目次
「心配をかけない」という考え方への違和感
元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが亡くなったという報道がありました。
心からお悔やみを申し上げます。
まだ15歳のお嬢さんがいたそうで、52歳でこの世を去るのはさぞ無念だったでしょう。
有賀さんは病状を誰にも伝えなかったそうです。周囲から痩せすぎと言われると「ダイエット」と言い、脱毛を隠すためのかつらも、便利だと話していました。けれど、病気から回復できないだろうことは悟っていて、仕事の予定は入れずに銀行口座の整理までしていたという話でした。
そんな有賀さんの生きざまに共感した人が、「素晴らしい。私もそうできるようにしたいもの」というコメントしていましたが、そう聞くと違うんじゃないかという思いが湧き上がってきます。
取材に答える高齢がお父さんの姿がTVで放送されました。病名が知らされないことから良くなって退院できると考えていたそうだ。これから医師に病名や死因を聞くつもりだいう姿に痛々しさを感じました。ところが、医師に説明を求めても、本人の遺志を尊重すると死因を教えて貰えなかったと報じられたました。
お父さん、お嬢さんの辛さを考えると心が痛みました。もっと出来ることがあったのに、もっと会いに行きたかったと心残りだったに違いありません。
私の父は手遅れの胃ガンで余命三ヶ月と診断されました。その知らせを受けたときは一晩中眠れないほどのショックでしたが、何度も福島に会いにいくことが出来ました。
父は私が会いに行って、東京に帰ってきた翌日に亡くなりました。余命三ヶ月と言われてから一年近く、こんな死に方も悪くはないなと思った記憶があります。
有賀さつきさんは「心配をかけたくない」と考えて病状を知らせなかったのでしょうが、それは違うんじゃないかという思いがあります。
妻も義母も 「心配をかけたくない」主義
妻が「心配をかけたくない」主義だと知ったのは、救急車を呼んで入院したときのことです。突然、苦しい息が出来ないと苦しみ出したので、救急車を呼んだのですが、医者は過換気症候群ではないかとのことでした。
ストレッチャーに横になった妻が「お母さんには知らせないで、心配するから」と言うんです。大事になりそうにはなく、別居していた義母には連絡しませんでしたが、ストレッチャーで運ばれながらも、母親に連絡するなという発想が浮かんでくることに驚いたものです。
義母もまた「心配をかけたくない」主義です。
私が丹毒で入院したときのことです。毎日のように病院に来てくれていたのですが、娘(義母からすると孫)には、たいしたことない、見舞いにこなくていい、と断ったというんです。あぁ、折角来てくれるというのに断ってしまうなんてとガッカリした記憶があります。
義母の姉一家も同じ。
一昨年の初冬に義母の姪から、「喪中につき」のハガキが届きました。義母の姉が亡くなっていたのです。義母が驚いて電話をすると、家族だけて弔って、連絡はしなかったのだそうです。
翌日、義母は姉の住んでいた浦和へ行きましたけれども、迷惑かけない主義も、そこまでやるのかと、半分呆れた気持ちもありました。
妻の「心配をかけない」主義がなかったら
「心配をかけたくない」主義を支持しない一番大きな理由は、妻が何も言わず自ら命を絶ってしまったからです。
大雪が降った四年前の2月、友達に会うと出かけたまま帰ってきませんでした。
4月に日光警察署から電話があり、3月に身元不明の遺体が発見されていたのだけれど、近くにあったiPodタッチから千葉北警察署に行方不明の届けをしてある妻だと分かりました。
遺体は腐敗が進んでいたことから日光で火葬。桜が満開の時期でした。遺骨を首にかけ、電車で千葉まで帰ってきました。
妻は孫に「おばあちゃんの言うことをきくんだよ」と声をかけたそうです。
通帳、免許証、保険、権利証、年金がまとめて袋に入れてありました。銀行の口座も整理してありました。
クラスの人気者タイプで明るい妻だったのですが、鬱だったようで、日光警察署の刑事さんの話では、いろんな病院から睡眠薬などをもらっていたそうです。
妻がサプリのようなものを飲んでいるのを見かけることがありました。隠すような感じで、「変なサプリを飲むのはやめろ」と言われるのを嫌っていると思い、何も言いませんでした。あの頃、苦しさを訴えてくれていたら、妻を助けられたんじゃないかと思うのです。
それがとても悔しいのです。妻の「心配をかけない」主義がなかったら、という思いが湧いてきて仕方がありません。
まとめ
元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが亡くなりました。彼女は病状を誰にも伝えなかったそうです。
有賀さんの「心配をかけたくない」という美学は美しいものでしょう。共感して賛辞するコメントがたくさんありました。
でも、心配されることをそんなに嫌わなくてもいいんじゃないですか、なによりも、何も知らされなかった、お父さんやお嬢さんが可哀そうです。もっと出来ることがあったのに、もっと会いに行きたかったと心残りだったに違いありません。
お前の妻と有賀さんでは全然違うのではないか、そいう声もあるかと思いますが、書いてみました。