後部座席で腕を大きく広げているドクター・シャーリー。天才ピアニストとしてのプライドを誇示しているようでもあります。
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ジム・クロウ法のアメリカ南部
私が福島に住んでいた若い頃、職場に「労音(ろうおん)」をやっている人がいて、毎月のように「郡山市民会館」で開かれるコンサートに行きました。吉田拓郎さん、井上陽水さん、松任谷由実さん、沢田研二さん、朱里エイコさん・・・アーティストはステージの上で私の代りに悲しみを嘆き、生きる喜びを歌ってくれます。
コンサートに登場するアーティストは、観客にとって自分の分身のようで憧れの存在。音楽を聴くのはもちろん、近くから表情を見たいと思うものです。ところが、この映画で演奏を聴きにくる白人富裕層は視点が違います。それは、アーティストが黒人ピアニストだからです。
この映画は実話を基に作られました。有名な黒人ピアニストであるドクター・シャーリーと運転手のトニー・リップがジム・クロウ法のアメリカ南部を旅します。
- ジム・クロウ法 - Wikipedia
黒人は、レストラン、トイレなど公共施設の利用を制限されました。夜出歩くことも禁止され、そのために警察に捕まるシーンもあります。
そこで必要なのが『黒人ドライバーのためのグリーン・ブック』。
黒人でも利用できるホテル、ガソリンスタンド、レストランなどか紹介されいます。
タイトル『グリーンブック』はこの本が由来です。
この映画にはどんな見どころがあるのか、私のお勧めポイントは次の三つです。
- 1960年代南部アメリカの旅を疑似体験
- 二人の友情が深まる物語
- 公民権運動としてのコンサート・ツアー
良い映画は知らない世界を疑似体験させてくれ、人生を、心を豊かにしてくれます。
この『グリーンブック』もそんな映画でした。
1960年代南部アメリカの旅を疑似体験
私が福島の田舎に住んでいる頃、 仕事が終るとひとり街まで車を走らせ映画をみました。映画館には見たこともない世界が広がり、どう生きていいか分からない私でも、胸をワクワクさせスクリーンを見つめました。
アメリカ映画の良いところは、アメリカを疑似体験できること。現実ではありませんが、映画は1960年代の南部アメリカを再現しようとしています。それを十分味わうことが出来ます。
古き良きアメリカを象徴するキャデラック
1960年代アメリカを再現するためのツールのひとつがこれ。「Green book car」で検索してトップ出てきた「Green Book's Turquoise Star Car」をみると、この車が1962年の キャデラック・セダンだと分かりました。ドン"ドクター"シャーリーとトニー・リップはこのキャデラックに乗り、アメリカ南部を旅するのです。
By Charles01 - Own work, CC BY-SA 3.0, Link
「シボレー・ベル・エアー」も写っていました。NASAを支えた名もなき黒人女性の計算手たちを描いた『ドリーム』にも登場した車です。
大きいことはいいことだ。アメ車全盛の時代。同じ時代の映画です。
街角で車が何台も並ぶシーンや、大きな吊り橋をたくさんの車が走っているシーンは、どうやって撮影したのだろうと興味も湧きました。
キャデラックがオーバーヒートを起こして止まると、あたりは黒人たちが働いている農場です。
豪華なキャデラックの後部座席で白人の運転手を従えた黒人ピアニスト。その車を珍しそうに農作業を止めて見入る黒人たち。この黒人労働者は、ドン・シャーリーをどんな思いで見つめたのか。
逆に裕福なドンは黒人労働者をどうみたのか。無言の間だけに想像が膨らむシーンです。ドンは何を思ったのか、それを話すシーンがないのも良かった。
ケンタッキーフライドチキンが重要な小道具になっていて、その建物が現在の「KFC」とは少し違っているのも興味深かった。
二人の友情が深まる物語
メインの大きなテーマはドクターが差別を受けながらアメリカ南部をピアノをコンサートをする社会的なもの。もうひとつが人間的なドラマで、ドクターとトニー・リップが旅をするうちに、友情が深まっていきます。
- ドン・"ドクター"・シャーリー
カーネギーホールに住むインテリの天才ピアニスト。ドクター・シャーリーと呼ばれるのは二つの名誉博士号を持っていたから。
ドンはトニー リップのがさつな行動が気に入らない。 - “トニー リップ”・ヴァレロンガ
イタリア系移民。がさつで腕力が強い。すぐ殴ってしまうのは心強いが困ったものでもある。運転手兼用心棒。子供の頃から口が達者だったので「リップ」という渾名があった。リップは下品さを口うるさく言われうんざり。私もこんなボディガードを雇ってみたいけど、夢の話です。
映画が始まるとき、トニー リップは黒人への偏見を持っています。それが、ドン・シャーリーがどんな辛い目にあっているかを目撃することで、偏見は解消されていきます。
用心棒兼雑用係として働いていたライブステージのあるレストランが閉店になり、トニー リップは職を失います。そこで見つけたのがドン・シャーリーの運転手という仕事。
「黒人に偏見はあるか?」
「いいえ」と答えますが、それは金のためにそう言っているんです。
面接シーンはドンは一段高い椅子。リップは低い位置。力関係がよく表されています。
大食いでがさつなリップは「男はつらいよ」の寅さんの品行方正を悪くして、アーノルド・シュワルツェネッガーのような強さを持っている男でしょうか。
「ケンタッキーフライドチキン」が重要な小道具になります。
フライドチキンを買ってきたリップがドクターに勧めます。
ドクターは育ちがいいから、手づかみでフライドチキンなど食べたことがない。
「ナイフとファークがない」となる。
その漫才のようなやりとりを経て、ドンは手づかみで食べるようになります。
「骨は?」。窓から捨てる。
リップは窓からコーラのカップも捨ててしまいます。インテリで育ちのいいドンはどうするか・・・。
予告にはリップが手紙を書いているシーンがあります。その汚い字。ドンが文章を教えてあげると、留守宅ではその文章が大評判になります。ラストにリップの妻とドンが会いますが、日本ではこうはならない。日本ならどんなシーンになるのでしょう。
公民権運動としてのコンサート・ツアー
ドンはカーネギーホールに住む天才ピアニストです。何も南部へコンサートツアーに行かなくても、彼の音楽を聴きたい人はたくさんいるはず。それでも、南部へのコンサートツアーを開くのは公民権運動の時期であり、南部のジム・クロウ法への挑戦のようにも思えます。
しかし、天才ピアニスト・ドンの名声で観客は集まりますが、ホテルはレストランもトイレも使わせない。日本で有名ミュージシャンのコンサートがあれば、ファンはサインを貰うために出口で待ち構えていたりするものです。ジム・クロウ法が禁止しているからなのですが、「音楽と演奏者へのリスペクトが別物」というのは理解できません。
「スタインウェイ」のピアノにこだわるドンですが、ゴミだらけの汚いピアノが準備されていたことがあります。強引に取り換えさせるリップ。
そんな差別を受けながらも、ドンは演奏を続けて観客を魅了します。
コンサートを終えてからの観客は描かれていません。観客はどんな表情で席をたったのでしょうか。それはリップの気持ちも変化させますが、演奏を聴いた観客はジム・クロウ法はあるけれども、ドンをリスペクトしたのではないかとも思いました。
音楽には力がある
音楽がモチーフになっている映画は力があります。
- クイーンを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』
- 調律師を描いた『羊と鋼の森』
- 拾った子供を一流のバイオリニストに育てようとする父親『北京ヴァイオリン』
- スパリゾート・ハワイアンズの『フラ・ガール』
- 米国に亡命した実在の名バレエダンサー、リー・ツンシンを描いた『小さな村の小さなダンサー』
- プロのダンサーが夢の18歳の女性が主人公『フラッシュダンス』