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ネタバレ注意
悲しく心が熱くなった
こうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」がアニメ映画になり公開されました。本来アニメはそれほど好きではありません。感情表現や動作、表情の細かいところなど、リアルな実写映画に比べると劣るんじゃないかと思っていたからです。
ところが、ネットの評判もとても良いようで、見ないと損するかも知れません。上映が終ってDVDで見たとしても、大きな劇場で感じる感動が小さなものになってしまいそうです。そうなったら大変と、さっそく見てきました。
結果は見てよかった。
絵の好きなぼーっと した「すず」。すずに一目ぼれしたというよく知らない人に求婚されて、広島から軍港呉へ嫁いでいきます。そこでは普通の平凡な暮らしをするのですが、戦争がどんどん激しくなり、呉は毎日のように空爆されます。
戦争が激しくなるとともに、すずは大切なものを次々を失っていきます。
私が強く印象に残ったのは、すずと周作の夫婦喧嘩です。夫婦喧嘩は二度描かれるのですが、これに心が熱くなりました。二人の愛情が良く伝わって、悲しく美しかった。こんな美しい夫婦喧嘩はみたことがありません。
それと、戦争がどんどん激しくなり、すずは大切なものを次々と失っていくのですが、そのことを引き起こした人たちを恨みもしません。これは悲しかった。小津安二郎監督の「東京物語」に似ていると思いました。すずも「東京物語」の平山周吉も哀れな存在だと思ってみてきました。
そんなことを中心に「この世界の片隅に」を見た感想を書いてみます。
アニメ映画の舞台
すずが嫁いだのは呉の上長ノ木というところ。高台ですから軍港には世界一の戦艦と言われた大和も見えます。絵の好きなすずは良く軍港の絵を描きます。
この地図を拡大してみると長ノ木付近には水路があるのが分かります。ここの水路のどれかで夫婦喧嘩の場所です。機銃掃射をさけるために入り、そこで夫婦喧嘩をするシーンが繰り広げたところです。
下の写真からするともっと左にパーンしたあたりでしょうか。
(Wikipedia「日本本土空襲・呉軍港空襲」より)
こんな美しい夫婦喧嘩はみたことがない
夫婦喧嘩は二度描かれます。最初は海軍に入隊した幼馴染の水原哲がすずが嫁いだ家へお風呂を貰いに来たことから。二人はお互いに気になる存在だった。哲は「嫌なら連れて帰る」という。すずは水原哲が遠慮ない態度をするので、本気が怒り灰皿で殴ったりします。
そのすずを見た北条周作は自分にはいつも遠慮をしていたことを知り、ヤキモチを焼いて起こりだすのです。中に入った人に「続きは家でやってください」というセリフで夫婦喧嘩は終わるのですが、こころ温まるシーンでした。すずも周作もお互いに好意があるからこそ夫婦喧嘩になってしまったのです。
もうひとつは段々畑ですずが機銃掃射に会い、 「危ない!」と水路に隠れるシーンです。ここでも二人は夫婦喧嘩を始めます。
すずは「広島に帰る!」と言います。右腕を失ったすずは自分が負担になるばかりなのが耐えられなくなってきたのです。周作は「勝手にせい」と怒りますが、最後は水路の中で横になり濡れたまま抱き合う形になります。
悲しく美しく感じたのは自分が妻を失ったばかりだからなのでしょうか? 私の場合だと、ただ感情的になってしまっただけのことだったのですが。
しばらく離れる夫を描こうとするすず
それとこれは夫婦喧嘩ではないのですが、軍事教練で周作としばらく離れて暮らさなければならなくなります。
そんなとき、すずは周作が寝ているうちに絵を描くんです。周作が「見せてくれ」というと「軍事機密じゃぁ」と手提げに隠してしまいます。そして、夫が出かける朝、普段はしないお化粧をして見送ります。
すずの離れたくという気持ちが伝わります。
自分の話とすると、私が妻と暮らすようになってから、妻は毎朝出勤する私を見送りました。家の前にはポツンと畑があり、畑の前を通る間は私姿が見えます。私は乙字型の道路を一端戻るように歩いてそれから駅へ向かい、見えなくなりそうなとき、振り返って手を振ります。数分でしょうか、私が見えなくなるまで毎日見送っていました。
妻が失踪した朝も同じように見送ってくれました。彼女は最後だと思っていたでしょうが、私はそんなことも知りません。毎日振り向いて手を振っていたのですけれど、考え事をして忘れることがあります。あの日、私は振り向い手を振るのを忘れてしまったかも知れない。何度も何度も考えたことです。また、そんなことを思い出しながら映画を見ていました。
逆らえない大きなものは受け入れるしかない
私が「この世界の片隅に」を見ようと決めたのは、映画監督・榎本憲男さんの以下のツイートを見たからです。
『この世界の片隅に』の登場人物達の、つつましく、我慢強く、敵を憎まず、けなげに生きて行こうとするささやかな人生を巨大な歴史的運命がこれでもかというほど滅茶苦茶にする。日本人はこの物語構造に弱い。骨の髄まで日本人の俺も泣いた。
— 榎本憲男 (@chimumu) 2016年11月22日
監督の言うとおりの映画でした。あんなに酷い目にあっているのにすずは誰も憎みません。今の時代に生きている私たちには戦争を始めた人の犠牲になっているように見えますが、すずたちは逆らえない大きな力は受け入れるしかないのです。
これは東京物語に似ていると思いました。
老いた平山周吉は東京見物を兼ねて子どもたちを訪ねます。しかし、一人前になった子供たちはみな忙しく誰も相手をしてくれません。*1
娘の家に泊まれなくなった平山周吉は「いやァ とうとう宿無しになってしもうたぁ・・・」というのです。子どもたちを恨みも怒りもしません。
熱海でのうるさい麻雀に怒りもしません。
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妻が倒れ亡くなっていくのも受け入れるしかありません。時間が流れ、自分が老いていくのはどうしようもありません。受け入れるしかないのです。
すずも受け入れます。きつい夫の姉のひとことひとことに反発もしませんし、恨むでもありません。兄が戦死したのを受け入れ、義姉の子供・ 晴美が爆死したのもどうすることも出来ません。
日本映画の代表が「東京物語」だったら、ハリウッド映画の代表は「風と共に去りぬ」でしょうか。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラは全く違います。
一部の終りにこんなことを言うんです。
北軍に荒らされたタラの農地、母は亡くなりみんなが弱っている。そんなとき、スカーレットは「私にはタラの土がある。必ず生き抜く、盗みを働いても。家族を守る」と力強く誓います。
スカーレットは強い。立ち向かいます。
「この世界の片隅に」は日本の文化。諸行無常の世界なのだなぁと思ったのでした。
ラストはホッと明るくなって終わる
「東京物語」のラストは妻の葬儀が終ると子どもたちも帰って平山周吉はひとりになります。
隣のおばさんが来て世間話をして去り、ひとり団扇をあおいでいるシーンで終ります。
「いやァ・・・ 気のきかん奴でしたが こんなことなら 生きとるうちに もっ と優しうしといてやりゃあよかったと思いますよ」
「一人になると急に日がなごうなりますわい」
「まったくなァ・・・お寂しいこってすなァ」
こちらは寂しく悲しいラストです。
しかし、「この世界の片隅に」は違います。ほっと明るくなって終ります。
滅茶苦茶に痛めつけられたすず。
そこに、傷心しているすずと周吉の前に母を失った飢えた汚い戦災孤児が現れる。とりあえず、面倒を見ようと思った二人は孤児を連れ帰り、風呂に入れさせようとします。
孤児をめぐる家族のやりとりが明るく描かれます。
すずが周作に向けて言います。
「この世界の片隅に私をみつけてくれてありがとう」
さんざん傷ついたすずなのに、誰も憎まず、淡々と受け入れて生きて行こうとする姿に悲しく心が熱くなりました。
のんさんの声はぼーっとしたすずの声を見事に演じていました。
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*1:すずの夫の名前も周吉。同じですね