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キネマ旬報ベスト・テン1位なのに映画の良さが分からなかった
30年くらい前に小栗康平監督「泥の河」を見ました。たぶん、レンタルビデオでした。キネマ旬報ベスト・テン1位と評価の高い作品だったのですけれども、その良さを理解することはできませんでした。自分には名作と言われる映画を理解する感性がないのか、と落胆した記憶があります。
その「泥の河」が市川コルトンプラザで上映していましたので、リベンジに見てきました。上映されたのは「スクリーン9」。「午前十時の映画祭」はいつもこのスクリーンです。観客は、二、三十人くらいでしょうか。古い名画ということからか、平日の午前十時という時間からか、高齢の方が多いようでした。
以外だったのは、一人で見に来た若い女性がチラホラと居たこと。映画の良さを理解できなかったことから、どんな映画だったのかを調べたのですが、この映画の一番大事なポイントは、主人公の少年がきっちゃんの母親が売春しているその行為中の顔を見てしまい目が合ってしまうことです。そのことが若い女性にふさわしくないように感じた理由です。
さて、リベンジに見た結果はどうだったのか。とても感動的な映画でした。 川岸でバラックのようなうどん屋を営む家族。信雄(9歳)が仲のよくなった廓舟の姉弟を招きます。暖かく迎えて、精一杯のご馳走を食べさせる信雄の父と母。そのシーンを見て胸が熱くなりました。
レンタルビデオで見たときにこの感動を味わえなかったのはなぜなのか、感動したのはどんなシーンで、それはなぜなのかを考えていきます。
小さな画面でも感動するのがいい映画?
レンタルビデオで見た当時は、小さな画面でも良さが伝わるのがいい映画と考えていました。
何年か前に、TVで放送された「十二人の怒れる男」を見たことがあり、ドラマの展開に引き込まれてしまった経験があったからです。内容は、一つの部屋で12人の陪審員が有罪か無罪かを議論するだけ。寝る前に何気なく見始めた映画でしたが、夢中になって見続けたのを記憶しています。
名画と言われる映画をTVで見たけれど、何が面白いのかよく分からないのが何本かありました。ところが、「午前十時の映画祭」で大きな画面で見直すととても深い感動があるのです。
例えば、次のような映画がそうでした。
- 小津安二郎監督の映画。
- デビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」は面白さが分かりましたが、「アラビアのロレンス」は途中で見るのを止めてしまいました。
最近、「ドクトル・ジバゴ 」を映画館で鑑賞して、その圧倒的なスケールの画像と音楽をTVで感じるのは無理だと知りました。
映像、音響の表現力で、受ける印象はこんなにも違うものだと理解したのです。
家庭用のTVと映画館の音響の差を数値で表現するのは難しいのですが、映像なら比較できます。私が見た映画館で見た「東京物語」は4Kのバージョンのはずですので、昔の家庭用TVと4Kの解像度を比較してみます。
- NTSC
昔の家庭用TVがこれです。640×480ドット相当
映像信号であるカラーテレビジョン信号方式の一つNTSC方式は北米と日本、台湾などで用いられている。アスペクト比は、4対3である。NTSC方式の走査線は、525本(有効走査線は、480本)なので、ドットに換算すれば、640×480ドット(VGA相当)になる。(「映像信号 - Wikipedia」より)
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4K (4096×2160) 参考:関東近辺4K対応スクリーン一覧
2006年からハリウッド映画を中心にDigital Cinema Initiatives(英語版)(DCI) の仕様が決まった。 DCI規格では映像は2K (2048×1080) または4K (4096×2160) の解像度でJPEG 2000で圧縮され、フレームレートは24または48fpsである。
(「デジタルシネマ - Wikipedia」より)
こんなにも違うんです。
アカデミー賞外国語映画賞や日本アカデミー賞を受賞した「おくりびと」をレンタルのDVDで見て、「普通の映画だった」というのを聞いて悔しい思いをしたことがあります。「おくりびと」はストーリーは重要ではありません。死者を納棺するときの所作の美しさ、死者を送り出す残されたひとたちの愛情、それが表現されるのが重要なのです。しかし、DVDではそれが汲み取れなかったのだ思います。
同じように「泥の河」も小さな画面では良さが伝わりにくいのだと思います。
どんなシーンに感動したのか
「泥の河」は宮本輝さんの小説を小栗康平監督が映像化した映画です。
昭和30年の大阪。安治川の河口で暮らす信雄は両親から、近づいてはいけないといわれた舟に暮らすきょうだいと交流をもつ。きょうだいの母親は船上で売春をして口に糊していたのである。(「泥の河 - Wikipedia」)
私の胸が熱く込み上がってきたのは、信雄が廓舟に住む姉弟を家に連れて来たところからです。
映画というものは葛藤があるもの。登場人物が感情を爆発させたり、事件が起きたりする。以前はそんな風に考えていました。しかし、映画のこの部分にはそういうものはありません。
信雄の家は川べりのバラック小屋のようなところでうどん屋を営んでいます。そこに友達になったきっちゃんと姉の銀子を連れて来ます。藤田弓子さん演ずる信雄の母は精一杯のご馳走でもてなし、銀子と一緒にお風呂に入り、ワンピースをプレゼントします。田村高廣さん演ずる信雄の父はとっておきの手品をやってみせて、きっちゃんたちを喜ばせます。
学校にも行っていないきっちゃん。信雄の父と母のもてなしは、小さい頃の私がひとりで母の実家に行ったときのことを思い出させます。きっちゃんたちがそんなもてなしを受けたことがないのは、慣れないたどたどしい様子を見ればわかります。
ちょっと見ただけでは、何でもなさそうな様子が描かれるのですけれど、そこから先は涙を流しながら見続けました。
社会の底辺に生きる人の姿が、社会全体にたいして対立している姿が描かれているのです。