シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

習志野「プロ野球発祥の地」は「読売巨人軍発祥の地」だった

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「プロ野球発祥の地」を目指すと

目次

谷津干潟の入り口に「プロ野球発祥の地」

谷津干潟に行って野鳥を撮影してこようと思い立ちました。

谷津干潟へは京成線・谷津駅から南へ600m弱。

谷津の商店街を通って、谷津公園の入り口いくと、「谷津バラ園」、「プロ野球発祥の地」の案内板がありました。
「プロ野球発祥の地」も見ていきますか、と案内板の方向に進みます。

あったのは「読売巨人軍発祥の地」

 「谷津バラ園」の入り口近くに「読売巨人軍発祥の地」がありました。

案内の看板は「プロ野球発祥の地」になっていたのにどういうことです?

 写真右下のあたりで構築物がグレーっぽく写っているところです。

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ちなみに、入り口の「開花情報」によると「ただいまの期間 バラは咲いていません」とのことですが、入園は出来るようです。

2018/11/26 バラ園営業時間変更のお知らせ
12月1日から来年4月30日まで午前9時から午後5時まで、休園日が毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日休園)となります。
お間違えの無いようお願い致します。
(「習志野市谷津バラ園」より)

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あったのは「プロ野球発祥の地」ではなく「読売巨人軍発祥の地」でした。 

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 長嶋茂雄監督、藤田元司監督、山倉和博捕手、原辰徳監督、中畑清監督のサイン。

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別所毅彦監督、川上哲治監督、正力亨オーナー、山内一弘監督、国松彰選手、王貞治監督。

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千葉茂選手、土井正三選手。

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青田昇監督、中上英雄(藤本英雄)監督、江川卓投手、松本匡史監督、末次利光選手、篠塚利夫選手、西本聖投手、香取義隆選手。

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(追記 id:pirapiralemon  手形の名前を書きました。)

「読売巨人軍発祥の地」は「プロ野球発祥の地」なのか

記念碑の横に「習志野市」の看板が立っていました。

分かり易く省略して説明すると、こんな内容です。

  • 昭和9年4月、正力松太郎がベーブルース、ルーゲーリックなどアメリカ選抜チームを招聘した。
  • 対戦する全日本チームは六大学の選抜。この谷津に集まって練習した。
  • 日米野球のあと、昭和9年12月に東京巨人軍が生まれ、これを契機としてプロ野球球団が続々うまれた。
  • 昭和63年1月24日 習志野市

伝説の沢村栄治投手もここで練習したと思われます。

この記念碑を建てたのはだれか。

今回小社は、この地を読売巨人軍の発祥の地として指定し、その経緯を構成に伝えるためにこの碑を建てた。

「小社」とあるのは「株式会社読売巨人軍」だと思われます。

この碑は昭和41年に設置されたものを復元したものである。

看板を復元したのが習志野市だから、最後にその名があるのでしょう。

読売巨人軍は日本で4番目に成立したプロ野球球団

Wikipedia「読売ジャイアンツ」にこんな記述がありました。 

読売ジャイアンツ(よみうりジャイアンツ、Yomiuri Giants、読売巨人軍)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。日本で4番目に成立したプロ野球球団であり、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの12球団の中で最も歴史が長い。

最も歴史が長い球団だとは思っていましたが、日本で4番目に成立、つまり、その前に成立した球団は残っていないということのようです。

「芝浦球場」跡地「プロ野球発祥の地」説

「プロ野球発祥の地」について検索するとこんなのが見つかりました。

  • 発祥の地コレクション/日本初のプロ野球チーム発祥の地

    大正10年3月(1921年),「日本運動協会(通称」芝浦野球協会)」の本拠地として,この埠頭付近に芝浦球場」が建設されました。
     「日本運動協会」は,選手が野球をすることで報酬を得る「職業野球」を日本で初めて試みたチームでした。
    (略)
     大正12年(1923年)9月の関東大震災後,芝浦球場は戒厳司令部によって救援物資の集積場として徴発されることとなったため,試合の続行が不可能となり,大正13年(1924年),「日本運動協会」は解散。その後芝浦球場も閉鎖されました。

プロ野球としては「日本運動協会」の方が早かった。だから、読売巨人軍は「プロ野球発祥の地」を名乗らず、「読売巨人軍発祥の地」としたのだと思われます。

ここをPRしたい習志野市としては、自分が公共団体でもありますから、巨人の宣伝っぽいのも気が引けて、「プロ野球発祥の地」にしたのかも知れません。

ちょっと、紛らわしいです。

おまけに「日本野球発祥の地」

調べていたら、「日本野球発祥の地」も見つかりました。

野球害毒論

野球の歴史 - Wikipedia」に「野球害毒論」があって興味深いです。

野球害毒論とは、1911年(明治44年)に朝日新聞(当時の東京朝日新聞)が紙面で展開した野球に対するネガティブ・キャンペーンである。

こりゃ面白い。五千円札の新渡戸稲造が素敵なことを言ってます。

新渡戸稲造 第一高等学校校長(連載1回目)
「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」 

いいなぁ。主張が明確で理由をキチンと説明しています。
新渡戸稲造先生、隠し玉なんてスポーツにあるまじきとんでもないことですよね!

何がいいって、今これを聞いても、誰も本気で怒らず、笑ってしまうところが素晴らしい。

手のひら返し

しかし、大正4年、朝日新聞は「全国中等学校優勝野球大会」を始めます。

スポーツ大会を自分で主催してそれを記事にして売る。読売新聞にしても、朝日新聞にしても、ビジネスとしてうまいやり方です。

谷津干潟の野鳥は次回ということで。