シロッコ手習鑑

高卒シニアが放送大学の心理と教育コースで学んでいます。人間と文化コースにも興味があります。学んだことを基に自分の考えを組み立てて伝えていきたい。

電気ブランを生んだ神谷伝兵衛は千葉市稲毛に豪華な別荘を建てた

目次

点から線へ、牛久シャトーで繋がった。

今までバラバラだった情報が繋がって、「あぁ、そうだったんだ」と納得したことはありませんか? 去年のお盆、福島へお墓参りに行く途中に寄った「牛久シャトー」でそんな経験をしました。

「牛久シャトー」とは茨城県牛久市にあるワイン醸造場。以前にも行ったことがあります。ワイン貯蔵庫を改装したレストランで食事もできて、家族サービスにはなかなか良いところです。

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奥の建物が「神谷傳兵衛記念館」になっています。

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ワインの貯蔵蔵

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二階が「神谷傳兵衛記念館」です。牛久シャトーの歴史が見学できます。

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そこで、こんな写真を見つけました。

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大正8年(1919年)、千葉県稲毛別荘での初代神谷伝兵衛(最後列中央)。
竣工式に、近在の方々と記念撮影。
(現在、建物や敷地はすべて市民の方々のために開放されている)

これってきっと、うちの近くにあるあの別荘のことです。

検見川から国道14号に出て千葉駅に向かうと「千葉市民ギャラリー・いなげ」があります。そこは誰かお金持ちが作った別荘だったらしいのですが、立ち寄ったこともなく詳しくは知りませんでした。

牛久シャトーには以前に行ったことがありますが、そのときは、近くにある別荘は知りませんでした。それに、聞いたことのある「電気ブラン」や「ハチハニーワイン」・・・それが一気に繋がったのです。

旧神谷伝兵衛稲毛別荘

牛久シャトーでのことを思い出して、「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」を撮影してきました。

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松の木に囲まれてなかなか全景が入りません。100年前の写真にある松の木が大きくなったのです。松の木の成長を思うと感慨深いものがあります。

円柱のあるポーチ。円柱とアーチがこの建物を豪華に引き立てています。

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耐震補強工事のため休館中でした。期間は平成30年6月1日(金)から平成31年10月下旬(予定)まで。庭の掃除していた人が窓から覗く分には問題ないというので、窓から撮影してきました。

豪華な玄関の階段。二階は和室になっているそうです。

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右手の洋間。

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「電気ブラン」とはどんなものか

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電気ブランというのを聞いたことがあるでしょうか。その電気ブランが「牛久シャトー」に展示してありました。

どんなお酒なのでしょう。

当時電気が珍しかった明治時代に誕生した、ブランデーベースのカクテルである。大正時代に流行した文化住宅・文化包丁などの「文化…」、あるいはインターネットの普及につれて流行した「サイバー…」や「e-…」などと同様に、その頃は最新のものに冠する名称として「電気…」が流行しており、それにブランデーの「ブラン」を合わせたのが名前の由来である。発売当初は「電氣ブランデー」という名で、その後「ブランデー」ではないことから現在の商標に改められた。

電気ブラン - Wikipedia」より 

私も昔読んだ小説やエッセイで、何度かその名前は聞いたことがあります。

青空文庫から「電気ブラン」を検索すると108件がヒットしました。

  • 電気ブラン site:https://www.aozora.gr.jp/ - Google 検索

    坂口安吾、太宰治、芥川龍之介・・・そうそうたる作家の作品に「電気ブラン」が登場します。これほどの作家が取り上げるのですから、当時は、粋な流行のお酒だったと思われます。

アマゾンから購入して、昔の作家気取りで飲んでみました。

合同酒精 電気ブラン 40度 瓶 720ml

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当時は薬用であった輸入ブランデーに、ワイン、ジン、ベルモットなどをブレンドしたアルコール度数45%の「電気ブラン」(発売当初は「電氣ブランデー」 といった。)を発売。後に神谷バーでの看板メニューとなり、多くの文学作品に登場するほど、幅広い人に愛される商品となりました。

(オエノン・グループ「電気ブランその歴史」より) 

キツイ! 割らないと飲めません・・・Orz

「電気ブラン」が飲める「神谷バー」

浅草の「神谷バー」も神谷伝兵衛が始めたものです。

www.kamiya-bar.com

浅草に行ったとき撮影してきました。

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「ハチハニーワイン」

 「牛久シャトー」で面白いものを見つけました。

ブルーコメッツが歌うハチハニーのCMソングのソノシートです。

ソノシートは折り曲げることのできるペラペラのレコードで、よく雑誌のオマケについてきました。私が覚えているのは、オートバイ雑誌についてきたもので、バイクのエンジン音が録音されていました。なぜか、BMW R69S なんてオートバイの名前を覚えています。

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ソノシートをプレゼントしたんですね。

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 聴いてみると、聴いたことがあるような音楽でした。「ハチハニー」の繰り返しが多いから一度聞くと覚えてしまいそうです。

神谷伝兵衛は苦労の人

 「牛久シャトー」に展示してあった書籍には感動しました。神谷伝兵衛はこんなにも本を読んで、葡萄、ワインのことを学んだのです。

日本には葡萄、ワインの本は少なかったのでしょう。洋書が多かった。

神谷伝兵衛がどんな思いで、この本を入手し、読んだのだろうかと思うと胸が熱くなります。  努力すれば成功するとは限りませんが、神は神谷伝兵衛を見捨てなかった。

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Wikipediaのある神谷伝兵衛の略歴を見ると苦労の人だと分かります。

神谷伝兵衛 - Wikipediaから抜粋します。

  • 家が貧困で苦しかったため、8歳のとき酒樽造りの弟子になる。
  • 11歳のとき商人として独立。
  • 16歳の時に失敗して全財産を失う。
  • 酒の引き売りを始める。
  • 浅草に酒の一杯売り家「みかはや銘酒店」(後の神谷バー)を開く。
  • 輸入葡萄酒を原料として日本人好みの甘口の再製葡萄酒が評判を呼ぶ。
  • 明治31年、神谷葡萄園を開園。
  • 明治36年、神谷シャトーを竣工。

なぜ、千葉市稲毛に別荘を建てたのか

別荘は国道14号沿いの高台にあります。今ではビルが立ち並んでいますが、埋め立てられる前は海が広がっていました。海水浴場があり、潮干狩りも行われていました。遠くまで海が広がり、その先には富士山がよく見えたことでしょう。

すぐ近くの稲毛浅間神社の隣にはラストエンペラーの弟・愛新覚羅溥傑夫妻が住んだ「千葉市ゆかりの家・いなげ」があります。

風光明媚な場所だったのです。 

まとめ

今までバラバラに離れていた情報が繋がって、「あぁ、そうだったんだ」と納得することがあります。そんな経験を「牛久シャトー」に行ったときにしました。

家から近い「千葉市民ギャラリー・いなげ」にある別荘が「牛久シャトー」を作った神谷伝兵衛のものだったこと、「電気ブラン」、「ハチハニーワイン」も神谷伝兵衛が作ったものだとつながったのです。

そんなつながりを写真に収めて記事にしてみました。