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観光バスのTVでいつも上映されていた「男はつらいよ」
映画「男はつらいよ」と言えば、48本も作られた国民的映画。その制作発表から映画が完成するまでの山田洋次監督を描いた『NHK特集名作100選「寅さんは生きている~山田洋次の世界~」』が放送大学図書館・映像音響資料室にありました。
メディアはVHSのビデオテープ。放送大学図書館がオープンしたのが1990年ですから、オープン直後に購入したもののようです。番組は1985年2月3日に放送されたもの。リアルタイムで見たような気もします。
AVブースで再生すると、レトロなナレーションから始まりました。
日本のどこにでもいる日本人を日本人の目で捉える映画監督がいます。車寅次郎とともに16年を生きてきた山田洋次監督です。
そして、 「男はつらいよ 寅次郎真実一路」の制作発表記者会見の様子。 映画は寅さんが大原麗子さん演ずる人妻に恋をして、自分の気持ちが間違っていると苦しむ話だと山田監督が話します。
レポーターが渥美清さんに「車寅次郎はどんな存在か」と質問すると、こんなふうに答えます。
どういう存在なのでしょうか。はっきり言ってスケベなところもあるし、欲深なところもあるし、色んなところがある訳ですよ。
そういうのをどんどん削り落としていってね、寅ってのは、空へ、こう裸で昇天してくような感じがなんとなくしてるのね。
ちゃんとして、かなわねぇなって気はします。
どんなふうに車寅次郎は生まれたのか、渥美清さんは話します。
渥美さんが、上野の盛り場を背景にこんな人間がいたと山田監督に話します。すると、それが江戸川を背に、兄思いの妹さくらがいるという設定の物語が作られたそうで、「山田洋次という人に嫉妬を感じた」と言います。
福島にいた頃によく観光バスを使った団体旅行がありまし。観光を終えた帰路のバスで上映されるのはいつも「男はつらいよ」だったという記憶があります。「あぁ、これならばみんなが楽しめる。うまい選択をするもんだ」と感心したものです。
また、高校の同級生に「男はつらいよ」が好きな奴がいました。TVで「泣いてたまるか」があったのが中学時代。それが高校時代には「男はつらいよ」になり、ブームのはしりの頃でした。
寅さんは頭は悪いし、四角なでっかい顔をしています。今でいう「非モテ」でしょう。それが恋をするもんだから、見ていられなくて心配したり、笑ったり、若い私は自分と重ね合わせて見ていたんだと思います。
渥美清さんは実在する自分を消した?
渥美清さんの姿を映画以外でみたことがありません。TVで目にする時間が長いのが人気のあるタレントさんという感覚がありますが、渥美清さんと高倉健さんは別格。もう、映画だけの人という感じです。
井上ひさしさんがこんな風に言っていました。
渥美さんは半生かけて実在する自分を消しに消し、かわりに車寅次郎という戦後最大の架空の人物に潜り込むことにみごとに成功したのです。この一世一代の大トリックを成立させるためには、やはり私生活を、そしてご家族を他人に見せてはいけなかったんですね。
— 井上ひさしbot (@inouehisashi) 2016年5月24日
ですから、村の消防団長の役でも、牛の人工授精をする獣医でも、渥美清さんが演じればみんな寅さんのイメージになってしまいます。
しかし、Wikipedia「渥美清」をみると、渥美清さんが交友を避ける人だったこと、松竹がイメージを大事にするために他の企画を没にしていたとも書いてあり、ちょっと違うみたいです。
こんな記事を見つけました。「男はつらいよ」で妹さくらの夫である博を演じた前田吟さんが渥美清さんについて語ったものです。
「俳優ってアドバイスはしないものです。渥美さんにも極意を聞きたかったんだけどね。ただ、哲学者みたいに『吟ちゃん、スーパーマンは飛べないんだよ』って言うことはありました。要は謎かけなんです。
僕の解釈としては、『映画の中のスーパーマンは空を飛べるけど、スーパーマンを演じる役者は空を飛べない』ということ。役者は全てを自分で表現するしかない。寅さんはみんなを笑わせて劇場で大歓声を受けているけど、あれは役柄としての『寅さん』であって、『俺自身はあんなに人を笑わせたり楽しませたりできないんだよ』と渥美さんは言いたかったんじゃないかな。
(NEWS ポストセブン「前田吟 渥美清から26年間で一度も演技について助言されず」より)
映画の寅さんがスクリーンから出てきて、明石家さんまさんのようにマシンガントークをしたり、蛭子能収さんのようにわがまま言ったり、そうかと思えばすねたり、説教で「寅のアリア」を語ってみせれば、それはTVを見る人は楽しくて感動するでしょう。
でも、それは映画の話、渥美清さんは役者です。違うのですね。黒柳徹子さんが語る渥美清さんの姿を聞くと、ちょっとだけ寅さんを思い浮かべますが、寅さんではないのです。父が新聞記者で母が元小学校教諭だったそうですから、インテリだったのかも知れません。
お手伝いのフミさんが喜こぶ映画
「たけし、山田洋次監督を酷評!日本映画の知られざる裏側を暴露!」 でビートたけしさんが山田洋次監督を酷評しています。日本映画はヨーロッパの映画祭に出品してるけれど、ことごとく予選落ちしている。オレの作品が映画祭で上映されるのはその度に日本のチャンピオンになっているからなんだそうです。
このことは『映画「母と暮せば」・山田洋次監督は世界に通用しないのか』にも書きました。たしかにビートたけしさんの受賞歴と山田洋次さんの受賞歴を比べてみると、ビートたけしさんの海外での評価は高く、山田洋次監督は国内には強いけれども、海外では弱いようです。
なぜなんでしょう? それは、ビートたけしさんが映画監督や批評家に評価される芸術映画を作り、山田洋次監督は大衆に愛される娯楽映画を作ったからと考えれば納得がいくような気がします。
このビデオで山田洋次監督の映画に対する姿勢を知ることが出来ました。
- そのひとつが、子供時代に山田洋次監督が映画を見に行ったときの話です。山田少年はお手伝いのフミさんに連れられて映画を見に行きます。映画は「路傍の石」。フミさんはボロボロと涙を流していたそうです。それ見て、同じ映画を見てもこんなに感じ方が違うものか、映画にはこんなにも力があるのかと感心したそうです。
「路傍の石」は私も昔TVで見た記憶があります。貧しい家に生れたことから奉公に出される吾一少年。それでもひたむきに生きる姿にフミさんは自分を重ね涙が流れたのでしょう。 - もうひとつは、山田洋次監督が人に会いにいくという事です。1000人以上の連絡先が書いてある手帳を持っていて、シナリオに息詰まるとその中の人に会いに行くんだそうです。番組で紹介されたのは、根釧原野を開拓した牧場で働く男性でした。「のどかな暮らしがしたくて来たけれど、大変なことばっかりだ」と話す男性は映画「家族」のように開拓で入植したのでしょうか。そういう人から山田監督はヒントを得ているようでした。
こんな映画ではフミさんは喜んでくれない。地道に働いている人を喜ばすのは簡単でないとひたすらに見る人が喜ぶことを考える山田洋次監督。そんな山田洋次監督が描かれていました。
映画は芸術か娯楽か
「市場原理に従っていれば、娯楽映画が作られ、芸術映画が否定されるのは当然の成り行きである。そのため、映画芸術は積極的に支持していかなければ滅びてしまう性質のものである」と警鐘を鳴らしている人もいます。
だから、映画祭で芸術映画で褒めたたえているのでしょう。
でも、大衆が見たいのは娯楽なんですよね。
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