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蔦屋書店(イオンモール幕張新都心)にあった本
代官山に蔦屋書店がオープンしたとき、「いつまでもいたい」とか「みんな大好き!」、「長居せずにはいられない」と話題になりました。遠くても行ってみたいと思ったものです。
その憧れの蔦屋書店が、イオンモール幕張新都心にも出来たものですから、すっかりお気に入りに場所になりました。展示されている本のセンスがいいんです。欲しい本だらけなんです。ですから、行けば長時間過ごしたくなってしまいます。
この間、そこで二冊の本を買ったんですが、積ん読のままになっていました。
- 又吉直樹さんの「夜を乗り越える」
- 「はじめて読む日米安保条約」
まず、「夜を乗り越える」を読み終えたので、何か書いてみます。
この本は、「なぜ本を読むのか」、「文学の何が面白いのか」を又吉さんの目を通して描かれたものです。この二つをキーワードにして又吉さんの経験がたっぷり書かれています。
読み終えて感じたのは、又吉さんの文学へのめり込む度合いが私とは比べものならないほど強いということです。私も子どものときに「トロッコ」を読んだことがありますし、思春期に太宰治を何冊か読みました。でも、同じ本を読むにしても随分と違うものだと感じました。
又吉さんが、なぜ、そんなにも文学が好きになったのかも書かれています。
そこで考えたのは、今からでも又吉さんの真似をして純文学好きになれないものかということです。
それにはどうすれば良いのか、それを書いてみます。
私と又吉さんとでは随分と違う
私と又吉さんとでは似ているところもあります。
それは、又吉さんが自意識過剰な少年でしたが、周りの人間は自分を明るい人間だと感じていたのではないかと言います。しかし、本当の自分は違うんだという思いがあったそうです。
私もそんな感覚がありました。太宰治を面白く読んだ時期はありました。しかし、深くは考えることもなく、読んで面白くて終り、そんな感じ。何故なのかは考えもしませんでした。
その他は随分と違うなぁと感じました。
子供のときからお笑い志望
又吉さんは、6歳で親戚で親戚に笑われる経験をして快感を覚えます。中学2年には原さん出会って芸人になりたいと思って学校で漫才を披露しています。高校を卒業すると吉本の新人タレント養成所に入っています。
お笑いに対する感覚は関西特有のことでしょうか。中学や高校の同級生がお笑いのペアになるって話はよく聞きます。私の知り合いでお笑いになりたいという人間は一人もいませんでした。
表現したいという意欲
保育所のときの話です。自分は怒り鬼の役なのに、泣き鬼をしていた友達が泣けないでいると、表現したくなって又吉さんが演じてしまい、「あなたは泣かなくてもいいの」と言われます。表現したくなる自分がいると言っています。
小学校時代にはひとり頭で考えて悩み続けていた
暴力を振るうことを期待されて、その期待に応えていたそうです。中1のときの芥川龍之介の「トロッコ」を読んで、自分と同じように頭の中でしゃべり、自分と同じように悩み考えているのを嬉しく感じています。
太宰治の「人間失格」の自意識過剰な主人公を自分と同じように感じた。
本は必要なものだった
自分を不安にさせる、自分の中にある異常と思われる部分や、欠陥と思われる部分が小説の中で言語化されているのが嬉しかった。
自分のことがわからず、どんな人間が整理することが出来なかった。だから、答を求めて人間の苦悩を突き詰めるものを読んだと言います。
又吉さんが、本に求めていたことは、自分の葛藤や内面のどうしようもない感情をどう消化していくかということだったのです。
又吉さんは、18歳のとき小説を書く
だけども、上手く書けない。それで、すべての作家を尊敬するようになり、小説が一行目から面白くなった。
この感覚はよくわかります。私は今、新書を読むことが多いです。これは書いてある情報について知りたいということもありますが、書き方を真似して、もっと面白いブログを書きたいという思いが強いからです。
頭の中でしゃべると言うこと
こう抜き出してみると、自分は深く考えないで生きてきたのだと分かります。それから、気になったのは「頭の中でしゃべる」ということです。
パソコン通信で論争になり、80文字25行の画面に1ページ半くらいの文章を毎日書いていたことがあります。毎日反論を書いていると、文章を考える訳です。電車に乗っているときとか、会社にいるとき頭の中で文章が流れるという経験をしました。そのとき、「あれ? 自分の頭がおかしくなってしまった」と思いました。
そうではありません。それから話すように書くことができるようになりました。目の前に人がいて話しかけるように書くのです。
私がそれを経験したのが30歳を過ぎてから。又吉さんは小学生のときから頭の中でしゃべっていたようです。この差は大きいですね。
又吉さんの本の読み方を真似したい
私は、又吉さんのように、自分の葛藤や感情を消化するために小説を読んで来ませんでした。だから、本を読んでも深く考えることはなかったのです。
この本で又吉さんが過去に書いた「第2図書係補佐」について書かれてありました。面白そうだったので購入して読んだのですが、最後に小説家・中村文則さんとの対談があって、中村文則さんが興味深いことを言っています。
「純文学っていうものをたくさん読んだ人っていうのは、自分の内面に自然と海みたいなものが出来あがるんです。(略)つまり、いろんな角度から物事を考えられるようになる」
私も自分の内面に海みたいなものが欲しいと思います。
それには、どうすれば良いか。中村文則さんは、純文学をたくさん読めばよいと言っていますが、たくさん読むにはどうすればよいか。又吉さんのように自分の葛藤や感情を消化するために読めばいいのです。
シニアの私には太宰治のような自意識過剰な部分は消えてしまったかもしれません。それでも、心の中には寂しさや欲望などいろんな感情が湧きおこり、それを理性で抑え込んでいます。
自分の葛藤や感情を消化するために小説を読む。そうすれば、私の内面も海みたいなものが出来て豊かな人生を送れるのではないかと思ったのでした。
「夜を乗り越える」というタイトル
このタイトルは太宰治が死を選んでしまったことに対しての又吉さんのメッセージです。
太宰が死を選んだのは金銭的な問題だったのではないかという説があり、太宰はその夜もう駄目だと思ったのかも知れないと考え、それに対して、その夜だけ乗り越えていたならば死を選ぶことはなかったかもと言うのです。
「風と共に去りぬ」のラストのようにでしょうか。
レット・バトラーに去られたスカーレットはこんなことを言います。
「あ~ぁ、もう、どうして良いかわからないわ。寝てから明日考えましょ。明日は明日の風が吹くんだから」
なんと楽天的なんでしょう。
それと、乗り越えられなかった妻を思い出します。
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