シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

霍建起(フォ・ジェンチー)監督が描く理想の郵便配達・中国映画「山の郵便配達」の感想

目次

ネタバレ注意

山の郵便配達 [DVD]

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この映画の魅力は何なのか

テレビで放送された中国映画「山の郵便配達」を2、3度見たことがあります。中国の湖南省の山奥で郵便配達をしていた男が息子と一緒に配達をしてあるきます。

父親は老いたこと引退を決意しました。仕事を息子に譲るために「今度からはこの息子が来るから」と配達をしながら、120キロの山道を3日間歩きます。

ネットでこの映画の感想を検索すると、「ただ、山道を歩くだけの映画だ」というのが見つかりました。私もテレビで見たときは、ただ山道を歩くだけの映画と思いました。けれども魅力がある。それは何なのだろうと不思議でした。

これといった事件は何も起こらない映画です。始まりのあたりで、盲目の老婆に嘘の手紙を読み上げることと、最後に風が吹いて手紙が飛ばされそうになったのを父親と犬の「次男坊」が防いでくれること、それだけです。

でも、心に響くよい映画だと思いました。

なぜなのでしょう。最初に思いついたのは映像の力ということです。

筑豊のこどもたち

筑豊のこどもたち

 

例えば、土門拳の「筑豊のこどもたち」という有名な写真集がありますが、この写真一枚一枚にあるように映画の美しさなのか。そんなことを考えていました。

それが大きなスクリーンで見る機会がありました。2016/12/31から2017/01/13までTOHOシネマズ 「午前10時の映画祭」で「山の郵便配達」が上映されているのです。

大きなスクリーンで見て、「ただ、山道を歩くだけの映像が美しいだけの映画」ではないのが分かりました。

では、何が描かれていたのか

この映画の原作は「那山、那人、那狗」(あの山、あの人、あの犬)と言う中国の小説です。

山の郵便配達 (集英社文庫)

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この小説のレビューに次のようなものがありました。 

標題作の「山の郵便配達」は老齢の配達夫を通して自然と家族と人生への愛情がじっくりと穏やかに伝わる物語です。
特にラストの犬のシーンでジンと来ます。
「南を避ける」「過ぎし日は語らず」「振り返って見れば」の三作は、文化大革命の混乱や、急激な経済成長による矛盾の中で、人間的な誠実さを守り通そうとする市井の人々の姿が描かれています。

(カスタマーレビュー「中国現代文学の入門書として最適」より) 

文明とは程遠い山奥の村へ手紙や雑誌、新聞を送り届ける仕事はとても価値のあることです。その「自然と家族と人生への愛情」、「人間的な誠実さ」が美しいと言っています。

舞台は湖南省の山奥

映画「山の郵便配達」は中国湖南省の山奥が舞台です。

そこはどんな所なのか。原作「山の郵便配達」の「訳者あとがき」に訳者が民間歌謡、民間芸能の調査のために貴州省の農村に行ったときの話があります。

  • 日本から上海へ飛行機で飛ぶ。
  • 上海から貴州省の省都である貴陽までは、日本から上海の飛行時間よりも長い。
  • 貴陽から湖南省との省境近くの村まで300キロ。車をチャーターして、途中1泊して行く。
  • その村が属する県の中心の町から、断崖絶壁の道を山また山を越えていくと、斜面にへばり付くようにある十戸も満たない村がある。
  • 電気、ガス、水道などもちろんない。

この本が出版されたのが2001年、その10年くらい前の話だそうです。

緯度は沖縄と同じくらいです。大きな傘をかぶっているのは雨の多い地方だからなのでしょう。

高度な文明とは程遠い生活をしている人たちが心待ちしている手紙、雑誌、新聞。それを届けるために山の郵便配達は40キロもの荷物を背負って、毎日山を歩き続ける映画です。

 中国には国立の演劇大学がある

この映画で父親を演じているのは滕汝駿(トン・ルゥジュン)さん、息子を演じているのが劉燁(リィウ・イェ)さんでどちらも「中央戯劇学院」という国立の演劇大学の出身です。

父親役の滕汝駿(トン・ルゥジュン)さんは「中央戯劇学院」の教師もしているそうで、この映画を撮影している当時は、劉燁(リィウ・イェ)は教え子だったということが『「山の郵便配達」上映作品詳細 』の「こぼれ話」に書いてあります。

滕汝駿(トン・ルゥジュン)さんは日本でいうと、矢沢永吉さんが生まじめになって山奥の郵便配達をしているイメージ。息子役の劉燁(リィウ・イェ)さんは、韓国のアン・ソンギさんが若いころはこんな感じだったのではないかと思いました。役者さんは芝居のリアルさも大切ですが、生まれ持っているイメージは大きいものがあります。

「北京バイオリン」の父親役を演じた劉佩琦(リウ・ペイチー)さんも私の好きな役者さんです。田中邦衛さんと中井貴一さんを足して二で割ったような、スクリーンの中で切れば血の出る本物の人間を演じているのでした。

私が見たことのある中国映画はそれほど多くはありませんが、いい役者さんが多いと思います。

盲目の老婆は孫の手紙を待っている

原作は35ページの短編です。その中に父親がひとり、ひとりの名前をあげて、その家庭の事情を説明して郵便を配達するときの注意をするのが描かれます。その中に「王五は目が見えない」と息子に注意する3行だけのセリフがあります。それが大きく脚色されて山場を作っていました。

  • 父親は老婆に手紙を渡すと老婆は「開けて読んでくれ」と言います。
  • 手紙を開けるとお金が入っているので老婆に渡し、都会に出た孫の近況を読み上げます。
  • 途中から息子に読めと手紙を渡します。
  • 息子の表情が変わりますが、手紙を読み続けます。

老婆の家を過ぎると、父母を失った孫を祖母が育て大学へ進学させたこと、最初はその孫から便りがあって、読みあげていたが手紙が来なくなってことが話され、これと同じことを続けろと息子に話すのです。

脚色しすぎという感じもしますが、心に響くシーンでした。

哲学者の梅原猛さんが「梅原猛の授業 道徳」の中で「道徳の根源は動物にもある母子の愛情にある」と言っています。道徳は数学や物理のように強固には蓄積できないけれども真理があるのかも知れません。

親を背負えるようになったら一人前だ

原作は父親の視点で書かれていますが、映画は息子のナレーションが入り、息子の視点で描かれます。

120キロを3日間で配達して自宅に戻り、また配達に出かけるという生活をしていた父親は子供に愛情を注ぎたくても、心のすれ違いがありました。オモチャを買って帰ったのに心が通じない。そんな回想シーンが入ります。

それが少しずつほぐれていきます。

親の前でタバコを吸うシーンがあります。大切なお客さんに自分のタバコを差し出して勧めるシーンもあって、昔の日本でもよく見かけたこと。今ではタバコは目の敵にされますが、タバコが許された時代が日本にもありました。

最初は、タバコを吸うのか・・・と見ていた父親も、次には自分のパイプを差し出してタバコを勧めます。

冷たい川を渡るシーンがあります。

「親を背負えるようになったら一人前だ」と息子のナレーション。息子は老いて足のが痛む父親を背負って川を渡るのです。背負われた父親は小さかった子供が一人前になったことを感じます。留守が多く心がすれ違っていた親子。その絆が深まっていきます。

こういう情感はハリウッド映画では見たことがありません。

韓国映画「大統領の理髪師」では、ソン・ガンホさんが足の悪い息子を背負って冷たい川を渡るシーンがあります。日本の「楢山節考」は母を背負って山へ棄てに行きます。

そして、配達から帰った親子が並んで寝ているシーンでは、息子か寝返りをうつようにして父に足をからませてきます。 

なぜ、年を重ねると涙もろくなるんだろう

事件もない静かな親子の心の交流を見ていると涙が止まりませんでした。

テレビで見たときは、ただ、山道を歩くだけの映画なのにどうしてこんなに印象に残るのだろうと思いました。

映画館でじっくり見て、何が描かれているのか良くわかりました。

年を重ねてきて随分と涙もろくなったように思います。なぜなんだろうと考えてみると、文章や映像に描かれていない部分を自分の経験と重ね合わせて見ます。その経験がどんどんと蓄積され、イメージが作りやすくなってきたのですね。 

「山の郵便配達」はTOHOシネマズ 「午前10時の映画祭」で1月13日まで上映されています。是非みてください。おススメです。

山の郵便配達フォトストーリーブック

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