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健さんが『四十七人の刺客』に出演した不思議
高倉健さんはどんな役を演じても「高倉健」だったと言うことを書きました。
高倉健さんは、自分の胸がスパークする映画だけに出演していました。新しい企画を提案しても簡単には応じませんでした。
独立後の健さんは、プロデューサーが新しい企画を提案しても簡単には応じませんでした。 どんな映画になるかが決まるまでに一年、それから最初の脚本を渡して修正を加え、最終的なOKが出るまでにまた二年も三年もかかるといった具合です。
『永久保存版 高倉健 1956~2014』「独占インタビュー・降籏康男 健さんと生きた57年」p61
記者がインタビュー記事を書くのにも丁寧なメールをやり取りをして、気持ちの通じた記者にに取材に応じていました。
『初恋の来た道』の張芸謀監督でさえも、企画を実現させるためには6年もかかっています。何種類ものシノプシスを送り、ようやく実現させたのが『単騎、千里を走る。』です。『英雄 ~HERO~』にも張芸謀監督から出演依頼があったそうですが、断っているそうです。*1
それほど出演作品を厳選する高倉健さんなのですが、この『四十七人の刺客』は、少しも高倉健さんらしくありません。なぜ『四十七人の刺客』に出演したのでしょうか?
マキノ雅弘監督も「健坊(高倉健のこと)は、大石内蔵助のような役は向かない」と言っているそうです。*2
私も、この映画には出演しなかったほうがよかったと思いました。
それはどんな理由からなのでしょう、私の考えたことを書いていきます。
健さんには髷が似合わない
この映画はいわゆる「忠臣蔵」、赤穂浪士が吉良上野介を討ち取る話。高倉健さんが演ずるのはもちろん大石内蔵助です。
しかし、髷が少しも似合っていません。
『単騎、千里を走る。』のハンチングは素敵です。
『八甲田山』、『動乱』、『鉄道員(ぽっぽや)』の帽子も決まってる。
だけど、大石内蔵助の髷は似合わないと思うのです。
健さんが本格的に時代劇に出演するのは、「宮本武蔵 巌流島の決闘」(65、監督・内田叶夢)以来のこと。「髷をつけるのが苦手で、似合わない」との理由から時代劇への出演は断り続けてきたとのことだが、武士姿はビシッと決まり、風格・貫禄共に立派な大石内蔵助になっている。
『高倉健メモリーズ』P161
「四十七人の刺客」撮影ルポの八森稔さんは「武士姿はビシッと決まり」と書いていますけれども、「違うなぁ・・・」と感じました。
高倉健さんは、 身長が180cm、体重71kgと抜群のスタイルです。デビュー作の『電光空手打ち』に出演が決まったのも、上半身裸になった肉体がよかったから。馬か何かを見ている雰囲気だったと言っています。*3
『日本侠客伝』の着物姿も胸元が閉まっているより、はだけた方が恰好いい。
『四十七人の刺客』のきっちりとした着物姿はイマイチ・・・。
健さんに時代劇のセリフは似合わない
高倉健さんは映画俳優希望ではありませんでした。美空ひばりさんのいた事務所でマネージャとして働こうとしました。それが、面接を受けようとしたところをスカウトされ、お金のために映画俳優になりました。
ところが、俳優座演技研究所でのレッスンは散々なものでした。
「みんなが白い目で見るんです。バレエやってもみんなが笑うし、日本舞踊やっても、またみんな笑う。そのうちみんなが笑って授業が進まないからって、僕は見学になってしまったんですよ。屈辱の毎日が続きました」
『健さんを探して』p45
セリフのカットも指示されています。
話すよりその立ち姿に魅力がある、と踏んだ京都撮影所長の岡田は台本に目を通しては「どんどん(高倉健のセリフを)カットしろ」と指示していた。
『健さんを探して』p53
しかし、 高倉健さんは名演技をするようになります。
高倉健さんは演技をする方ではないと思うんです。ありのままの高倉健でいながら、自分に被せられて演じる役をつくりものでなく表現される。いつも高倉さんの人生観みたいなものがバックボーンにあって、それを役に投影させているんです。だからどの映画を観ても高倉健という俳優なんだけれど、そこに出てくる役の人間にすり替わって見えてくるんです。これは俳優として一番理想的なことだと思いますね
『高倉健メモリーズ』奈良岡朋子インタビュー P187
しかし、間が長くて、途切れ途切れに話す時代劇のセリフは高倉健さんに合いません。ありのままの高倉健で大石内蔵助を演じようとしても無理があります。それは、江戸時代であっても、現実には時代劇セリフのように間を長くとって、途切れ途切れに話すようなことはなく、いくら高倉健さんが大石内蔵助になりきろうとしても無理があったと思うのです。
大石内蔵助は歌舞伎出身の役者さんがやれば、似合うのではないでしょうか。
愛人が何人もいる役は健さんに似合わない
現実の高倉健さんがどうであれ、健さんと言えば、「礼儀正しい、寡黙、ストイック、不器用だけれども真摯」というイメージがあります。
それは、高倉健さんがスターシステムから生まれた日本で最後のスターであったこと、スターシステムが崩壊しても、私生活を公開せずに出演作品を厳選することで「高倉健」というイメージを高めてきました。
それが、この映画では何人かの愛人が登場します。
- 黒木瞳さん演ずる「きよ(旧赤穂藩士の未亡人)」を風呂場で抱きしめる。
- 宮沢りえさん演ずる「かる」
・筆屋で「かる」と文字を書いて渡す。
・川の水を掬って飲ませてもらう。
・妊娠を告げるシーン
「きっと・・・きっと・・・かえって来ておくれやす・・・うちはやや子を生みますさかい」
「え?・・・」
「この間から身体の具合がおかしいと思いましたら、やや子が出来てのつわりどした」
石倉三郎さん演ずる瀬尾孫左衛門に300両を渡し、土下座をして「かる」と生まれてくる子の一生を見てやってくれ」と頼む。
大石内蔵助にお妾さんがいたのは事実のようです。
史実でも大石は妻を実家に帰してから身の回りの世話を頼んだ京都の二条京極坊二文字屋の娘可留(かる)という妾に手を出し、孕ませている。可留は元禄15年当時は18歳だと伝えられるが、生まれてきた子供は性別すら分かっていない。大石は赤穂藩の藩医の寺井玄渓に可留の子供を養子に出すよう頼んでいる。
また大石は、赤穂時代にもやはり妾を孕ませていた。
(Wikipedia「忠臣蔵」より)
また、映画は一本、一本独立しているのだから、「高倉健」というイメージにこだわるなというのも分かります。しかし、 お客さんは「高倉健」を見に来るのです。
- 『四十七人の刺客』が公開されたときの高倉健さん 63歳
実際の討ち入りをしたときの大石内蔵助 44歳
万治2年(1659年)生まれ ・討ち入り元禄15年12月14日(1703年1月30日) - 公開当時、かるを演じた宮沢りえさん 21歳
実際のかる 18歳
高倉健さんと宮沢りえさんのラブシーンには無理があります。
この映画はどう評価されたか
『四十七人の刺客』を見ましたけれども、少しも高倉健さんらしくありません。
高倉健さんが、なぜ『四十七人の刺客』に出演したのか。完成された映画からは想像することができません。この映画には出演しなかったほうがよかったと思っています。
なぜ出演したのか、こんなのを見つけました。
妻のりく(浅丘ルリ子)さけでなく、きよ(黒木瞳)、かる(宮沢りえ)などとも情を通じており、これまでの高倉のイメージにないキャラクターで、オファーされて当初は「髷をつけるのが苦手で似合わない」と固辞していたが監督に説得された。
『高倉健メモリーズ』高倉健全作品・独立時代(轟夕紀夫)p342
断りきれなかったようです。
この映画の評価がどうだったかを紹介します。
- 第68回キネマ旬報賞
助演男優賞(中井貴一) - 第18回日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞(中井貴一)
最優秀美術賞(村木与四郎)
最優秀録音賞(斉藤禎一・大橋鉄矢)
最優秀編集賞(長田千鶴子)
優秀作品賞
優秀監督賞(市川崑)
優秀脚本賞(池上金男・竹山洋・市川崑)
優秀主演男優賞(高倉健)
優秀音楽賞(谷川賢作)
優秀撮影賞(五十畑幸勇)
優秀照明賞(下村一夫)
日本アカデミー賞の評価が高かったようです。