※ネタバレ注意
目次
パレスチナ映画ってどうなの?
「ニューズウィーク日本版」で映画『オマールの壁』を知りました。アカデミー賞外国語映画賞にノミネート、カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞を受賞している作品だそうです。
『オマールの壁』公式サイトには米のハフィントンポスト、ロサンゼルス・タイムズ紙、仏のレザンロック誌の賛辞が掲載されています。
でも、ぶっちゃけ、パレスチナ映画ってどうなんでしょう?
パレスチナというとイスラエルと延々と戦っている国というイメージがあります。1948年にイスラエルが建国。それをアラブ諸国はみとめませんでした。しかし、アメリカが応援していますから、やりたい放題です。
パレスチナは弱小国です。パレスチナの映画なんて聞いたこともありませんでした。
映画賞をとって新聞や雑誌に褒められても、それは弱小国のひいき目で甘い評価なのではないか、そんなふうに考えました。
で、実際に見てどうだったのか。
凄い映画でした。ハリウッドのエンターメントに負けません。
パレスチナの壁
映画の舞台はパレスチナです。パレスチナにはイスラエルが作った壁があります。イスラエルが自爆攻撃を防ぐために作ったのだから、パレスチナで生活する分には関係ないと思うのが普通ですが、そうではありません。
分離壁は(イスラエルとパレスチナの境界であるグリーンラインに沿って建っているのではなく)、パレスチナ自治区内を分断するように建っている。パレスチナの町や難民キャンプや村を分断する壁によって、パレスチナ人は友人や家族から切り離された。イスラエルは、パレスチナ人居住区を壁で囲い込んでゲットーを生み出している。それゆえ、私はこの映画で、登場人物たちが壁のどちら側にいるかを明確にしなかった。
オマールもナディアもパレスチナに住んでいます。それなのにオマールは壁を越えてナディアに会いに行かなければならないのです。
イスラエル占領下のパレスチナ
悲劇はオマールがイスラエル兵にからかわれることから始まります。
アップリンク配給作品「オマールの壁」の紹介に使われている写真がそのシーン。オマールが頭の上に手を組み、その後ろにイスラエル兵が銃を構えています。
なぜ、こんな状況になったのか、そしてどう展開するのか。
オマールが歩いていると車の拡声器に呼び止められます。
銃を構えたイスラエル兵が3人。シャツをめくって一回転しろと言います。腰になにもないことを確認するためです。
それから、不安定な石の上に乗れと言います。銃を構えられているので逆らうこともできず、石の上でバランスをとるオマール。
しかし、イスラエル兵はオマールを石の上で両腕を頭に組んでバランスをとらせたまま、意味もなく談笑しています。オマールを無視・・・。
ブチ切れたオマールがイスラエル兵に殴りかかりますが、3人にボコボコにされてしまいます。
ここですっかり監督の思う壺。もともと私はパレスチナの味方をしたいクチなのですが、ここですっかりオマールを応援したくなってしまいました。圧倒的な武力を持つイスラエル。それに対して、抑圧され自由のないパレスチナというはっきりした構図が示されたからですね。
これがドラマの始まりです。
その報復として、友人のタレク(ナディアの兄)とアムジャドと検問所のイスラエル兵を殺害してしまいます。
そこから、イスラエルの秘密警察に追われて逃げるシーンが何度も登場します。追っている秘密警察の車に大勢の子どもたちが石を投げて、オマールたちが逃げるのを助けます。どこかの家に入って裏口から逃げさせてもらったり、屋根を走り、塀をよじ登るアクションシーンが続きます。
避けられない悲劇的結末
ラスト。オマールは自分をスパイに仕立てたイスラエル秘密警察のラミを銃で撃つ。
銃声が響くと画面は真っ暗になり、無音のままクレジットタイトルが流れて映画は終ります。
音楽はありません。あれ? この映画に音楽がなかったのではと気が付きました。Wikipedia「オマールの壁」をみても音楽の項目はありません。話題の「シン・ゴジラ」には音楽の項目がありますから、やはり「オマールの壁」には音楽が入っていないようです。
先に見た「ドクトル・ジバゴ 」がスケールの大きな映像と圧倒的な音楽の映画なら、「オマールの壁」はまた違った趣向の映画といえます。まえに「ドクトル・ジバゴ 」は大きな画面と迫力ある音響がなければ魅力は半減すると言いましたが、逆に「オマールの壁」は家庭のテレビでも十分にその良さを味わえる映画なのかも知れません。(参考:惹かれあう男女。それを引き裂く力のせめぎ合い・第38回アカデミー賞5部門受賞「ドクトル・ジバゴ 」)
なぜ、こんな結末になったのか。
このシーンには秘密警察の男のほか2名が同行していました。このまま映画が続くなら、オマールは射殺されたでしょう。それでも、オマールが男を撃ったのは死を覚悟していたからに違いありません。相思相愛だったオマールとナディアの運命を狂わせたイスラエル秘密警察への怒りが爆発したのです。
オマールはイスラエル兵殺害の容疑で秘密警察に逮捕され拷問を受け、仲間を売る約束で開放されます。
ここでオマールを秘密警察を逆にだまそうとしたり、その逆に秘密警察に襲撃されたりします。オマールがスパイではないのか、仲間を売ったのではないかと疑われます。結婚を約束していたはずのナディアにも疑われ、二人の間に溝が生まれます。
そして、悲劇的結末へと進みます。
それは、イスラムには独特の性に厳しい律法があり、登場人物がその価値観で行動するからです。
イスラム文化では家族以外は男女に分かれることが多く、未婚の男女が会うことは制限されています。結婚は親の意向で決まることが多く、いとこと同士の結婚が多いのです。そんな環境で未婚の女性が妊娠したとなると、女性の命が奪われることも珍しくありません。
展開は日本人からすると現実的でないという人がいるかもしれません。私はすっかり引き込まれてしまいした。そして、邪道ですけど、非モテの負け組みアムシャドにも肩入れしてしまいました。
ストーリィー展開は強引?
かなり強引なストーリィー展開なのかもしれません。しかし、イスラムの文化をほとんど知らない私は熱中して見ていました。
このことについて監督が話しています。
信じられるかどうかには2つのことが大きく関わってくる。何よりもまず登場人物の背景や彼らの動機を理解すると、現実的ではなくともその行動を受け入れることができる。例えば『ゼロ・グラビティ』を思い出してみよう。ありえないようなことが次々と起こるけれど、人物のリアクションには嘘がないから信じられるんだ。しかしそれにも1つ問題がある。もしあの状況を体験したことがある人、もしくはその分野に詳しい人が観たら、あれは馬鹿馬鹿しく映ってしまうかもしれないということ。
脚本もアブ・アサド監督が書いているのですが、クライマックスへ上り詰めるがっちりした構成は、橋本忍さんを彷彿させました。
「オマールの壁」は家庭のTVでも面白いはずです。是非みてください。
おまけ
同じ監督の作品に自爆攻撃に向かう二人のパレスチナ人青年を描いた「パラダイス・ナウ」というのがあるのを知りました。
ベルリン国際映画祭観客賞、ゴールデングローブ賞外国語映画部門など多くの賞を受賞しています。
この映画も見たいものです。