シロッコ手習鑑

放送大学の心理と教育コースで学んでいます。人間と文化コースにも興味があります。学んだことを基に自分の考えを組み立てて伝えていきたい。

「幕張新都心」が開発される様子も簡単に分かる。地理@沼津高専「ウェブ地図」が面白い!

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目次

過去の地図・空中写真を比較できる「ウェブ地図」

地理@沼津高専「ウェブ地図」という面白いサイトを知りました。

Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る」は場所を指定して簡単に過去の地形図や空中写真を表示させることが出来ます。

操作方法はこんな感じ。

  • 下の例のように、まず、場所を指定して地図を表示させます。
    (この例は、海浜幕張付近のGoogleマップを表示させたものです)
  • 右の青い文字の部分をクリックすると該当する地図に表示が切り替わります。

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このサイトがどれだけ便利で面白いのか、1970年代の後半に東京湾埋め立てによって開発された「幕張新都心」が生まれた様子を表示させてみます。

埋め立てが進行する様子はなかなか見ものです。

ライセンスの確認

これから、このブログに「ウェブ地図」をキャプチャして、東京湾が埋め立てられ、「幕張新都心」が作られていく様子を紹介します。

それに先立ち、著作権の問題はどうなのか、それについて調べてみます。 

地理@沼津高専「ウェブ地図」は国土地理院の「地理院タイル」を使用しています。

その利用規約によりますと、「基本測量成果」は複製又は使用の承認申請が必要となる場合があるそうです。それ以外は出典を明記すれば自由に使用(複製等)が出来ます。(参考「 国土地理院コンテンツ利用規約」)

なので、申請しなくても使用できる「地理院タイル一覧」の「基本測量成果以外」にある「空中写真・衛星画像」を貼り付けることにします。

「ウェブ地図」でみる 「幕張新都心」が開発される様子

埋め立ては自然破壊だから反対だ、と言う声があります。気持ちとしてはそれに賛成したいところもありますが、幕張を見てみると、道路は広い、緑が豊富、人工だけど砂浜もあって、貝がとれて、釣りもできる、となかなかいいことだらけです。

で、その開発の様子を調べてみます。

1947年頃の空中写真

まだ埋め立てが始まっていません。

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1963年頃の空中写真 

埋め立てが始まったころ。左の区切りだけが出来たあたりが現在のニトリ付近です。

真ん中を縦に走っているのが花見川。河口には漁港があって、拡大してみると多数の漁船がいるのが分かります。

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1975年頃の空中写真

花見川の河口から千葉港に渡っては、ほぼ現在の海岸線と同じあたりまで埋め立てられています。

美浜区役所は見えませんが、付近のマンションが建設中です。

京葉線はまだありません。

花見川の河口から西の埋め立てが進行していない部分は、ベイタウンや幕張メッセになるところ。

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1980年頃の空中写真

海岸線は現在の地形と同じ程度にまで埋め立てが進みました。

工事中の京葉線が見えますが、開業はこの後の1986年。

西から花見川を横切り、写真の中央あたりからカーブして北上しているのが東関東自動車道です。写真の右上に京葉線と交差する宮野木JCTが見えます。東関東自動車道の開通は1982年です。

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1990年頃の空中写真

左端の海岸線付近にある丸い工事中の構築物が「ZOZOマリンスタジアム」。幕張メッセ、幕張テクノガーデン(MTG)も建設中です。他のビルはまだなくて、広い空き地になってます。

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1995年から板橋から海浜幕張に通勤

何かの縁があって海浜幕張で働くことになり、板橋から2時間かけて通勤することになりました。

「幕張」と聞いたときは、「それってどこなの?」と言う状態でしたが、案内されて着いたのが近未来都市みたいなところでびっくりした記憶があります。

片道の通勤が2時間、つまり往復4時間も通勤するのが辛く、2年後から千葉に住むようになりました。もう、20年千葉に住んでいます。

1995年ころの幕張は変な街でした。昼休みには、IDカードを首からぶら下げたサラリーマンはいっぱいいるのですが、一般の買い物客は誰もいなくて、生活感が全くありません。

 イオンモールはもちろん、映画館も、カルフール(後にイオン)も、ありませんでした。京葉線から北の区画はガランとしていて、駐車場が多く、広場でフリーマーケット などが行われていました。

今の海浜幕張とはずいぶんと雰囲気が違っていたのです。

その他の旧版地図 

ライセンスの問題がありそうなので地図を貼り付けませんが、古い旧版地図もあってさらに面白いですから、是非クリックしてみてください。

  • 旧版地図 [明治初期] (迅速測図)
    JR総武線も京成千葉線もありません。
  • 旧版地図 [明治後期] (2万分1)
    JR総武線を確認することができます。新検見川駅はありません。
    遠浅な海岸を確認することができます。稲毛にはこの浅瀬を利用した日本初の民間飛行場がありました。
    埋立てられる以前の稲毛海岸は遠浅な海岸が広がっており、引潮時には数キロに渡り干潟が広がっていた。この干潟を利用して1912年(明治45年)5月下旬、奈良原三次が日本初の民間飛行場を開設、伊藤音次郎をはじめ多くの民間飛行家たちが育成されこの地を拠点に活躍した。稲毛には干潟を利用して1912年(明治45年)5月下旬、奈良原三次が日本初の民間飛行場を開設、伊藤音次郎をはじめ多くの民間飛行家たちが育成されこの地を拠点に活躍した。
    (Wikipedia「稲毛民間航空記念館」より)
  • 旧版地図 [明治大正] (5万)
  • 旧版地図 [1920年頃] (2.5万)
    京成千葉線を確認することが出来ます。
  • 旧版地図 [1930年頃] (2.5万)
    検見川無線電信所を確認することが出来ます。

    なぜ、こんな住宅地の中に廃墟があるの? 「検見川送信所」

  • 旧版地図 [昭和前期] (5万)
    花園の住宅地が出来ました。
  • 旧版地図 [1950年頃] (2.5万)
  • 旧版地図 [1970年頃] (2.5万)
    新検見川駅を確認することが出来ます。

まとめ

過去の地図・空中写真を比較できる地理@沼津高専「ウェブ地図」という面白いサイトを知りました。そこは、過去の地形図や空中写真を比較できるのです。

そこで、私が住んでいるところに近い「幕張新都心」が生まれる様子を調べてみました。「幕張新都心」は1970年代後半に東京湾を埋め立てることによって生まれました。ですから、この「ウェブ地図」を使うことによって開発の経過を見ることができました。

みなさんも面白そうな場所を見つけて、地図の歴史を眺めてみてください。

いろんな発見があると思いますよ!