高倉健
高倉健さん主演の『四十七人の刺客』を見ました。しかし、少しも高倉健さんらしくありません。出演作にこだわる高倉健さんが、なぜ『四十七人の刺客』に出演したのか? この映画には出演しなかったほうがよかったのに・・・。
2001年に公開された『ホタル』を観ました。高倉健さんが出演する映画は「健さんの映画」でなくてはなりません。この映画を観終えて感じたのは、よくもこんなに複雑で難しい問題を「健さんの映画」に出来たものだということです。
テネシーワルツが流れる降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』をみました。高倉健さん演ずる乙松はとても鉄道を大切にします。どんなにさびれた駅でも、乗客が一人でも、いなくても、正確に時間通りに鉄道を運行させる。それが誇りでもあります。
高倉健さんが最後に出演した映画は降旗康男監督の『あなたへ』です。自分の胸がスパークする映画だけに出演したといいますが、簡単にそんな脚本とは出会えません。高倉健さんが待ちに待ち、選びに選んだ映画のテーマは何だったのでしょうか。
高倉健さんの出演した映画はどんな役名でも、「高倉健」というキャラクターでした。東映時代は1年に10本以上撮影し、そのうちベストテンに4本も入るという人気ですが、東映を退社してからは、出演する映画が極端に少なくなります。
高倉健さんの出演した映画はどんな役名でも、「高倉健」というキャラクターでした。そのキャラクターはいつから作られ始まったのか。 マキノ雅弘監督の『日本侠客伝』(1964年)から、というのが私の答えです。
高倉健さんのデビュー作を見ました。高倉健さんと言えば、礼儀正しく、無口でストイック。不器用だけれども、意志が強いイメージですが、この作品では人格として考えると若くて暴走しやすく、晩年の「高倉健」にはほど遠いイメージです。
新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とした『八甲田山』について書きます。撮影監督の木村大作さんが、兵隊が雪の中で死んでいくだけではヒットするとは思えなかったそうです。ところが大ヒット。どこに魅力があったのでしょう。
高倉健さんと言えば「仁侠映画」「ヤクザ映画」。そのシリーズが始まる切っ掛けとなったのが『人生劇場 飛車角』(1963年)です。 仁侠映画の登場人物はどんな価値観で行動するのでしょうか。それを考えていきます。
ブログ記事を書くために「高倉健」で検索すると、高倉健さんを称賛するコメントが沢山ヒットしました。 高倉健さんに関する美談のエピソードは数限りなくあります。 日本人が求める理想像は高倉健さんなのではないかと思いました。
TBSラジオで放送されていた『伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう! 』の第1回放送は玉袋筋太郎さんがゲストでした。彼が紹介していたのは山田洋次監督の『遙かなる山の呼び声』でした。私の大好きな映画です。