(「White BG:江戸時代の和本/古文書」を加工)
目次
百姓の実像を知りたくて
10月26日・27日と神奈川学習センターで行われた面接授業「古文書から読み解く百姓の実像」を受講してきました。神奈川学習センターはお初です。千葉、埼玉、文京、北海道、鹿児島と経験して、6つ目の学習センターでした。
この授業を選択したのは、映画評論家・佐藤忠雄さんの『映画の真実』を読んだことから始まります。
この中に『郡上一揆』の宣伝パンフレットに書かれた神山征二郎監督の言葉が紹介されていました。
孫引きになりますが紹介します。
明治は江戸時代を否定するところから出発せざるを得なかったので、様々な分野で江戸に目隠しをしてしまった。百姓のこともそのひとつだと思う。しぼり取られ、地を這い、足で踏みつけられるだけという百姓像は間違いで、文にも武にも長け法律をよくし、納税者の誇りを持つ毅然たる者たち、それが我らが祖であった。ボロを着て、粗食に甘んじ、それでも断じて人間の誇りを捨てなかった者たちのことを映画にしておきたかったのである。つまり、百姓こそが格好いい!
『映画の真実』P26
私が知っている江戸時代の百姓は、明治政府のプロパガンダが含まれています。これは現実よりもイメージが歪んでいるぞ、そう痛感したからです。
それと、「庚申塔」について調べたときに気付きました。江戸時代と言えば悲惨なイメージばかり持つが、それは正しくなかったのです。
江戸時代、庚申信仰が盛んで、庚申の夜は一晩中起きていなければなりませんでした。
そんなとき、昔の人はどんなふうにして夜を過ごしたたのか。みんなが集まって将棋をしたり、成田山やお伊勢参りをしたときのこと、いろんな話をしていたんだと思います。
『枕草子』にも庚申待の話が登場します。落語にも庚申待の話があります。
それに、お祭り、盆踊りと、今よりも地域の行事がたくさんあったはずです。
こんなことで、江戸時代の百姓実像を知りたいと思っていたのです。
面接授業で学んだこと
講師は田上繁神奈川大学名誉教授。専門は日本経済史で、江戸時代の幕藩体制の構造について研究者をされています。
横浜市港南図書館で開かれた講座の動画があります。
簡単に学んだことの一部を書いてみます。
従来の百姓像の捉え方
まず、百姓と農民は違という話。百姓は差別語でもなんでもない。百姓が農民のことを言うようになったのは明治時代からです。
木工、炭焼き、廻船、鉱山の採掘・・・百姓にはいろんな職業が含まれていました。
歴史研究による実証分析の結果、教科書などの記述が「農民」から「百姓」へ変化している例が示されました。
寺子屋で学ぶ百姓
寺子屋で子どもが書いた文書が残されています。
まぁ、達筆です。美しく書けたものを残したからでしょうが、驚くほど見事です。
面白かったのは、江戸時代の人は楷書を読み書きできなかったということ。くずした草書で読み書きを学ぶからです。
江戸時代の女性像
戦国時代に来日したイエズス会の宣教師であるルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』が紹介されていました。
- 日欧文化比較 - Wikipedia
第2章 - 女性とその風貌、風習について
68項目が挙げられている。ヨーロッパと違い、日本では処女の純潔を重んじないという当時の風潮に驚いたようである。これは項目の1で挙げられている。またファッション的な表面の部分について、日本の女性が黒髪を維持することに努める点やピアスやイヤリングを用いない点がヨーロッパの女性との違いであるとしている。
家督については長男が相続するものという常識がありますが、男女を問わずに第一子に家督相続されている資料の解説がありました。この資料は千葉県の大網白里の市史を編纂するために調査したときのもので、この風習は茨城あたりまであったのではないかということです。
女性の地位は想像しているよりも高いものでした。三下り半の離縁状も女性から要求されて書いたものもあります。
離別一札の事
一、今般双方勝手合を以及離
縁 然ル上者其元儀 何方縁組
いたし候共 私方に二心無
依之離別一札如件亥十一月廿四日 長吉
おせいとの
(Wikipedia「離縁状」より)
愛想が尽きたから離縁すると言うのもありますが「他の誰と結婚してもいいよ」と言う証拠の役目があったようです。
離縁状が二通もある女性がいて、その後も結婚していれば、少なくとも3回は結婚したことになります。モテた女性だったのでしょう。
上総国戸田村の百姓一揆
この当時の財政はひどいもので、年貢のほかに勝手に御用金を請求されていました。さらに先納金も納めなければなりません。
ぐるりと円を描いて書かれた連判状により、領主の旗本と交渉をした記録です。
「一揆」と言っても、戦いを起こさないで決着しています。
領主が取り合わないので、幕府が設置した「箱訴」へ訴えます。
江戸時代、8代将軍徳川吉宗が、庶民からの直訴(じきそ)を受けるために設けた制度。評定所門前に置いた目安箱に訴状を投げ入れさせた。
(コトバンク・デジタル大辞泉の解説 はこ‐そ【箱訴】)
結果は罰として領主の領地が半分。訴えた百姓総代は「村ばらい」。「村ばらい」と言っても、すぐに戻ってくることが多かった。
立派な連判状を書き、堂々と領主と交渉する百姓の力強さがうかがえます。
まとめ
10月26日・27日と神奈川学習センターで行われた面接授業「古文書から読み解く百姓の実像」に参加してきました。
授業の<到達目標>が次のように提示されています。
古文書の内容を理解し、歴史研究における実証分析の重要性が理解できる能力を修得します。
実証分析によって理論化され、教科書などの記述が改訂されていきます。研究には実証分析が重要であることがよくわかりました。
それと、話の中で印象に残ったのは、「専門」ということです。
資料を調査していると、自分が専門とする分野以外の素晴らしい古文書が見つかることある。その古文書について論文を書けば高い評価を得られるかもしれない。だけれども、また別の分野、また別の分野と、広げていっては業績の蓄積のならない。何をやっても壁はある、というお話でした。
田上先生は「近世初頭における検地」に関するエキスパートであり、それは古文書解読能力が大きな武器になっています。
さて、私はどんなエキスパートを目指すのか、それにはどんなスキルを武器をすればよいのか・・・。
先がぼんやり見えてきたような気もします。