シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

ゆる映画学『幸福の黄色いハンカチ』を旅する──名作映画を101倍楽しむ方法(2)

 名作映画を見ても、どこがいいのか分からないことがある。その理由は、映画の見どころに気づいていないだけではないか。そんなことを考えて、「ゆる映画学」という本を書こうとしています。今回はその第1章の冒頭を紹介します。

目次

第一章 セリフの裏にある気持ち ── 映画はどこを見れば面白くなるのか

 市川森一のTVドラマ『夢の鳥』。若い警官(野口五郎)は女性(岡田奈々)が騙されていたことを知る。「ああ疲れた胸の裡を 桜色の女が通る」。これは中原中也の詩であって、彼女が愛した男が作ったものではない。警官は本当のことをいうのか。ドラマの魅力はこんなところにある。すべてのドラマ、場面がそうとは限らないが、本心が言葉にされていない場面は、注目するチャンスだ。

 このように、言葉と本当の気持ちのあいだには、ずれが生まれることがある。そのずれを読み取ることができるようになると、映画の見え方は大きく変わる。登場人物が何を言ったかではなく、なぜそう言ったのか、そして本当は何を思っているのかが見えてくるからである。本章では、この見方を手がかりにして映画を読み解いていく。

 そのために取り上げるのが、山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』と、そのアメリカ版リメイクである『イエロー・ハンカチーフ』である。この二つの作品を見比べると、同じ物語でありながら、感情の見せ方が大きく異なっていることに気づく。

 一方は、語られない感情を行動や間によって伝え、もう一方は、感情を言葉や衝突として表に出す。その違いを追うことで、映画はどのようにして人の心を見せているのかが具体的に見えてくる。

 この構造については、映像作家・増村保造がすでに指摘している。本書ではこれを「心理的二重構造」と呼ぶことにする。

 本章では、この構造が映画の中でどのように働いているのかを、具体的な場面を通して見ていく。

1 「君のためだ」は本当か ── 離婚告知の場面を読む

 たとえば、『幸福の黄色いハンカチ』とリメイクの『イエロー・ハンカチーフ』には、同じ出来事を扱った場面がある。主人公が、服役中に妻へ離婚を告げる場面だ。
どちらの作品でも、男はこう言う。
 「君のためだ」
 一見すると、相手の将来を思って身を引く、まっとうな言葉に聞こえる。だが、この場面では、その言葉どおりには受け取れない。

 日本版では、島勇作が「今ならまだ若いし、幸せになれ」と光枝に言う。だが妻の光枝は、「一緒になる時も、別れる時も勝手だ」と涙を流す。このやりとりによって、勇作の言葉が単なる配慮ではないことが見えてくる。そこには、「自分には相手を幸せにする資格がない」という思いと同時に、「本当は別れたくない」という感情が含まれている。

 アメリカ版でも同じである。ブレットは「離婚することが君のためだ」と言い切る。しかしメイは、「私にあなたを愛させたのはあなただ」と応じる。ここでも、言葉の上では別れが正当化されている。しかし、その背後には関係を手放したくない感情が残っている。

 つまりこの場面では、「相手のため」という言葉と、「本当は別れたくない」という気持ちが同時に存在している。ここに、言葉と本音のずれがある。こうしたずれは、この作品だけに見られるものではない。映画の中では繰り返し現れる構造である。