シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

喜多方中のバンカラが会津中を叩きのめす映画・鈴木清順『けんかえれじい』

けんかえれじい [DVD]

目次

NHK「新日本風土記 喜多方」の『けんかえれじい』

NHK BSプレミアムで「新日本風土記 喜多方」を見ました。福島県喜多方市。 私の生まれた県ですから親近感があり、興味を引いたのです。

喜多方ラーメン、蔵の街喜多方・・・。 

「雨ニモ会津若松ニモ負ケズ」

会津若松に対してのコンプレックスと対抗心の話が登場します。武士が闊歩する会津に対して、北の方角にあるから「北方」。所詮は農民と商人の街と見られていた。喜多方夏祭りが生まれたのは、会津若松に張り合って始めたものと言います。

大会実行委員長・小原良一さん。

若松にはいつも負けているからね。
お城には遠足で行ったり、若松にしかデパートがなかった。東大出る人の数も全然違い、レベルが若松と喜多方は全然違う。

ふるさとは変えられませんから。俺らは喜多方で生まれて喜多方で育ったから。 

若松に対するコンプレックス。これが喜多方の「風土」なのでしょう・・・。 

それがテーマになった映画も生まれたといいます。
会津を叩きのめす痛快極まりない映画。鈴木清順監督の『けんかえれじい』だというのです。番組の中で高橋英樹さんが暴れまわり、会津中を叩きのめすシーンが紹介されます。 

決定版!日本映画200選―ビデオ&DVDで観たい

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『けんかえれじい』という映画は名前と概要だけは知ってはいました。佐藤忠男さんの『決定版!日本映画200選―ビデオ&DVDで観たい』に載っていたからです。

喜多方中が会津中を叩きのめす話だったのか・・・。

この映画、どうしても観たくなりました。自分が生まれたふるさとのコンプレックス。それが、喜多方が会津を叩きのめす映画で発散されるのを体験してみたくなったのです。

「喜多方中 vs 会津中」と「田村中 vs 安積中」

詳しくない方のために、福島県の旧制中学について、ざっくりと説明します。 

位置関係から。福島で大きな都市は福島市、郡山市、会津若松市、いわき市です。

私のふるさと田村市。2005年、平成の大合併によりできたもので、古くからある市には何を比べてもかないません。

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私の母校は旧制中学で言えば、三春町にあった田村中学。『けんかえれじい』に登場する「喜多方中学」の敵である「会津中学」は「田村中学」から見れば「安積中学」に相当します。喜多方のコンプレックスから言えば、「会津若松」は「郡山」に相当します。

「新日本風土記 喜多方」の小原良一さんと同じ思いがあります。

本を買うのは郡山、映画を見るにも郡山、デパートも郡山・・・郡山に行っても、東京には及びもしないんですけどね。

「喜多方中 vs 会津中」は「田村中 vs 安積中」に例えて観たくなるのです。

「喜多方コンプレックス」の映画ではなかった

けんかえれじい

けんかえれじい

 

 『けんかえれじい』はどんな映画だったか 。

喜多方のコンプレックスと対抗心が描かれると期待したのですが、そうではありませんでした。

この映画の原作は岡山県生まれの児童文学者・鈴木隆。旧制岡山中学校から会津の旧制喜多方中学校に転校した人で、『けんかえれじい』は自伝的長編だと言います。映画の半分は岡山での話で、 喜多方中学に転校してから会津中学とケンカをすることになります。

原作者が喜多方生まれの人ではなかった。それが原因かと思われます。

あらすじ

簡単な「あらすじ」はこんな感じ。

  • 南部麒六(きろく)は旧制第二岡山中学校の生徒。
    下宿先は母子家庭で、ピアノをひく憧れの女性・道子がいる。
  • 道子をからかわれたことから上級生とケンカになり上級生をぶちのめしてしまう。
  • それを観ていたケンカの達人・スッポンに見込まれ、麒六はケンカ修行に励む。
  • 麒六は蕎麦屋でのケンカが評価され、OSMS団(オスムス団・岡山セカンドミドルスクール)副団長になる。
  • 麒六は道子とは満足に口も聞けない。道子は麒六のケンカをやめさせるため、ピアノの練習をさせる。
  • 軍事教練にやってきた教官と衝突し、会津若松の親戚の家に行くことになる。
    会津中には空きがなく、喜多方中学に入学。
  • 最初は喜多方中学でよそ者として虐められるが、跳ね返してしまう。
  • 会津中の昭和白虎隊と死闘を繰り広げる。

脚本は映画監督、脚本家として名高い「新藤兼人」。

Wikipedia によると、鈴木清順監督が「脇役が面白くない」と脚本に大幅な改変を加え、撮影中にも即興で改変したそうです。

会津中を叩きのめした麒六に対して、どう処分するかというシーンがあります。

教頭が「会津中では内密にし、問題にしないそうだ」と校長に言います。

校長「人生には後で考えればバカバカしいと思うが、その時には命を張ってやることがある。それが男だ! 学生よりもまずは男だ!」

校長が「麒六、来い!」と竹刀を持って、麒六と戦おうとします。

このリアルの限界を超えたバカバカしさの滲んだ面白さ。これを中心にがっちりと脚本は構成されていたとは思うのですが、元はどうなっていたのか、興味のあるところです。

過剰演出の「清順美学」

『けんかえれじい』はケンカに明け暮れる痛快さがメインの映画です。主人公の高橋英樹さん演ずる南部麒六も、漫画のような現実離れしたキャラクター。

佐藤忠男さんはこう言っています。

批評家たちはいっこう、ベスト・テンに投票しなかったが、その作風には、ギャング映画ややくざ映画を、徹底的にふざけた見世物にしてしまいながら、そこの一種の無常観を生み出す、という離れ業が見られたのだった。(略)ギャグに次ぐギャグで笑わせながら、しかしそこから、おれたちはなんでバカげたことをやっているのか、という痛切な思いもこみあげてくるのだ。 (『決定版!日本映画200選』p24)

鈴木清順監督は「如何に映画を面白くするか」、「映画には文法がない」、「面白ければ何をやったってかまわない」、「観客をびっくりさせるのが目的」。

そんな考えで映画を作っていると言います。(Seijun Suzuki interview)

それが「清順美学」と呼ばれたのですね。

鈴木清順監督は、映画『殺しの烙印』が難解すぎることから、一方的に解雇されたことがあります。(「鈴木清順問題共闘会議」)

ストーリィが分からなくたって、映画は面白いんだ。そんな考え方です。

アクション・シーンが多すぎて途中から話がよく分からなくなるトム・クルーズの『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』について書いたことがありました。

それに似ています。

「清順美学」を頭に入れて見直す

これらの情報を頭に入れてから、『けんかえれじい』を見直すとさらに面白かった。

まず、テーマ曲。 「大きいことはいいことだ」の「森永製菓 エールチョコ」のCM、映画『男はつらいよ』の山本直純さんです。 

けんかえれじい テーマ曲(sm18672486) | NicoGame

ひとつ喧嘩はなんのため
ふたつ喧嘩は肝っ玉
みっつ喧嘩は腕の冴え
よっつ喧嘩は身のこなし
いつつ喧嘩はこころいき

(略)

とうでとうとう運のつき 

「清順美学」の過剰演出が面白いのです。

  • ブログトップのDVDジャケットを見てください。
    左の「スッポン」を演じている川津祐介さんがかぶっているのは鍋です。こんなガブガブの鍋で暴れられないですよね。ふざけている?
    高橋英樹さんの腰にぶら下げているのはタワシと釘で作ったメリケン。
    釘が相手に刺さって相手を引きずりまわす。
  • 塀越しに女学生を覗いているその不自然なまでのがに股な足の形。
  • いきなり河原の土手に呼び出されるが、簡単にやっつけてしまう。倒れるお尻のところにスパイクを置いて、お尻に刺さり「イテテ」となるギャグ。
  • 度胸と逃げ足のために、奇妙な姿勢で歩くのトレーニング。
    道子は話しかけても無視。道子笑う。周りの人たちが大声で笑う。走ってきた自転車が倒れる。ドリフタースのコントのようでもある。
  • 憧れの道子が留守のとき、麒六はズボンを下げ、チンコでピアノを弾きます。
    このバカさ。麒六は熱心なキリスト教徒。十字架を見つけてやめる。
  • 麒六たちが砂防ダムに落ちたとき、投網が投げられる。なんで投網が出てくるのよ。
  • 麒六は昭和白虎隊に捉えられ、「俺たちの傘下に入れば許してやる」と横にした大八車の車輪に縛られてグルグル回される。
    目が回るかも知れないが意味のないグルグル。

まぁ、こんな感じで過剰演出が続くのです。

世界に評価される「清順美学」 

鈴木清順監督の作品は、世界中の監督達に強い影響を与えているそうです。

『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の<大正浪漫三部作>で鮮やかに復活してからは、海外でのレトロスペクティブも開催され、ジム・ジャームッシュ、タランティーノ、ウォン・カーウァイなど新感覚の映画作家からも絶大な尊敬を受けるカルト監督として、その名声は留まるところを知らない。 (『決定版!日本映画200選』p24)

「タランティーノ」くらいしか聞いたことがありませんが、どんな映画を作るのか、見てみたいところです。

この「予告編 花と怒濤 1964 鈴木清順」のオープニングも凄い。

  • 障子戸が一面に映っている。
  • タイトルの音楽が流れ、刀で切られる音。
  • 障子戸に血しぶきが飛び、それを破る手。
  • うめき声と共にその男が倒れ、破れた障子戸の奥に小林旭が見える。

 

「清順美学」の『けんかえれじい』。古い映画にも良さがあります。