しろっこブログ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

なんで、リハビリの理学療法士さんが卒研論文のことまで知っていたの?

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目次

2ヶ月も入院していた

 3月12日に義母が大腸ガンで死亡。3月22日にお葬式をすませると、緊急入院することになり、胃ガンが見つかってしまいました。

 お葬式の何日か前から体調が悪かったのですが、なんとか葬式を済ませます。そして、翌日に義母が入院していた病院で診察を受けると、消化器からの出血で貧血がひどく、生命に差し障ると言われます。

 2周間の入院。胃カメラ、大腸カメラ、CTスキャン、バリウムを飲んでの胃検査・・・。結果は胃がんでした。結果的にステージ2で抗がん剤(エスワン・タイホー)を1年間飲むことになり、手術の必要な大腸ポリープも見つかりました。

 胃の2/3を切除しますが、腸閉塞になってしまいます。腸がねじれて食物が通らないのです。若いときにした盲腸の手術をしたことがあり、そのことで腸が癒着しているのが原因だろうということでした。

 絶食で点滴だけの生活です。イレウス管を鼻から入れて腸の内容物を吸引します。そうしているうちにネジレた腸が何かのタイミングで正常になることを期待しての治療です。しかし、期待した効果はなく、さらに癒着をはずす手術をしました。なんだかんだで、退院したのが5月26日。2ヶ月以上も入院していました。入院中に体験した普通の入院とは違った興味深いことを書いて行きます。

スタッフがすっかり顔なじみ

 今回の入院は、今までに経験したものとは随分と違うものでした。なぜかと言うと、義母が大腸がんで1年近く入院してましたから、知っているスタッフが多く、スタッフも私のことを知っていたのです。

 主治医のQ先生、Y先生。どちらも義母の症状説明など何度も説明を受けました。クラークと呼ばれる事務の方も同じです。

 義母がこの世を去るとき立ち会った看護師さんもそうです。看護師さんは私と義母の別れを見守りました。写真撮影もしてくれました。

 「お義母さんに出会えたから、楽しい時間を過ごせましたよ」。そして、メモしたいろんな思い出を耳元で告げました。一緒に庭に野菜を創ること。一緒に行った鰻屋さん。歌舞伎が楽しかったこと。アルフレッドハウゼ楽団を何度も聴きに行ったこと。

「聴覚は最後まで残るといいますから、きっと分かったと思いますよ」と看護師さん。

 看護師さんもきっと私を覚えていてくれたでしょう。

卒業研究の論文まで知っていたPさん

 リハビリをする理学療法士のPさんが私のことを詳しく知っていたので驚いてしまいました。Pさんは1年近くも毎日のように義母のリハビリをしてました。義母はいろんなことをPさんに話したのでしょう。だから、Pさんは詳しく私のことを知っていたのです。

 リハビリをするときには療法や健康の話をするのはもちろんですが、価値観を共有できそうな話題を探すと思うんです。「自宅はどちらですか?」とか「ご家族は?」とかですね。そんな話題の中、義母は私との思い出を自慢げに話したのかも知れません。

 Pさんは、私が放送大学で学んでいることも知っていました。そして、私が卒業研究で論文を書き、「優秀報告書」に選ばれたことも知っていました。

 Pさんから義母の話を聴いて、義母にどれほど大切に思われていたのかを知りました。

 最近、夏川りみさんの「涙そうそう」を聴きました。義母がいつも私を励ましてくれる存在だったことに気づき、涙がポロポロとこぼれたのでした。


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外科のY先生

 義母が最初に入院したときの担当は女医のY先生でした。Y先生は出産で求職し、しばらくして復職しました。

 すると義母は、女医のY先生に担当になって貰うよう訪問看護の看護師さんと作戦を練ります。そして、担当医に「土曜日でないと都合が悪い」と言います。

「土曜日だと以前に担当だったY先生になりますが、いいですか?」

 義母の作戦は成功です。担当医はよけいなことは何もいいません。医者といえば最難関の職業。洞察力もハンパではないでしょうから、義母の作戦なんか簡単に見抜いているはずです。

 Y先生の担当にして貰った義母は、診察のときにちょっとしたプレゼントを渡します。そうすると、Y先生はスマホのお子さんの写真を見せて楽しそうに会話をしてました。

 ですから、Y先生には、気安く話しかけることが出来ました。ナースステーションの奥にいる先生を「Y先生!」と呼んで挨拶すると、病状の説明をしてくれました。

 義母が死亡した直後に私が入院ですから、義母のイメージが抜けないまま私と接することになったのでした。

最後に

 胃がんが見つかり、2ヶ月以上も入院していました。

 今回の入院は、今までに経験したものとは随分と違うものでした。義母が大腸がんで1年近く入院してましたから、知っているスタッフが多く、スタッフも私のことを知っていたのです。

 義母がリハビリを受けていた理学療法士のPさんに私もお世話になりました。そうしたら、Pさんは私のことを詳しく知っていたので、驚いてしまいました。

 Pさんから義母が話した私のことを聴いて、義母にとって家族が大切な存在だったことを知りました。いつも私を励ましてくれる存在だった義母に感謝のメッセージを捧げます。