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きゅうりを通じて感じる華厳経の教え
こんにちは、シロッコです。義母と同居するようになってから、海底菜園で野菜を栽培するようになりました。義母は去年他界したのですが、今年も野菜の苗を植えました。そうしましたら、今までは気が付かなかったのですが、きゅうりのツルがヒゲを伸ばしてクルクル巻きつかせて倒れないようにする様子に生命力に応援したくなるような感情が生まれました。
これは、今までになかった感情です。なぜ、このような情動が生まれるように鳴ったのかを考えてみると、五木寛之さん関連の Youtube を見たからだと思い当たります。第一集から第五集 までの【21世紀仏教への旅】シリーズ、25年間続いた深夜放送「五木寛之の夜」、「五木寛之 歌いながら歩いてきた」他、どっぷりと五木さんの仏教思想にはまりました。
今回は「華厳経」の観点から、同じ生命体として生まれ、DNAの進化から植物と動物に別れた兄弟分のような「きゅうり」の生きようとする姿について述べます。
華厳経ときゅうりと私
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な独立した仏典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものであると推定されています。(華厳経 - Wikipedia)
宇宙や生命、全ての存在が互いに結びついていて、無限の広がりがあるという思想のようです。それは「縁起」という考え方が根底にあります。
例えば「きゅうり」なら、種を蒔いた人、日光、水、土、災害など多くのことから「きゅうり」が育っていきます。「きゅうり」も私たちと同じ生命として、尊重したいという考えが湧いてきました。
華厳経を学ぶと、家庭菜園だけでなく、生活全般に深い洞察が生まれて「心に潤い」が生まれるのではないかと考えるようになりました。
きゅうりは同じ生命体から分かれた仲間
DNAの進化から考えると、植物と動物は同じ生命体から分かれて進化してきたと言えます。そうすると、きゅうりは同じ生命体から分かれて、全く違う環境で生き残ったDNAの兄弟分なのです。
水を撒いて、日当たりが良くなる場所を考えて支柱や棚を作り、肥料を与えます。ツルが支柱にそって育つよう、本体が傷まないように麻ひもでゆったりと余裕をもたせて、支柱に結びつけます。きゅうりは自然の恵みと私たちの労力受け取って育ちます。なんか、私ときゅうりが支え合って、生きているみたいです。
きゅうりが「ヒゲ」を伸ばして支柱に掴まって自分を支え、光を得ようする姿を見ると、同じ生命体として応援したくなってしまいます。
こんな感じで、きゅうりとの共生を通じて、華厳経の世界を学ぶことが出来るのでした。
きゅうりの生き方から学ぶ「他力」
きゅうりの生き方から学べることに、仏教の「他力」の考え方があります。*1
私はきゅうりを育てますが、きゅうりは自分の力だけで成長するわけではありません。土地、水、太陽の光、そして私のケア、周囲の力を借りて、きゅうりは成長します。このような生き方を考えると、仏教の「他力思想」を理解することが出来ます。
「他力思想」は、自分の力には限界がある、人は大河を流れる水の一滴のように、流れに添って何かの力を頼って生きるしかありません。私ももきゅうりと同じく、社会や家族、友人・・・人だけでなく他の存在の力を借りて生きていくしかありません。他人に助けられて生きていくのです。
きゅうりが「ヒゲ」を伸ばして自らの体を支えながらも、与えられた支柱、肥料、水などを得て、光を得ようと天を目指して生きようとするのは、他力と自力が絡み合いながら必死に生きようとしている姿のように思えます。
「華厳経」の教え、そして「他力」をきゅうりから学ぶことが出来ました。仏教には数千年の人間の知恵が蓄積されたものですから、学ぶ価値は高いと思います。
新しい何かが見えてくる気がしています。
まとめ
きゅうりがヒゲを伸ばしてクルクル掴む姿から、「華厳経」の教え、「他力」について考えてみました。きゅうりがツルが伸ばして、自分をを支え、光を得ようとするその姿から、生命体として兄弟分のような親近感を持つことが出来ました。
そして、自分が生きて行くために仏教を学ぶということが、新しい何かが見えてくる気がしました。人として《心に潤い》、が生まれてより豊かに暮らせるのではないかと思いました。
これからも、このような日常と仏教がが交差する視点を皆さまに共有できればと思います。私の経験と学びを通じて、皆さまに何か新たな気づきや視点を提供できれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
注意:
これらの全ての文章はGPT-4の力を借りて、相談して、学びながら書きました。