緑の帯
《読むたびに私は大人になっていった 「細雪」「オリンポスの果実」「大地」「愛と死」・・・奥行きのある女になるための読書ファイル》
目次
書籍紹介のお手本にしたい
本を読んで、「あぁ、これは素晴らしい。この本の良さを伝えたい」、そう思うのですが、「どう書いてよいか分からない」、そんな悩みがありました。
書籍紹介の《型》を学ぶのによさそうな本を見つけました。
この本を買ったのは、出版されて20年近くも経ってからのことです。
どうして、今頃この本を見つけたかというと、放送大学図書館をブラウジングしているとき、「この本と読んで!」と、この本が眼に訴えてきたからです。
林真理子さんというビッグネーム、放送大学図書館にあるという信頼感・・・「きっとよい本に違いない」と期待が膨らみんで、借りて読んでみました。
(その後、書き込みをしながら読むために購入)
林真理子さんが青春時代に読んだ「昭和」。その名作の魅力的なエッセンスが紹介されています。
どんな点が魅力的だったのか、簡単に内容を紹介しします。
扱っているのは「女を磨くための54冊」
「女を磨くための54冊」とは《緑の帯》に印刷されたコピーです。
本のカバーは黄色いバックの濃いオレンジの亀甲模様。そこに、緑地に白で印刷されているのですから目立ちます。
この本は、雑誌「CREA」の1997年12月号~1997年12月号に連載されたものです。
「CREA」という雑誌名を初めて知ったのですが、検索してみると、《好奇心旺盛な女性たちへ》《文藝春秋が発行するライフスタイル誌》という言葉がコンセプトの雑誌のようです。
54冊の内容を掲載順に示します。
- 「わたしが・棄てた・女 」 遠藤周作
- 「老妓抄」 岡本かの子
- 「放浪記 」 林芙美子
- 「鏡子の家」 三島由紀夫
- 「おはん 」宇野千代
- 「斜陽」 太宰 治
- 「楡家の人びと 」 北 杜夫
- 「氷点」 三浦綾子
- 「愛人 ラマン 」 マルグリット・デュラス
- 「限りなく透明に近いブルー 」 村上 龍
- 「ノルウェイの森」 村上春樹
- 「櫂 」 宮尾登美子
- 「されどわれらが日々──」 柴田 翔
- 「グレート・ギャツビー」 フィツジェラルド
- 「思い出トランプ」 向田邦子
- 「忍ぶ川 」 三浦哲郎
- 「キッチン」 吉本ばなな
- 「蒲田行進曲」 つかこうへい
- 「冷血」 カポーティ
- 「太陽の季節」 石原慎太郎
- 「愛と死」 武者小路実篤
- 「さぶ」 山本周五郎
- 「サイゴンから来た妻と娘」 近藤紘一
- 「オリンポスの果実」 田中英光
- 「淋しいアメリカ人」 桐島洋子
- 「火宅の人(上)」 檀一雄
- 「女坂」 円地文子
- 「肉体の悪魔」 ラディゲ
- 「散歩のとき何か食べたくなって」 池波正太郎
- 「白洲正子自伝」 白洲正子
- 「予告された殺人の記録」 G・ガルシア=マルケス
- 「細雪」 谷崎潤一郎
- 「嵐が丘」 E・ブロンテ
- 「かの子撩乱」 瀬戸内晴美
- 「ヴェネツィアの宿 」 須賀敦子
- 「情事」 森瑤子
- 「ジョイ・ラック・クラブ」 エイミ・タン
- 「杏っ子」 室生犀星
- 「欲望という名の電車」 テネシー・ウィリアムズ
- 「火車」 宮部みゆき
- 「ライ麦畑でつかまえて」 J・D・サリンジャー
- 「身がわり―母・有吉佐和子との日日 」 有吉玉青
- 「もの食う人びと」 辺見 庸
- 「寄り添って老後」 沢村貞子
- 「大地」 パール・バック
- 「風の盆恋歌」 髙橋 治
- 「タラへの道―マーガレット・ミッチェルの生涯」 アン・エドワーズ
- 「流転の王妃の昭和史」 愛新覚羅浩
- 「恋」 小池真理子
- 「検屍官」 パトリシア・コーンウェル
- 「マリー・アントワネット」 シュテファン・ツワイク
- 「放課後の音符(キイノート)」 山田詠美
- 「君について行こう」 向井万起男
- 「新版ロレンス短編集」 ロレンス
どうですか? この布陣は。
恥ずかしながら「これ読んだよ!」と言える作品が全然ないのですが、「名前だけは聞いたことのある」古今東西の名作が並んでいます・・・Orz
私が目次を見て注目した作品
私は次の2つに注目しました。
「流転の王妃の昭和史」愛新覚羅浩
愛新覚羅浩。「愛新覚羅」が姓で「浩(ひろ)」が名前です。
浩さんは、近くにある稲毛浅間神社の一角に住んでいたことがあり、親近感があるのです。
こんなブログも書きました。
愛新覚羅溥傑(ラストエンペラーの弟)夫妻が新婚時代に住んだ家(千葉市稲毛) - しろっこブログ
「散歩のとき何か食べたくなって」池波正太郎
今のテレビはグルメ番組だらけですが、これが書かれたころはどんなだったのでしょう。
この作品は、月刊誌「太陽」の1976年1月号から77年6月号に連載されたものです。
アマゾンの紹介文に「目次」が載っていました。
- 「銀座・資生堂パーラー」
- 「室町・はやし」
- 「神田・連雀町」
- 「三条木屋町・松鮨」
- 「外神田・花ぶさ」
- 「藪二店」
- 「大阪ところどころ」
- 「京都・寺町通り」
- 「横浜あちらこちら」
- 「近江・招福楼」
- 「渋谷と目黒」
- 「京都・南座界隈」
- 「銀座界隈」
- 「信州ところどころ」
- 「浅草の店々」
- 「深川の二店」
- 「名古屋懐旧」
- 「京にある江戸」
- 「フランスへ行ったとき」
フランスのグルメまで紹介しているんですね。
どんなグルメ紹介をしているか気になり、また、林真理子さんがどんな切り口で紹介しているか読みたくなります。
林真理子さんの読書体験から生まれた切り口
林真理子さんの《Wikipedia》を見ると、<日本大学藝術学部文芸学科>、<宣伝会議のコピーライター養成講座>など、文筆で生きていきたいと考えていたことが推測できます。
そして、林真理子さんが青春時代に読んだ文芸作品のリストを見ると、《小説家にあこがる文学少女》のイメージが浮かび上がります。
そんな文学少女らしい読書紹介をいくつか紹介して見ます。
「わたしが・棄てた・女 」遠藤周作
大学生の吉岡が、性欲目的で雑誌で見つけた文通希望の女性に近づく。
「映画の大好きな十九歳の平凡な娘。若山セツ子さんのファンならお便りお待ちしていますわ」
安旅館に連れ込み体を奪うが、彼女を捨てる。
それからの物語だ。吉岡はハンセン病のミツと再会する・・・。
しかし、女子高生時代にこの作品を読んだ林真理子さんは、身体目的にミツに近づいた吉岡を許せない感情が描かれます。
小説紹介は次のような構成で語られます。
- 「恋愛というのは、いったどのようにして成り立つのであろうか」
こんな命題にたいして、<少女が信じたい理想>と<彼のオスとしての本能>が対比される。 - 林真理子さんが、彼氏からもらった洋服を見せびらかした友人の美人OLについた悪態が述べられる。
彼氏からしたら、トルコ(ソープランド)に比べれば安いもんでしょ、と。 - 「なんと嫌な小説だろうかと思った記憶がある」といい、小説の前半が紹介される。
- 吉岡が「被害者にしてもいい」と考えた理由の解説。
- 吉岡がミツを犯したシーンが泣けるといい、吉岡を非難する。
- 「恋愛というのは、いったどのようにして成り立つのであろうか」
と再び<問い>を投げかけて終わる。
この小説はミツと再会したあとの吉岡の心情を描く《キリスト教的懺悔》がテーマのようですが、林真理子さんの若い文学少女が自分の感性で切り取った紹介になっています。
浦山桐郎監督により映像化された『私が棄てた女』をPrime Video で見ることができます。
「淋しいアメリカ人」桐島洋子
1972年、第3回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。
Kindle版の試し読みと開くと、いきなりアンダーグラウンド新聞に掲載されたモラルのぶっ飛んだ広告の紹介から始まる。
- <乱交パーティーに同伴する胸の豊かな性的禁忌が皆無な女性募集>
- <筋肉質の男性が同じような男性との情交を求める広告>
- <ベトナム在住の軍属が白人の美しい情婦を囲いたいという>
このニューヨークで売られている新聞「スクリュー」は性行為そのものの俗語でガラの悪い新聞だそうだ。
著者の桐島洋子さんは、その欲望むき出しの状態を面白がる。
そして、好奇心の湧いた彼女は返事を書いてみる。
六人から返事返ってくると、実際に合うことになるのである。
それを林真理子さんはどのような角度から切り込んで、本の紹介記事を書いたか。
- 私たちの世代にとって、桐島洋子さんは《知のアイドル》だったと肯定的な存在だったことを述べる。
①結婚せずに3人の子どもを生み、社会人として雄々しく戦う。
②妊娠したときは、安上がりにするために船旅する。船上の医療費はタダだから。
③語学が堪能で従軍記者としてベトナム戦争にでかけているという。 - 彼女の魅力を再確認。それは乱交パーティーに潜入したことよりも文章のうまさ、分析力に魅力があるという。
エピソードが<3つ>拾い出される。 - 桐島洋子さんは、日本でも同じことが起こるだろうと予測しているが、現代の日本のようだという。
そして、今までの切り口は<ヒューマニズムの枠>からでることがなかったが、桐島洋子さんは《自分が偏見の持ち主で、黒人と結婚したり、黒い赤ん坊を生む勇気がない》との発言に新鮮さを感じたという。
まとめ
放送大学図書館で、林真理子『20代に読みたい名作』を見つけ、林真理子というビッグネーム、放送大学図書館という信頼感からよい本に違いないと期待が生まれ、借りて読んでみました。
この本の魅力を次のように言うことができると思います。
- 林真理子さんが「昭和」という時代に読んだ名作、その魅力がエッセンスとして紹介されている。
- 林真理子さんが多感な文学少女・文学レディだった時代の独特な感性で、切り口をつくり、それを否定的、肯定的に述べている。
この本をしばらくぶりに読み直してみて、引いてある赤線、囲みが場違いなのには呆れてしまいました。
それだけ、分析力が向上したのかというと自信はないのですが、この記事をかけたということは少しは進歩したのかもしれません。
前にも書いていたのを忘れていた
前にも書いたのを読み直してみると、何をいいたいのか、よくわかりません。
少しは進歩したようです。