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映画に熱中してた頃にシナリオを読んだ映画
『裸の島』を見てきました。
私には映画に夢中になった時期がありました。1984年、副鼻腔炎(蓄膿症)の手術で入院したのですが、そのとき友人が「シナリオ」という雑誌を持ってきてくれたのです。
映画は台本があって、それに基づいて撮影しているのは知っていましたが、雑誌に載った脚本は衝撃でした。それ以前はただ映画を楽しみたくて映画を観ていたのですが、映画はどうやって作られているか、それを興味の中心になってしまったのです。
熱しやすい私は映画の勉強を始めます。その頃に読んだシナリオを学ぶために読んだ本の一冊に『シナリオの構成』がありました。
この本には著者である新藤監督の自作シナリオ『裸の島』が掲載されていました。そのころはシナリオをよく読みましたから、シナリオを読んだことはあるけれど、映画はみたことがないというのがよくあり、『裸の島』もその中のひとつでした。
その『裸の島』が「午前十時の映画祭」で上映されるというので、見てきました。
なぜ私はこの映画に魅力を感じるのか、思い浮かんだのは次の3点でした。
- 瀬戸内海の小島という環境の厳しさ。過酷な自然の中で生きる人間の姿。
- セリフがなく、人が生きる原点だけが描かれる。
- 裸の島で暮らす家族のモデルは新藤兼監督の父母ではないのか。
これらについて紹介してみたいと思います。
この映画の魅力はどこから生まれるのか
映画の舞台は瀬戸内海の宿弥島。現在では無人島になっていますが、「1960年代ごろまでは男性一人が暮らしていた」(wikipwdia)そうです。
Google mapを計ってみると、南北が150m、東西が115mくらいの本当に小さな島です。
映画のラストには島の空撮シーンがあり、島の頂上に夫婦と子供が暮らす小さな家と小屋が写ります。こんな場所だったのだと分かります。
新藤兼人監督が映画を撮影した当時の宿弥島(Wikipedia「宿禰島・1962年」)。
広島市出身の新藤監督は、頂上まで耕してあるこの島を見たことから映画を作ろうとしたのかと思っていました。
ところが違ったのですね、順序は逆です。『シナリオの構成』は処分してしまっていたので再度購入してみると、シナリオが先に完成していたようです。
シナリオを描いたとき、こういう条件の島があるかどうか分からなかったと述べ、島を見つけたときの様子を書いています。
そして昨年(昭和三十三年)三月、シナリオを書いてから二年たって、ちょっと暇ができたので私は瀬戸内海へ遊びに行った。(略)その時、シナリオに恰好な島を見つけた。その島は宿禰(すくね)島といって、一人の老人が一匹の犬と一匹の猫を相手に遊んでいた。
(『シナリオの構成』p165)
水の入った重い二つの桶を天秤でかつぎ、 一歩一歩足を進ませてる殿山泰司さんん、乙羽信子さん。そのシーンが何度も描かれます。
野球やサッカーの躍動する肉体。マグロやカツオを釣り上げる漁師。登山をする肉体。その息づかい。生きる人間が真剣に取り組んでいる姿には美しいものがあります。
新藤監督はそんな姿を描けば見る人の心を打つはずだ。そう考えたようです。
生きるために必死に働く姿は美しい。新藤監督は瀬戸内の『裸の島』でそれを撮ったのでした。
同じ瀬戸内海を舞台にしたドキュメンタリー手法の映画を思い出しました。「男はつらいよ」の山田洋二監督が作った『故郷』です。
瀬戸内海の小さな島で石の運搬をしている船。船のエンジンの音。石を下すときには、石を摘んだモッコをぶら下げたクレーンでわざと船を傾かせ、ガラガラと石を海におとします。このシーンにも天秤でかついで、島を上る農夫婦と同じ迫力がありました。
『裸の島』の公開が1960年。『故郷』が1972年。
『裸の島』の影響を受けているのかも知れません。
セリフのない映画は生きる原点を描く
『裸の島』には水、風、船、祭りなどの音があり、感情を表現する手段として音楽も使われています。しかし、わざとセリフを使わないという制限をつけて、映画は作られています。
僕の映画人としての理念はね、映画は映像である、映像で押して、押しまくっていけば、必ず真実はつかめる。それでわざわざせりふを抜いた映画なんですよ。俳優が農民の演技をやるんじゃなくて、島に農民の夫婦が住んでいて、その記録映画を撮る、というように作りたかった。
— 新藤兼人、中国新聞2009年9月1日付(Wikipedia「新藤兼人・『裸の島』」より孫引き)
「映画は映像である、映像で押して、押しまくっていけば、必ず真実はつかめる」そのためにわざわざせりふを抜いたのですね。
セリフがありませんから、微妙な細かい人と人との葛藤を描くのは不向きです。
舞台を生きるのが厳しい『裸の島』にしたことで、描かれるのは必然的に人が生きる原点のようなものだけに絞られてきます。
- 生きるために働く力強い姿。
櫂を漕いで船をすべらせる農夫婦。「櫂は三年櫓は三月」と言いますが、殿山泰司さんも乙羽信子さんもすっかり農夫婦になっています。
重い桶の水を運ぶ。大地を踏みしめる草鞋を履いた足。作物に水をやる。
開墾のためにチェーンを巻き付け根っこを引き抜く。 - こんな島でも地主に小作料を支払わなければならず、小作料の作物を運びます。
- 食べる喜び。ドラム缶の風呂に入る喜び。
- 人のいる島ところでの祭り。
- 尾道あたり出かけたときの喜び。
- 子どもの病気、死。
『裸の島』は海外でも高く評価され、モスクワ国際映画祭 グランプリ、メルボルン国際映画祭グランプリなどを受賞しています。
新藤監督はセリフをなくし、人間は生きる原点を描きました。そのことがかえって言葉の通じない海外でも評価されることになったのだと思われます。
モデルは新藤兼監督の父母ではないのか
『裸の島』のモデルは新藤兼監督の父母ではないのかと思いました。新藤監督は農家の生まれだそうで、もの心ついたときから、両親が泥だらけになって働くのを見ていたはずだからです。
この映画を観ていると 、私の父母、祖父母もこんな暮らしをしていたのではないかと、あれこれ考えました。
私は福島の阿武隈山系で生まれました。この映画が公開される少し前です。
小学校に入ってしばらくするとテレビ、冷蔵庫、洗濯があるようになり、耕運機があるようになったのもそのころです。
最初は働く夫婦のシーンが多いのですが、子どもの笑顔が登場してくると、何故か涙が滲んできました。
あぁ、みんなこうやって生きてきたんだなぁ・・・と。
映画やドラマには見る人との接点があるから楽しめ、共感する部分が多く、その共感が強ければ感動します。
新藤監督を表すのにぴったりの言葉を見つけたので、貼り付けておきます。
オギャアと生まれた時から古今東西の映画を五万と観てきた私の眼に狂いがなければ、失礼ながら、新藤映画ほど洗練されていない、泥臭い、不格好な、それこそ地を這うような庶民の視点で撮られた映画も、おそらく他に類例がないのではないかと思われます。
(「挫折する力―新藤兼人かく語りき」レビュー「映画に取り憑かれた人」より)
「午前十時の映画祭」が終了するという悲報
ところで、今まで歴史に残る傑作映画を上映してきた「午前十時の映画祭」ですが、来年4月からの第10回目で終了すると発表されています。
それが終了してしまうのは、とても残念です。
映画はDVDやネット配信で家庭でみることも出来ます。しかし、大きなスクリーンと音響のある映画館では勝負になりません。それに暗い中で映画だけが見える環境ですあkら集中の度合いが違います。
都内を中心に旧作映画を主体に上映する「名画座」もありますが、地方に「名画座」はほとんどないのです。
「午前十時の映画祭」を上映する劇場は全国で58館あります。地方で名画を大きなスクリーンで見れるのはこれだけでした。
なんとか続けて欲しいものです。
最後に「午前十時の映画祭」を続けてもらう方法を紹介します。
それは、みんなで「午前十時の映画祭」を見に行くこと。観客が多くて黒字になれば、誰もやめるとは言いません。
来年の「午前十時の映画祭」を観客でいっぱいにしましょう。
そうしたら、また大きなスクリーンで名作映画を見ることができます。