シロッコ手習鑑

高卒シニアが放送大学の心理と教育コースで学んでいます。人間と文化コースにも興味があります。学んだことを基に自分の考えを組み立てて伝えていきたい。

「渡辺淳一文学館」を訪ねて知った天才少女画家・加清純子さんとの恋愛と自殺の衝撃

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目次

札幌には「渡辺淳一文学館」があるぞ

6月29日。面接授業「イーストウッド映画を観る」を受講しに札幌に行く朝、「渡辺淳一文学館」が20周年を迎えたというニュースを目にしました。

渡辺淳一さんが話題になった記憶があります。国内初の心移植手術が行われ、脳死判定の問題から殺人罪で告発される事件があったのですが、渡辺淳一さんは、それをモデルにした「小説心臓移植」を書いたからです。 

渡辺淳一作品集〈第2巻〉富士に射つ.小説心臓移植 (1980年)

渡辺淳一作品集〈第2巻〉富士に射つ.小説心臓移植 (1980年)

 

整形外科医師として在籍していた医科大で行われた日本初の心臓移植手術に対し、学内にありながら疑義を呈したため、大学を去ることとなり、筆一本で生きていくことになった。

 (Wikipedia「渡辺淳一:活動・主張」より)

『リラ冷えの街』、『無影燈』など、何冊か小説も読みました。

その渡辺淳一さんの文学館が札幌にあり、20周年を迎えたというのです。寄ってみたくなりました。

「渡辺淳一文学館」で知った渡辺淳一文学の原点

市電で「中島公園通駅」から「渡辺淳一文学館」へ。

受付で「NHKニュース おはよう日本」を見たことを話します。しかし、私以外の来館者は2、3人しかおらず、反響はなかったのでしょうか。

カメラによる撮影は、1階なOK。2階がNGとのことです。

1階は渡辺淳一さんの本と、渡辺淳一さんが話すビデオの展示が中心。2階はガリ版印刷の同人誌、生原稿などが展示されていました。直木賞受賞祝賀パーティーの出欠を返事したハガキまで展示されていて、「こんなものまで展示するの?」と意外に感じました。

広げられた同人誌が展示されていました。高校時代に恋愛関係があったという天才少女画家・加清純子さんの作品です。それには衝撃を受けました。

以下、うろ覚えなのですが、こんな書き出しだったと思う。

「二重セックス」
〇〇は生まれて初めて美しくなりたいと思った。

 ガリ版で〇〇のところはよく見えませんでした。10代の女子高生が「二重セックス」というタイトルの文章を同人誌に書いている。それも、戦後まもないころにです。そして、彼女は高校三年の春、阿寒湖を見おろる場所で睡眠薬を服薬し、凍死しています。

「渡辺淳一文学館」にある略歴年表の一部を引用してみます。

  • 昭和8年 北海道空知郡砂川町(現 上砂川町)に生まれる
  • 昭和21年 (13歳) 札幌第一中学校入学。国語教師を通じて文学に触れる。
  • 昭和25年 (17歳) 札幌南高等学校時代。のちに『阿寒に果つ』のモデルとなる女生徒と出会う。
  • 昭和27年 (19歳) 北海道大学理類に入学。
  • 昭和29年 (21歳) 札幌医科大学医学部に入学。処女作『イタンキ浜にて』を発表。
  • 昭和32年 (24歳) 同人雑誌「凍檣」に参加。(6月号より「くりま」と改称)
  • 昭和34年 (26歳) 整形外科学を専攻し、医師国家試験に合格。『境界』で道内文芸同人誌秀作選考。『人工心肺』がテレビ・ドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映される。
  • 昭和39年 (31歳) 『華やかなる葬礼』で道内同人誌秀作に選考。
  • 昭和40年 (32歳) 『華やかなる葬礼』を改稿した『死化粧』で第12回新潮同人雑誌賞を受賞。
  • 昭和41年 (33歳) 『死化粧』が第54回芥川賞候補となる。
  • 昭和42年 (34歳) 『霙』が第57回直木賞候補となる。
  • 昭和43年 (35歳) 『訪れ』が第58回芥川賞候補となる。
  • 昭和44年 (36歳) 札幌医科大学講師を辞職。
  • 昭和45年 (37歳) 『光と影』で第63回直木賞を受賞。

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「小説心臓移植」を書いたことで、渡辺淳一さんは医大に居場所がなくなり上京します。しかし、その前にあった加清純子さんとの恋愛と自殺は、渡辺淳一さんの生き方に大きな影響を与えたのではないか、そう、思いました。

加清純子さんとはどんな女性だったのか 

自宅に戻ってから、「加清純子」さんについて検索してみました。

約 709,000 件がヒットし、雄阿寒ホテルから失踪した新聞記事、渡辺淳一さんと並んだ写真が表示されます。

渡辺淳一さんは、日経新聞「私の履歴書」に自分の半生を描いていて、そこに加清純子さんの話が登場します。

  • 渡辺淳一(8) 女生徒から手紙 戦後の共学化は楽園 「誕生日祝ってあげる」驚く
    公立の男子校と女学校が合併し、クラスの半数が女子生徒になります。そのなかに加清純子という女生徒がいたのです。

    色白で肺結核だといわれ、中学生のときから、天才少女画家として有名。デッサン会や東京の展覧会に行くなどと勝手に休んでいた。彼女だけ別格扱い。

  • 渡辺淳一(9) 純子の誘惑 ほろ苦かった初デート 会話ままならず、自責の念
  • 渡辺淳一(10) 雪像を染めた血 純子が吐血、告白決意 届かなかったラブレター
    加清純子の提案で、クラスで「考える人」の像を作ることになります。といっても、ほとんどの生徒はどんな像かわからない。一人去り、二人去り、加清純子だけになる。窓から渡辺淳一さんが様子を見ていると加清純子は血を吐いて倒れる。ラブレターをわざと落として、見せびらかしたのではないかと言う疑惑。
  • 渡辺淳一(11) 図書館での逢瀬 ためらいつつ初キス 受験控え会えない日々へ

    窓の近くでかすかな音がしたような気がして、カーテンを開けると、真っ赤なカーネーションが一輪置かれていた。

  • 渡辺淳一(12) 阿寒湖畔の死 ミステリアスな最期 遺書代わり、7人の男に花
    1月下旬。加清純子さんは阿寒湖畔で失踪し、4月になって遺体となって見つかります。

    そして、札幌医科大学の教授に、彼女が描いたという油絵の自画像を渡され、彼女とは肉体関係があったことが告げられます。さらに、彼女の肺結核は偽りで、演じていただけとも。
    7人の男性の家の前に赤いカーネーションを置いて行ったことがわかる。

Wikipediaにも記述があります。

このとき、加清純子は岡村を保釈するために奔走し、釧路刑務所で岡村と面会した後に、行方不明となり阿寒湖畔を経由する道で死体として発見された。(「岡村昭彦 - Wikipedia」 より)

なんという女性なのでしょう。男性からはモテモテ。しかし、寄ってくる男性は翻弄しまくる。小悪魔と呼ぶのにぴったりの女性のようです。

facebookに「加清純子のファンページ」があります。興味のある方は読んでみてください。

なぜ、彼女は死を選んだのか

渡辺淳一さんは、加清純子さんとの恋愛と自殺について、「阿寒に果つ」という小説を書いています。 

阿寒に果つ (中公文庫)

阿寒に果つ (中公文庫)

 

阿寒湖を見下ろす雪の峠で、天才少女画家・時任純子は美しい遺体となって発見された。十八歳という若さで、彼女はなぜ自ら死を選んだのか。彼女が一番愛したのは誰だったのか。彼女に深く関わった六人の視点から描き出す、少女の鮮烈な人生。愛と死で華麗に彩られる渡辺文学の礎となった自伝的小説。

 (アマゾン「商品の説明」より)

また、加清純子さんの死についてはこんなブログもありました。

渡辺淳一さんは医師である強味を活かして作家として注目を浴び、野口英世を描いた「遠き落日」のような評伝も書きました。そして、ベストセラー「失楽園」に代表されるゆな男女の愛と性を描くようになります。

医療や評伝は事実が大きな位置を占めますが、男女の愛と性は作家自身が「美学」を打ち立て、それに基づいて描いていかなければなりません。

「渡辺淳一文学館」のビデオで、渡辺淳一さんが「失楽園」のラストについて話していました。

失楽園

失楽園

 

究極の男女愛はどこをゴールとすべきなのか。結婚は、その後も雑多なことがあり、最も美しいゴールではない。渡辺淳一さんが用意した究極の答えは、愛し合った男女が性交し、エクスタシーに達したと同時に死ぬことだと定義しました。

これをゴールに小説を構築する。青酸カリの致死量と時間を調べる。こう書いてしまうと、なんてバカなことに労力を注いでいるのだと思うかも知れませんが、「失楽園」は300万部を突破し、映画化もされています。

近松門左衛門が描いた男女の情念の世界へ舵を切ったことは、書く作業としては大変なことであっても、永遠のテーマへ挑んでいく王道のようなものであったと思います。

まとめ

面接授業を受講するため札幌へ行く朝、文学館があることを知り、「渡辺淳一文学館」を訪ねました。二階で見た加清純子さんの同人小説「二重セックス」。これには衝撃を受けました。
帰ってから、加清純子さんについて調べると、天才少女画家であり、7人の男性と交際があった自分を演出する小悪魔のような女性であることも分かりました。

渡辺淳一さんは医師である強味により注目を浴び、評伝も書きました。そして、男女の愛と性を中心に描くようになりました。

その原点は、加清純子さんとの恋愛にあったのではないか、そう、思ったのでした。