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ここのWEBを見て思い出した
田舎暮らしをしたい人に阿武隈山系の田舎不動産を紹介している都路林産開発という会社があって「あははおほほの田舎暮らし」というサイトを公開していました。このサイトの説明文が好きで良く読んでいたのですが、福島原発に事故が発生してしまい、この付近は20-30キロ圏に該当するため営業を停止しているようです。
このサイトに「都路にないもの」というページがあって、大手コンビニの配送所はあるけれどコンビニはない。地価が安いから中継基地にはなるけれどコンビニ経営は成り立たない村だという説明があります。
実は、私の実家付近にもコンビニがありません。東に向かっても、南に向かっても、西に向かっても、10キロ以上車を走らせないとコンビニはありません。しかし、コンビニが出来そうになったことがあります。
そんなことを思い出しましたので書いてみます。
田舎にもコンビニが出来るぞ!
実家のあたりは農村ですから商店街などありません。レストランもファミレスもなければ回転寿司もなくて、あるのは昔ながらの何でも商店が2、3軒。
そんな農村なのですが、10年も前のことでしょうか、毎年のお正月、5月の連休、お盆は実家にいる母の顔を見に行っていたのですが、実家の部落に入る入口付近にコンビニになるらしい建物を見つけました。
何というコンビニチェーンだったでしょうか、白いバックに緑か青のアルファベットの文字だったような気もしますが、メジャーなチェーンでなかったように記憶しています。
都会にはないコンビニオープンの障害
実家に着いて聞いた話では、「建物は出来たもののオープン出来ない」と言う話でした。
何故か。そこのコンビニに勤める人がいないというのです。近くには昔からのなんでも屋商店が2、3軒あって、もし、コンビニがオープンすれば昔からあるなんでも商店は経営が苦しくなるどころか、閉店するしかないかも知れません。
町場ですと他人の集まりですから、そんなこともおかまいなしにコンビニはオープンするのですが、田舎ではそうはなりません。村全体が小さいときからの知り合いです。昔の話ですが、私の父などが買い物に行くと饅頭をいただいて食べたりしていました。絆の深いムラでは商店に恨まれたりするのも嫌なので、誰もコンビニでは働く人がいなくてオープン出来ないのです。
コンビニは取り壊された
帰省する度にコンビニの建物は見るのですがオープンする様子はありません。そんな状態が1、2年続いたでしょうか、建物は取り壊されてしまいました。
誰がオーナーだったのでしょう。オーナーにオープンしなかった理由を聞いた訳ではなくて、どこからか聞いたような話なのですが、実に田舎らしい話です。
都会にはない義理人情のモラル
経済学的に言うとなんと生産性の低い話だと言うことになるのでしょうが、そこは田舎ですから不便でも車を走らせて町のコンビニに行きます。コンビニが出来た方が便利でお金の動きも多くなるのでしょうが、義理人情から人の絆を選びました。
佐藤忠男「長谷川伸論 義理人情とは何か」で「義理とは相手に対する負い目を正しく認識することこそが人間の自然の理であり、モラルの源泉である意味であると私は思う」と言っています。
人の繋がりが濃い田舎では義理人情が優先することが多かったのです。