(1954年公表。日本での著作権の保護期間が満了)
目次
伊集院さん、小林悠アナに冷たくし過ぎじゃない?
「伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう! 」の2014年3月28日「週末これ借りよう編」と2014年4月11日の「先週あれ見たよ編」を聞きました。
映画は52本目で、木下惠介監督『二十四の瞳』。今までアシタントだった小林悠アナが変わったことからゲストとして番組に招かれ、映画を紹介したのです。
小林悠アナの「ここ見てポイント」は次の三つ。
- 高峰秀子さんの演技の凄さを見て欲しい。
(30歳くらいの高峰秀子さんが19~46歳を演じた) - 子どもたち12人のひとりひとりの顔。4年間の成長。
演じた子役は同じ子どもでなく、兄弟を集めてオーディションをした。 - 大人になって再会したとき、みんなで撮った写真を前に目の見えなくなった男は何と言ったか。
『二十四の瞳』は教科書で読んだことがあります。
子どもたちが先生にいたずらをして怪我をさせてしまい、学校を休むようになった先生を子供たちが訪ねていく。そんな話でした。
3は、退職した大石先生がまた岬の分教場に復職したとき、教え子が集まるんですが、そのときのエピソードです。
小林悠アナはこのシーンを母親に泣きながら紹介して、母親も泣いてしまったと話してました。
ところが、伊集院光さんは学校が大嫌い。学園ドラマは天敵のように嫌なのです。
「先週あれ見たよ編」では、伊集院さんが大石先生批判を始めます。
先生が主人公で素晴らしいという描き方は嫌だ。普通の先生が可哀そうだ。反戦主義のメッセージが強すぎると。
目が見えなくなった男の話もなんとも思わなかったと・・・。
ニコニコ動画のコメントは伊集院光さんを批判します。
「教師モノを受け入れられないから色々理屈こねてるんだろうな」
「いつものこじつけで嫌っていくパターンだな。小林が可哀想だわ」
「まあ、素直に見られないいつもの伊集院だなw」
「伊集院の卑屈さが全開だな」
私も、先輩アナや有名映画監督などにはこんな言い方はしないと思いました。
せっかく小林悠アナが大好きな映画を紹介したのに、伊集院光さんは小林悠アナに冷たくし過ぎなんじゃないか、そう感じました。
実際、映画はどうなのか観て確認することにしました。
伊集院さんは映画を素直に見られなかったのか
ニコニコ動画のコメントは「まあ、素直に見られないいつもの伊集院だなw」と
伊集院光さんを批判しました。ほんとうにそうだったのでしょうか。
私が『二十四の瞳』を観た結果は、伊集院光さんと小林悠アナの中間くらいだったでしょうか。教科書に載っていた子供たちが先生を訪ね、駆け寄るシーンと小林悠アナが話したシーンは涙が流れました。
そして、気が付いたのは次の三つのこと。そのことについて話してみます。
- 小豆島の美しい映像。特に大石先生と子どもたちが電車ごっこをするシーンは美しい。特に1954年当時の小豆島の様子が分かるのは価値がある。
- 第28回キネマ旬報ベスト・テンで、黒澤明監督の『七人の侍』を3位に抑え、1位に輝いています。『七人の侍』は今でも話題にされますが、『二十四の瞳』があまり話題にされないのはなぜか。
- なぜ、伊集院さんは大石先生批判をするのか。
電車ごっこのシーンひとつで大石先生と子どもたちの関係が分かる
映画に登場する小豆島の美しさは素晴らしいものでした。
小豆島へは二度行ったことがあります。最近では今年の4月でしたから、海や学校が登場すると、どのへんなのだろうと興味がつきません。
『二十四の瞳』は、この物語はこんな場所で起きた出来事ですよ、と環境を説明することから始まります。そこに、のどかな景色の中を大きな樽を積んだ馬車が何台も連なっているシーンがあり、小豆島を知っている人なら、「あっ、これは醤油の樽だ」と分かります。小豆島に詳しい人ならロケ地まで分かってもっと楽しいに違いありません。
それと、画像がモノクロなのも情緒があります。これがカラーで、4Kテレビ、8Kテレビのような鮮やかさだったら、リアル過ぎて夢がなくなるかも知れません。
嫌味な感想を言うことが多かった伊集院光さんも、満開の桜の下で大石先生と子どもたちが電車ごっこをするシーンは美しく素晴らしかったと称賛していました。
電車の先頭は大石先生。歌をうたいながら、子どもたちが続きます。
ラジオで伊集院さんが話していたのですが、メロディが「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」で歌詞が「きしゃは はしる けむりをはいて」になっているんです。
これには驚きました。
汽車ごっこなら「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポッポ ぼくらをのせて」でしょう。しかし、それよりも、満開の桜に合うメロディは「ちょうちょ ちょうちょ」だと木下惠介監督は思ったんですよね。
このシーンは小説にはありません。
このシーンひとつで大石先生と子どもたちの関係が分かります。
先生と生徒全員が紐で繋がって、お互いの距離はとても近く触れ合っています。まるで親子のような距離感です。先生が先頭で子どもたちが続区様子は、子どもたちが先生を信頼しているのだとよく分かります。
満開の桜の下を自由に走る電車ごっこは自由そのものです。
それは、例えば、小津安二郎監督『東京物語』のショットと比べるを違いを一段を感じることができます。フレームだらけの日本家屋の中。家長である笠智衆さんを中心にして左右に数学的とも思える完璧なバランスで家族が並びます。(目的が違うから良い、悪いではないですよ)
そのシーンと比べると、なんと自由で明るいのでしょう。
小説にはない電車ごっこを美しく重要な意味を持たせて描く。木下惠介監督、恐るべし。
黒澤明監督『七人の侍』に勝った時代背景
『二十四の瞳』のWikipediaには次のような記述がありました。
1954年版
1954年9月14日に封切られた。
同年「第28回キネマ旬報ベスト・テン」で第1位となる。
第2位は同じく木下惠介監督作『女の園』、第3位は黒澤明監督作『七人の侍』であった。また、第5回ブルーリボン賞作品賞、第9回毎日映画コンクール日本映画大賞も受賞した。
黒澤明監督の『七人の侍』を押さえて、第1位とは驚きです。
英国映画協会(BFI:British Film Institute)が10年に一度行っている世界の映画監督、評論家が選んだオールタイムベストのトップ100があります。
2012 の監督が選ぶベスト100(Directors’ top 100 | BFI)にも、批評家が選ぶベスト100(Critics’ top 100 | BFI)にも『七人の侍』が17位で入っています。
その『七人の侍』が『二十四の瞳』に負けているんです。
それは、公開された1954年という時代が大きく影響していると思われます。
終戦が1945年。その9年後です。
私は1953年生まれですが、子どものころはよく戦時中の話を聞かされました。若い人にとって9年前は相当昔に思えるかも知れませんが、50、60と歳を重ねると、ついこの間のように思われるのです。
あの人は戦争で死んだ、この人も・・・と、日本人のだれもが、大切な人を戦争で亡くした経験を持っていました。大石先生の悲しみは、日本人のだれもが持っているもので、共感するものだったと思うのです。
それに比べ、 『七人の侍』は農民が盗賊の野武士を戦争をして殺し合いをする話です。
映画の中でさえ、もう戦争は嫌だ、という心理が働いていたに違いありません。
なぜ、伊集院さんは大石先生批判をするのか。
ラジオ番組「伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう! 」を聞いていると、伊集院さんの思春期が長かったとか、学校が嫌いだったという話が良く出てきます。ラジオ番組やNHKオンデマンド『100分de名著』の話を聞いていると、洞察力が並外れて素晴らしいのが分かります。「洞察力ハンパねぇ」のです。
こう洞察力ハンパなくて、目立ちたがりの生徒がいれば教師は相当不快で嫌うでしょう。で、伊集院さんも先生や学校が大嫌いになったのではないか。
そんな想像が浮かんだのですが、・・・現実はどうでしょう。
伊集院さんも、子どもたちが先生を訪ねるあたりまではいいと言います。
その後は、私もセンチメンタルを煽られている感じを受けました。
童謡、唱歌がもの悲しく流れています。こんなに悲しいだろ、泣けと言われているようにも感じました。それが伊集院さんは嫌だったのだと思います。
それと、めそめそと泣くシーン が多い。
「いつもまっっちゃんのことを思っていてあげる」という大石先生。貧しく生徒のために弁当箱をプレゼントする。大切な人が死んだり、貧しい小豆島の子どもが幼くして奉公に出されたり、出来のいい子が進学できないと大石先生は一緒に泣くのです。
それで思い出したのが、映画評論雑誌の投稿青年だった佐藤忠男さんが評価され始めた話です。
「論文をどう書くか―私の文章修業」の「投書家時代」に、当時はセンチメンタリズムがそれだけでいけないものだとされていて、佐藤忠男さんもそういう投稿をしたと書いてあります。
具体的に泣くシーンの回数を数え、映画を比較したのです。そして、エッセイを次のように結んでいます。
ベソをかかずには何もやれない。はずかしいとは思わないのだろうか
何の本だったか忘れたのですが、同じ佐藤忠男さんが「センチメンタルは自分が自分を可哀そうだと思うことだ」というようなことを言っていたのを覚えています。
伊集院さんは、自分が自分を可哀そうだと思う弱さに嫌気がして、大石先生を批判したのかも知れません。
小林悠アナは捏造記事で人生をメチャクチャされた?
私はテレビをほとんど見ませんので、小林悠アナウンサーを初めて知りました。
Wikipedia を見ると、そうそうたる出自、経歴なのがわかります。
ところが、健康上の理由により、小林悠アナは依願退職してしまったようです。
検索すると、こんな記事が見つかりました。
デタラメな記事で小林悠アナの人生をメチャクチャにしてしまって・・・そして、こんなに小さな謝罪記事。
2年以上前のことですが、理不尽さに怒りが湧いてきます。