永山則夫の「無知の涙」を思い出した
神戸連続児童殺傷事件加害者の少年Aが「絶歌」という手記を出版したそうです。そして、怒りを意志表明したブログが書かれました。
そのことに対して、以下のエントリが書かれ、様々な反応がありました。
それで思い出したのが、少年のときに連続ピストル射殺事件を起こした死刑囚・永山則夫が書いた「無知の涙」。分厚いざら紙の本だったと記憶しています。
書いてあった内容は、まとまったエッセイのような形にはなっておらず、ノートに書きなぐったメモのようなものだったような気がします。
下のレビューが昔読んだときの印象を思い出させてくれます
「資本論」や雑多な哲学書などを読破した結果覚えた難解な言葉がやたらにノートに出てくるのですが、難しい言葉を使っている自分に酔っているよような文章です。ただし、それは裏返すと、小学生の頃から学校を休みがちで勉強らしい勉強をしてこなかったそれまでの人生の中で、初めて「知」に触れた喜びや学ぶことの楽しさの感情表現の一形態であることが本を読み進めていくにつれてよくわかります。
高校を卒業して間もなく。本が好きだった私は、永山則夫を変にうらやましく感じたのを覚えています。刑務所に入ってたっぷり時間があり、好きなだけ本が読める。そして、憧れの本まで書いているからです。
その後、彼は獄中で小説も書き、「木橋(きはし)」で文学賞を受賞しています。
少年Aが書いた「絶歌」との違い
私が「無知の涙」を読んだとき、彼が起こした殺人事件については、詳しくは知りませんでした。事件は私が高校生のころに起こしたもので、リアルタイムではなかったのです。「連続ピストル射殺事件」は本を書いた永山則夫の派手な肩書のように感じていました。
少年Aが書いた「絶歌」について、出版そのものについて、是か非か、議論が分かれています。読んだ人の話を聞くと「無知の涙」とはずいぶん雰囲気が違うようです。事件の背景にも時代を感じます。永山則夫の事件は貧困から生まれ、元少年Aの事件は猟奇的な印象でした。
では、少年Aはこの本を書くべきだったのでしょうか。書くことは考えることですから、書いて良かったと思います。
では、出版すべきだったのでしょうか。出版が前提でないとなかなか書けないでしょうから、出版すべきでしょう。
私が想像するに、本人も、周りの大人も、出版社も、批判されるのは予想していたと思います。
本を書いて、出版して、それなりの批判や感想があるのは、評価すべき出来事だと思います。
ただ、みなんさんの感想を聞くいて、私は読まなくていいや、と思ってしまいました。猟奇は理解できないでしょうし・・・。
もし、少年Aの刑がもっと重かったら、永山則夫のような心境まで到達したのかも知れません。少年Aの心理が読者の納得がいくように説明されているとしたら、是非読んでみたいものです。
2015/06/14 追記
記事を書いて一日がすぎました。フツフツと脳裏に湧いたもの追記しておきます。
- 匿名のままでよいのかとう疑問。現在は少年ではないのだから、少年法の適用は受けません。自分の発言には責任を持つべきです。批判があるかもしれませんし、賞賛があるかもしれません。
- 加害者が事件を利用して利益を得るのはまずい。日本では一人殺しても死刑になりません。それを利用して本を書いて売れば売れるぞという屁理屈を言うことが出来ます。