのは純が無断で借りようとしたのを目撃したから。正吉は純のためにパソコンの本を盗ったのです。

誤魔化そうとせず責任感が強い

 五郎が出稼ぎから帰ってくる日、丸太小屋が家事になるという事件が起き、後日交番での事情聴取が行われます。

    原因は、純がストーブの上の干網に濡れた衣服をよく乗せなかったからなのですが、責任を負いたくない純はのらりくらりと「原因は分からない」と言います。それに対して正吉は、《濡れた衣服が干網によく乗らなくてぶら下がっていた》のが原因かも知れないと言います。そこで、純の語りの声が「本当はぼくなんです」と言うが、実際は言わないままになってしまいます。
 あらすじを書くと単純ですが、倉本聰さんの脚本は見事です。事情聴取をする警官とのやり取りや、火事場を片付ける村人が「火の不始末をしたのは正吉らしい」と噂話が描かれて、卑怯で弱虫な純を追い込んでいきます。

ルーズなモラルとタイトなモラルの対立

 正吉のモラルはかなりルーズです。それに対する純のモラルは平均的日本人のようにタイトで、その二人の対立がさらに深刻な事態を引き起こします。

 イカダくだりをして沈没させてしまったとき、純と正吉は持ってきてしまった努のズボンを返すかどうかを議論します。返したほうがいいんじゃないかと言いながらも何もしない純。先にパソコンの本を盗ろうとしたにも係わらず、それを認めようとしない純。

 結果として、正吉は努のズボンを川に流してしまいますが、それは純が先にパソコンの本を盗ろうとしたことを認めないことから起きたものです。
    そして、正吉独自のモラルによる行動は純から理解されることはありません。純にとっては、余計なお世話。モラルや価値観が違うのですから。

正吉の死亡

 放送されたドラマでは、健在な正吉が描かれるが、倉本聰さんは舞台を原発事故のあった福島の浪江町に移した物語を語っている。

 『文藝春秋』2012年3月号に「頭の中の『北の国から』―2011『つなみ』」として掲載されている。*3

  • 正吉・螢一家は2004年から浪江町に移住。
  • 正吉は浪江町消防署勤務、螢は南相馬市の看護師。
  • 正吉は津波で行方不明になり、螢が半狂乱で探し回る

遺体は見つかりませんが、正吉は亡くなってしまうことを倉本さんは考えたようです。

「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」

クライマックスの名セリフ

 クライマックスの五郎のセリフは感動的です。

 純は「みんな正吉だ」と責任を正吉になすりつけます。それを見抜いた五郎は「悪いのはみんな正吉だな」と純に指摘しますが、純は自分に責任があること告げないまま正吉と分かれてしまいます。その帰り、ラーメン屋で純は「自分に卑怯で弱虫だった。自分に責任がある」と告白します。五郎は富良野に来た頃のやる気が無くなっていると純に指摘されていました。五郎は言うとおりだと純に理解を示し、五郎と純が打ち解けます。

 そのとき、ラーメン屋の店員さんが無造作にラーメンを下げようとしたとき、五郎が怒りを込めて言うのが「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」です。このセリフが名セリフなのは、Google検索でヒットする件数が多いこと、Yahoo!知恵袋で質問する人が多いこと、食ってる途中でしょうがラーメンまであることで分かります。

 「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」をGoogle検索すると 413,000件がヒットします。興味深いので検索上位の内容を簡単に紹介してみます。
 ニコニコ大百科では、3行でそのセリフが生まれた状況を説明しています。
 Yahoo!知恵袋では、「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」のシーンをYoutubeで見た人がなぜ有名なのかを質問しています。ラーメン屋のシーンだけでは分からないですよね。

 「"子どもがまだ食ってる途中でしょうが" site:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp」で検索すると、Yahoo!知恵袋には、64件「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」を使って質問しているのがわかります。

 他にもキーワードを追加して「子供がまだ食ってる途中でしょうが」を検索しているのがわかります。

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 検索する人が何を知りたがっているのかが分かり、興味深いものがあります。

    この中の「食ってる途中でしょうがラーメン」が登場する動画を見つけました。

www.youtube.com

倉本聰・倉本財団「麓郷街道記念桜並木をきれいにしよう」の2:41あたり。清掃終了後に「富良野とみ川」さんが「食ってる途中でしょうがラーメン」を振る舞っています。

なぜ、五郎はそんなに怒鳴るのか

 ラーメン屋さんの立場から言えば、閉店まぎわに来て、出されたラーメンも食べずに延々と話込んでいる。「店を閉めますから」というと金を払ったのでラーメンをさげる。それだけのことです。

    しかし、五郎にとっては大切な時間でした。純と五郎のわだかまりが溶け、親子が分かりあえた大切な時間です。静かに感傷にひたっていたい時間でした。その神聖な雰囲気の空間を壊されたことに対する怒りが込められています。

 五郎が怒りを込めて怒鳴るのは理不尽で、ラーメン屋さんに対して失礼なことです。五郎はそれを知っていますから、蛍と割れたラーメンの丼を片付けるときに、気まずくもあり、情けない雰囲気が漂うのです。

終わりに

 放送大学「世界文学の古典を読む(8)スペイン2『ティラン・ロ・ブラン』」でアンチヒーローという言葉を知りました。セルバンテスは騎士道小説をアンチテーゼとして『ドン・キホーテ』を書き、主人公を徹底的なアンチヒーローとした。主人公は騎士道小説を次々と批判するが、『ティラン』は称賛されるという話です。

 そのとき、『北の国から '84夏』の笠松正吉はアンチヒーローなのではないか。だから魅力的なのではないかと思いつきました。そこで、「アンチヒーロー」をキーワードに、なぜ笠松正吉は魅力的なのかを考えてみました。

 正吉は、ルーズな独自のモラルで行動します。純にとっては迷惑なことでもあります。正吉は、誤魔化そうとせず責任感が強いという一面もあります。このルーズなモラルの正吉とタイトなモラルの純が対立し、さらに深刻な事態を引き起こします。

 そして、そのことが「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」というクライマックスの名セリフを生むことになります。

 今回、この記事を書くために『北の国から '83冬』と『北の国から '84夏』をレンタルし、図書館から『北の国から '84夏』を借りて読みました。

名作は、考えることの切り口を多方面から考えることが出来ます。

私が『北の国から 』を観たのは『北の国から '87初恋』からで、連続ドラマも観ていません。第1話からじっくりと観たくなりました。