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自分に合った情報の受け取り方
こんにちは、シロッコです。情報大好き人間のあなたでも、溢れる情報に圧倒されることはありませんか?
インターネットは驚くほど広大で雑多な情報に溢れています。どの情報が大切で、どれを無視すべきなのか、決断が難しいときがよくあります。私も、情報の波に飲まれ、言わなければよいのに変なコメントをしてしまったり、ブロックされてしまったこともあります。
それを解決する方法を考えてみました。それは、情報を4つのカテゴリに分けて考える方法です。
それを思いついたのは、放送大学の文化人類学の講義で、サン族のヒーリングダンスを知ったからです。サン族は「癒やしの力」が人間らしく生きるための鍵だと言います。
そこから「エンターテイメント」は「人を癒やすためのもの」という考えに結びつきました。「エンターテイメント」の情報を受け取ったら、「人を癒やすため」に発信しているのだなと思うと、とても得した気分になります。
だったら、「エンターテイメント」以外の情報は、何のために発信しているんだ。その目的を把握して受け取れば、得することがあるんじゃないかと思ったのです。そこで、「エンターテイメント」を始めとして、情報を目的別に分類する方法を考えてみました。
簡単に説明してみます。私が考えた情報の分類は以下です。
- エンターテイメント
人々の心を潤し、活力を与えるもの - ニュース
現在の出来事を知り、意思決定に役立てるもの - 有用な意見
自己向上や問題解決の助けとなるもの - 批判や攻撃
時に自己改善のきっかけになるが、ストレスを引き起こすもの
「雑多な情報でも、この4つのどれかなのだ」と意識することで、溢れる情報に冷静に対処できるのではないかと思います。
この記事では、Twitter などインターネットに氾濫する情報を、具体的に4つの分類して、その情報の意味を分析していきます。氾濫する情報でも、有益に活用していく方法を見つけていきましょう。
エンターテイメントは人々の心を潤す
エンターテイメント(Entertainment)は人々の心を潤し、生きる活力を向上させるためのものです。これには、映画、音楽、テレビ番組、演劇、コンサート、スポーツ、ゲーム、文学、美術、ダンスなどが含まれます。
接した情報がエンターテイメントに分類されるものだったら、「人々の心を潤す」ための情報なんだな、と思うと心が落ち着きます。
- Twitter:
デーブ・スペクター (@dave_spector) / Twitter
いつも人を楽しまそうとしていますね。
いつも、放送大学のメリットを連呼している人もいます。 - 大谷選手の活躍を聞いて、喜ぶひとがたくさんいます。
- 100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”1▽“四国の森”と神話の力
生きる勇気を与えるための小説です。
人々を楽しませる。ストレスが解消する。心身がリフレッシュする。
人生が豊かになったように感じることができれば、これに越したことはありません。
ニュースは意思決定の参考になる
刻々と、飛び込んでくるニュースは、今後行わなかればならない意思決定に役立ちます。ニュースは以下のように分類することが出来ると思います。
- 政治関する情報。
- 経済に関する情報。
- 社会関する情報。
- 科学・技術関する情報。
- 文化・エンターテイメント関する情報。
「ニュースは意思決定の参考になる」という命題から、どのような意思決定に役立つのかを列挙します。
- 政治関する情報
私たちの社会は民主主義ですから、今後生活する環境をどのようにすればよいのか、自分の考えを組み立てるのに役立ちます。 - 経済に関する情報
「お金」に関する行動をするための意思決定に役立ちます。 - 社会関する情報
教育・医療・福祉の問題、地域コミュニティへの参加、防災対策など、豊かな生活を送るための意思決定に役立ちます。 - 科学・技術情報
問題解決の手段を選択するための意思決定に役立つと思います。 - 文化・エンターテイメント情報
エンターテイメントは人々の心を潤します。趣味や娯楽をどうするか、旅行先をどこにするか、意思決定に役立つはずです。
YahooやNHKのニュースを見て、これらのニュースは私にとってどんな役に立つのかを考えると、新しい世界が見えてくるような気がします。
有用な意見は自己を向上させる
接する情報の中には、「オピニオン」(opinion)があります。「オピニオン」とは、個人的な意見、見解、考え、信念などなどのことです。
そして、「オピニオン」には有用なものと、そうでないものがあると思います。私にとって、有用であるかどうかは「関連性とタイムリーさ」が判断基準になります。自分の状況や目的に関連していて、適切なタイミングで提供されるかどうかです。
私が現在の状況から、どんな意見を有用と考えているか書いてみます。
- エンターテイメント関する意見
映画に興味があったのですが、その効用が「人々の心を潤す」ことだ考えがまとまりました。そうすると、「映画を倍速で見るのは・・・」、「人形浄瑠璃の芸術価値を過小評価する意見」とか、そういう意見が深く考えるきっかけになりますから、有用な意見と言えます。 - ChatGPTに関する意見
ChatGPTはウソをつくから使わないほうがいいという意見もあります。それは私にとって「警鐘」です。警鐘は役に立ちます。 - 修士課程関する意見
放送大学の修士課程で、日本映画の文化的立ち位置を研究したいと考えています。そうすると「日本文化の特異性」に関する意見は有用と感じて敏感になります。
他にも、ウクライナの情勢、日本の経済状況などに関する意見もありますが、私にとって、自分をアップデートできる意見が有用です。
批判や攻撃はストレスを引き起こしやすい
「批判」と「攻撃」は全く別物ですので、切り分けて考える必要があります。GPT-4に聞くと次のような分類をしてくれました。
- 批判
目的:問題点や改善点を指摘し、相手の成長や状況の改善を目指す。
表現:具体的な問題点や改善提案を示し、建設的なトーンで伝える。 - 攻撃
目的:相手を傷つける、罵る、または自分の優越感を保つこと。
表現:侮辱的な言葉や過激なトーンで伝え、具体的な改善提案がない。
目的が、「相手の成長や状況の改善」を目指すのか、「相手を傷つけ、自分の優越感を保つ」ためのものかを読み取れば、「批判」なのか「攻撃」なのかが判断できます。
批判にはどのような例があるか
批判の代表として、新聞の社説があると思います。
例として朝日新聞社説のタイトルを並べてみます。
- 「日韓シャトル外交 関係改善 枠組み定着を」
- 「コロナ「5類感染症」に あぶり出された課題直視して」
- 「ダイハツ不正 問われるトヨタの統治」
- 「日本国憲法と死刑 今こそ意見を交わすときだ」
- 「平和憲法と安保3文書 民主主義の形骸化許されぬ」
目的が、問題点や改善点を指摘して状況の改善を目指すもので、建設的なトーンだと思います。
他にも「学術論文」や「書評」、・・・ブログで、批判を書く人もいます。
「日本死ね」という匿名ブログ
2016年(平成28年)に、ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」が国会でも議論されるほど注目を集めたことがありました。
anond.hatelabo.jp その表現が過激なため不適切であるという批判もありました。「攻撃」のように見えたからです。
攻撃にはどのような例があるか
「放送大学は誰でも入れるのに大学って名乗るんですか」
私は直接目撃していないのですが、上記の発言を巡って放送大学で学ぶひとたちが、傷つき、反発したことがあります。
まさに、「相手を傷つける」、「自分の優越感を保つ」ために発せられた言葉で、表現も「侮辱的な言葉や過激なトーン」であり、具体的な改善提案がありません。
「自称某有名大学教授が放送大学を馬鹿にし、学長に訂正される」
こんな事件もありました。
放送大学はカルチャーセンターのようなところがあり、大学院や官公庁の受験資格では全く同一に扱われますが、民間の企業ではなかなか相手にしてもらえません。
批判として放送大学を論じるなら、そういう点を指摘して、改善をすべきです。そういう点が全くないのが「相手を傷つけ」、「自分の優越感を保つ」ためのものであった証拠です。それに、学長が出てきて自分の主張を引っ込めるのも、論破する自身もなく、権力に弱いという残念なメージでした。
私個人に向けた攻撃のコメント
私個人に向けた攻撃コメントを受け取ったことがあります。
面接授業があまりにもつまらなくて「単位はいりません」と途中で退場したというブログあって、びっくりしたことがありました。
そのブログをTwtterに引用して紹介すると、岡部学長がコメントをつけてリツイート。それがフェイスブックの「放送大学バーチャルキャンパス」へ流れ、そうしましたら、ブログへ「けしからん」というコメントた多数投稿され、そのブログが炎上してしまいました。
私にも攻撃ツイートがありました。私は「途中で退場を支持したい」と称賛したかったので、(なんと「学ぶ志」の低い人たちと)攻撃は無視する態度でした。
攻撃に分類される情報は無視するに限ります。
最後に
ここまで、「《雑多な情報でも、この4つのどれかなのだ》と意識することで、溢れる情報に冷静に対処できるのではないか」ということを書いてきました。
しかし、どのカテゴリに属するのか悩むような情報もあります。
- 芸能人の結婚、出産など、おめでたい情報
単純にエンターテイメントとして楽しみ、心を潤すかもしれません。
共感する部分があるかもしれません。今のところは、今後の意思決定役立ちそうですから、ニュースの一種として分類して受容することにします。 - 他人の不幸は蜜の味的な情報
離婚、犯罪に走ってしまったなど、情報もあり、どう受け止めればいいのか戸惑うこともあります。
これもニュースの一種として受容すればいいのだと思います。
結局、どう受け止めるかは、自分自身の価値観や興味に基づいて決めればいいんですね。自分が興味を持てなくても、他人は喜んでいるのですから、それを尊重すべきでしょう。
ふとした切っ掛けから、ブログを書いてみようと思い、なんとか最後までたどり着きました。分からないときは GPT-4 に相談しました。
- いくつかアイディアを提案してもらった中から選んだり、結局は無視したり。
- 文章のいいところを書き出して貰って、勇気を得たり
- 改善すべき所を指摘してもらったり。
面白く読んでいただけたかどうか、自身がないのですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
精進いたしますので、叱咤激励頂ければありがたいです。
それでは失礼します。