目次
『名作をいじる』はどんな本?
著者は東京大学大学院の阿部公彦教授。「ヨーロッパ文学の読み方―近代篇」のアメリカ文学の章で知った先生です。
先生には多くの著作がありますが、アマゾンにいくと、原稿用紙をバックにタイトル、赤ペンでの書き込みのある『名作をいじる 「らくがき式」で読む最初の1ページ』が目を引きます。
教授は、名作であればあるほど「なんじゃこりゃ!」というほど《変》だといいます。何か《変》だと違和感を感じるところに、「しつこい!」、「意味分かんない!」、「暗い!」と書き込んで行く。そうすると、名作がいかに《変》ところがあるのか、《変》だからこそ名作であることが分かるというのです。
そして、自由に「らくがき」していくうちに、名作の新たな魅力に気付き、レポートや読書感想文にも使える、と言います。
「らくがき」される15作品
次の15作品が、赤線が引かれて書き込みをされます。
- 夏目漱石『三四郎』〜目覚めたら話がはじまっていた
- 夏目漱石『明暗』〜小説世界に「探り」を入れる
- 志賀直哉「城の崎にて」〜一行目で事故に遭う
- 志賀直哉「小僧の神様」〜おいしい話を盗み聞き
- 太宰治『人間失格』〜太宰モードに洗脳される
- 太宰治『斜陽』〜こんなに丁寧に話すんですか?
- 谷崎潤一郎『細雪』〜一筋縄ではいかないあらすじ
- 谷崎潤一郎「刺青」〜劇場的な語り口
- 川端康成『雪国』〜美しい日本語だと思いますか?
- 梶井基次郎「檸檬」〜善玉の文学臭
- 江戸川乱歩『怪人二十面相』〜ですます調で誘惑する
- 森鴎外「雁」〜さりげない知的さ
- 芥川龍之介「羅生門」〜不穏な世界を突き進む
- 葛西善藏「蠢く者」〜私小説に響く不協和音
- 堀辰雄「風立ちぬ」〜愛し合う二人は蚊帳の中
- 林芙美子『放浪記』〜さまざまな声が混入する
そして、どこが《変》なのかが解説されます。
私が名作と思う映画はどこが《変》なのか
私は名作小説をほとんど読んでおらず、詳しくありません。しかし映画ならば、それなりに見てきました。そして、レポートのようなものを書きたいと思っても、思うようにはいきませんでした。
「らくがき」方式なら、映画のレポートが書ける気がしてきました。その映画はどこが《変》なのか、そして、それが《映画全体のテーマにどう繋がっているのか》を書いてみます。
金子正次の『竜二』
私が名作だと思っている映画に金子正次の『竜二』があります。
過去にブログを買いましたが、松本ひとしさんが5、6回、千原ジュニアさんは10回以上は見たと言っているとか書いてます。しかし、残念なことにその映画の《根本的な魅力が何なのか》が書いてありません。
《カッコつけて》生きるヤクザと《カッコよくない》堅気
- 「竜二 」は竜二が目覚めるときから、始まります。
下着を身に付けようとしている女の奥にベッドの竜二。
彼はその女が誰か分からないが、昨晩口説いた女であることが分かってくる。
「金はいいのよ」というのにガッツリ金を渡す。《カッコつけやがって!》
女は金は受け取らず、動物のぬいぐるみだけ貰っていく。
《なんでぬいぐるみなのよ》 - そして、動画「竜二 OP」。ショーケンの「ララバイ」が流れる中、サングラスの竜二がホテルの螺旋階段をタバコをくわえ、肩を揺らして降りてきます。
《その服装の派手なこと》。
太い黒のストライプのシャツ。白いネクタイ。ダブルのスーツ。《なんてカッコつけてんだよ》。
ヤクザの「竜二 」は《カッコつけて》生きてます。
そんなヤクザが、実家で暮らす妻とおさな子のために、堅気になって酒屋で真面目に汗を流して働き、ささやかに生きようとします。
庶民のささやかな暮らしは《カッコよくない》。たった一杯のラーメンのために並んで待つのは屈辱です。私はスーパーのレジに並ぶのが嫌で、隣町のいつも空いているスーパーまで、車で行ったこともあるという男です。「竜二 」の気持ちは分かって、分かってしょうがないのです。
ラストは、妻と子どもがスーパーの安売りに並んでいるシーン。
それを見て竜二はヤクザに戻る決意をします。妻には何でもないことかもしれませんが、少しばかり安売いからと並ぶことが、竜二には耐えられないのです。ヤクザに戻った竜二はまた妻に大金を送るようになります。
昔、この映画のビデオを一緒に見た友人が、「何のためにこの映画をつくったんだ」と怒っていました。若くして両親を失い、兄と山形から上京してきた彼には竜二の決断が許せなかったようです。
『風と共に去りぬ』
マーガレット・ミッチェルの原作が映画化された『風と共に去りぬ』。舞台は南北戦争時代のアトランタです。
最初のシーンはこんなです。
南北戦争の話が大っ嫌いな美しいスカーレット・オハラは二人の若者から「ウィルクス園遊会」でワルツを踊る順番の話をする。
他に踊る申し込みがあっても、断ることを条件に「メラニーとアシュレー」が結婚することを教える。
しかし、スカーレット・オハラは、アシュレーが自分を愛していると盲信している。
《なんてスカーレット・オハラは勝ち気なんだ》
《なんてワガママなんだ》
《いくら相手を強く思っても、ダメなものはダメ。こだわり過ぎ!》
ラストの結末はオープニングに示されている
スカーレット・オハラは周りの男を思いのまま動かします、一番振り向いてほしいアシュレー以外は。
そして、最後にはスカーレット・オハラを求め続けていたレット・バトラーも去ってしまいます。
ドラマの作り方は悲劇です。最後、レット・バトラーが愛想をつかして出て行く原因は、最初に準備されています。つまり、アシュレーの心がスカーレットになびく事はないのに、いつまでも追っては破滅するしかないのです。
スカーレットはこのとき、レットが大切な人であることに気付きます。
「あ~ぁ、もう、どうして良いかわからないわ。寝てから明日考えましょ。明日は明日の風が吹くんだから」
なんと楽天的なんでしょう。なんと力強い人なんでしょう。
『スミス都へ行く』
『スミス都へ行く』は1939年に公開されたアメリカの政治をテーマにした映画です。1939年は第二次世界大戦が始まった年。そんな中、フランク・キャプラは純真無垢なボーイ・レンジャー隊長が上院議員になり、「自由と平等」を訴えてアメリカの政治腐敗を打ち負かすというアメリカン・ドリームを描きました。
映画は、支配者ジム・テイラーが連邦議会上院に《操り人形》として送り込んだフォーリー上院議員が死亡し、それを電話で伝えることから始まります。
- 《操り人形》のペイン上院議員がそれを《同じ穴のムジナ》ホッパー州知事に伝える。
- ホッパー州知事は支配者ジム・テイラーに報告し、支持を仰ぐ。
「イエス ジム」、「イエス ジム」、「イエス ジム」
《ペコペコ、ペコペコ》 - ホッパーは新しい《操り人形》を探すが、決まらない。
ジム・テイラーは、ミラーを選ぶよう圧力。《ペコペコ、ペコペコ》
委員会はヘンリー・ヒルを推薦する。 - そんなとき、知事の子供たちが、ボーイ・レンジャーズの隊長「ジェファーソン・スミス」を推薦し、ホッパーは子どもたちにやりこめられる。
《子どもたち強すぎ》
《ジェファーソン。独立宣言を書いた人と名前が同じ》 - 決められないホッパーは、コイントスで決めようとコインを投げますが、重ねた新聞に支えられて立ってしまう。
《こんな偶然ある訳がない!》
その新聞には「ジェファーソン・スミス」が消化活動で市民から感謝されたことが載っており、ホッパーは「ジェファーソン・スミス」に決める。
《話が出来すぎ!》
コメディ映画の特徴
『スミス都へ行く』は主人公のジェファーソン・スミスとソーンダースが子どもたちに「自由と平等」を教えるためにキャンプ場法案を通そうとする。しかし、そこはテイラー一がダムを作ろうとする場所。テイラーの陰謀と闘う。
コメディー映画は、シリアスなドラマなど、他のジャンルに適していないテーマを描写できます。
例えばエディ・マーフィーの『大逆転』など、出来すぎの偶然・ありえない出来事の連発でストーリーが大逆転しますが、《夢の世界》と分かっていますから、気軽に楽しめます。
しかし、コメディ映画で勧善懲悪のアメリカン・ドリームを描いても、それは《夢の世界》で終わってしまうという弱点があります。夢だからこそ描け、夢にしかならないというジレンマがある。
映画での子どもの役割
『スミス都へ行く』のクライマックスでは、子どもが大活躍します。
スミスがフィルバスター(議事妨害)で延々と演説を続け、自分は陰謀にはまられていると主張しますが、テイラーの指示で新聞にもラジオにも報道されません。
そこで、ソーンダースがスミスの母に連絡し、新聞を作って配るのです。テイラー一派の邪魔とも戦います。
子どもは純粋、無垢、そして未来を象徴されます。大人が演じるよりも観客は惹きつけられます。
2020年4月29日に映画専門チャンネルで放送された「昭和を彩った名優たち 特別対談 山田洋次×杉田成道」が放送されました。
最後、音楽・クレジットタイトルが流れたあと、山田洋次監督が宇野重吉さんから聞いたエピソードを紹介します。
宇野重吉さんが一緒に芝居したくない相手が3つある。
- 動物、犬
- 子ども
- 笠智衆
笠智衆さんの存在感が偉大であることを示すためにあげた、共演するとくわれてしまう相手を上げているのですが、《子ども》をあげているのは面白いことです。
ユーモアを使用することで、創造性の自由度が高まり、デリケートな話題や論争の的となる話題をより気楽な方法で表現できるのです。
まとめ
「ヨーロッパ文学の読み方―近代篇」を履修したことが切っ掛けで、阿部公彦教授を知り、『名作をいじる 「らくがき式」で読む最初の1ページ』を読みました
名作は「なんじゃこりゃ!」というほど《変》だといいます。《変》だと思うところにガシガシ赤ペンで線を引き、書き込んで行く。
「らくがき」していくうちに、名作の新たな魅力に気付き、レポートや読書感想文にも使える、と言います。
例として、私が名作と思う映画3本を取り上げて見ました。
金子正次の『竜二』、『風と共に去りぬ』、『スミス都へ行く』です。
『風と共に去りぬ』は以前にブロブで書いたことが元になっており、『スミス都へ行く』は卒業研究の論文がネタ元になっています。
しかし、金子正次の『竜二』は新たなキーワード「《カッコつけて》生きるヤクザ」に気づくという収穫がありました。
ただ、名作でなければ「なんじゃこりゃ!」という変なところはないののかも知れず、どんな作品でも「らくがき」していくと読書感想文を書けるようになる訳ではないように思います。
今後、検証していきます。