シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

映画「フラガール」が「お涙頂戴がくどすぎ」と言われてがっかりした話

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photo-acさんより)

60点の映画批評を読んでがっかり

昭和40年に「常磐ハワイアンセンター」が開業しました。石炭が石油に押されて炭鉱が閉山に追い込まれようとしている時代に、今まで採炭の邪魔をしていた大量の温泉を活用して一大リゾート施設を作ろう。当時としては夢の国だったハワイがそのテーマ。そして、「フラダンス・ショー」を目玉にお客さんを集めようとしたのです。それが成功して、今では立派な「スパリゾートハワイアンズ」になりましたね。

その話が映画「フラガール」になりました。

映画を見る前の予備知識を得るためにネットを検索すると『フラガール』60点(100点満点中)「お涙頂戴がくどすぎ」という批評を見つけました。

その批評は映画批評家・前田有一さんが書いている「超映画批評」というサイトです。

movie.maeda-y.com

批評のマイナスポイントとしては

  • 演出が散漫である。
  • 群像劇としてキャラクターが描ききれていない。
  • コメディタッチなのか、重厚な群像感動劇なのか中途半端
  • お涙頂戴が露骨だ。

ということで、「これを楽しめるのは、たとえば韓流メロドラマで泣けてしまうような、演出に抑制の無いドラマでも大丈夫、という人に限る。」とまとめています。

この60点という点数は、「超映画批評について」にある「得点の目安」を読みますと、「見て損はない程度のレベル」だそうです。

しかし、第79回アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に選出、第80回キネマ旬報ベストテン第1位、第31回報知映画賞、第19回日刊スポーツ映画大賞、第61回毎日映画コンクール、第49回ブルーリボン賞、第30回日本アカデミー賞など、数々の賞を受賞をしました。

映画を見てどう感じるかは、見る人によって随分と違うものです。今まで見てきた映画の数も種類も、送ってきた人生の経験も違うでしょう。感じることが違うのは当然です。
それでも、なぜこんなに評価が分かれてしまったのか。ちょっと失礼かと思いますが、この批評を参考にしながら「フラガール」を考えてみたいと思います。

「フラガール」はふくしま人にとって特別な映画だ

「フラガール」はふくしま人にとって特別な映画です。なぜなのか、その理由を書いてみます。

まず、大きな理由に舞台となったハワイアンセンターが、身近な場所だということがあります。

「常磐ハワイアンセンター」が開業したのは昭和40年、私は田村市の中学生でした。社会科のK先生が「石炭が衰退して困っている人たちのために、炭鉱の娘たちがフラダンスを踊っている。頑張っているんだよ」と授業のときに話していたのを覚えています。 映画の前にも、ハワイアンセンターには何度か行ったことはあります。

それから、この映画は福島弁、方言が重要な役割を持っているということです。関西弁や九州弁はTVでも、堂々と話されていますが、それとは対照的に東北弁には負のイメージがあります。TVで話されるにしてもお笑いの笑われる役がほとんどで、東京弁、東京そのものに圧倒的な劣等感がありました。

しかし、この「フラガール」によって、その劣等感のようなものが一気に吹き飛んだように思います。「~してくんちぇ(してください)」、「でれすけ!」(馬鹿やろう)はとても心地よく聞こえたものです。

Yahoo映画のレビューは良く見るのですが、その中に印象深いものがあってメモしてあったを紹介します。それを書いた女性の父は福島の出身でした。そして、父の福島弁を軽蔑していたのですね、そしてこう書いています。

「映画を見て、涙が溢れて仕方ありませんでした。お父さん、会いたいです。私、もう方言を馬鹿にしない分別のある大人になったよ」

福島弁の呪縛から開放されたのですね、良かった、良かった。

 

どの部分に感動したのか

タイトルで煽っておきながらここで認めるのもなんですが、お涙頂戴が露骨と言うのは言えているかも知れません。ハリウッド映画には泣くシーンはそんなに出てこないですよね。それに対して「フラガール」はメソメソするシーンがたくさんあります。

  • 最初、ポスターを見つけてフラダンサー募集に誘った徳永えりさんとの別れのシーン。
  • 南海キャンディーズ・しずちゃんが父親の落盤事故があっても踊るシーン。
  • 先生がやめて湯本を離れそうになるのを、ホームでフラの手話で話しかけながら踊って引き止める。

これらのシーンのときは、すすり泣いている人が多かったようです。なぜ、泣くのか。映画を見ている人はに悲しいことが起こっている訳ではないのに、人が泣いているのを見てつられて泣いてしまっているのです。

しかし、私が最も感動したのは別のシーンでした。

私はこの映画を劇場で3回見ています。1回目は幕張のシネプレックス。2回目は蘇我のXYZシネマズ。3回目は幕張。

さて、私が感動したのはどのシーンだったのか。3回目にはっきり分かりました。

それは次のようなシーンでした。

豊川悦司さんの同僚だった光夫がハワイアンセンターの植木担当になり、トラックで台湾から輸入したヤシの木を運んでいます。そこに豊川悦司さんが自転車で追いかけて来ます。

そして、炭鉱で働き続けたい豊川悦司さんは植木担当になってしまった光夫に「お前は炭鉱に騙されている」と口論になり、ヤシの木をひきずり降ろそうとします。

光男は豊川悦司さんを殴り倒してしまい、そして、言います。

「生きてなかきゃ、なんねぇべよ」

 ここです。炭鉱が駄目になりそうです。身近ないわきの人たちが必死に生きようとしていました。その姿に私は感動していました。

DVDで鑑賞してみると

その後、DVDを購入して何度かみました。そして、前に読んだ映画批評家・前田有一さんの指摘が気になっていたので、反対意見を書いてみようとPCで再生してみました。すると、前田有一さんの指摘は的を得ているように思います。

管理責任者役の岸部一徳さん、しずちゃんの父親役の志賀勝さんの芝居は素晴らしいのですが、アラが見えてしまう役者さんもいます。

そして、映画を見る環境によって感動の程度は随分と違うのだと分かりました

  1. 幕張シネプレックス(2回)
  2. xyzシネマズ蘇我(1回)
  3. DVD再生・大型テレビ(2回くらい)
  4. DVD再生・デスクトップPC(1回)

これは上映環境がよいと感じた順位です。数字大きくなるほど画面は小さくなり、音響も悪くなります。

環境が悪いと芝居のアラが見えて感動も薄くなります。映画批評家の前田さんはどんな環境で映画を見たのでしょうか、気になります。

山田太一さんのエッセイ『オーケストラの少女』はひどい映画か?」

それと山田太一さんのエッセイを思い出しました。 

指揮者の岩城宏之さんは子供のときに映画「オーケストラの少女」を見て感動し、音楽家になろうと志したそうです。しかし、大人になってその映画を見ると大したことなかった。そんな話を聞いて、山田太一さんは違うのではないかと言うんですね。

その本が手元にないのでうろ覚えなのですが、音楽家になろうと決心して指揮者になるほどなのだから良い映画だったのだと言っています。 

いつもの雑踏いつもの場所で (新潮文庫)

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子供にとって面白い映画を大人がつまらないと言っても意味がないですし、ピカソの絵を誰もが素晴らしいと感じるかは疑問があります。 

目の肥えた批評家が選ぶ名作は、大衆にとって面白いとは限らないと思いますし、逆に駄作だと言っても、大衆がつまらないと感じるとは限らないと思います。目が肥えれば肥えるほどその差は広がってしまうのではないでしょうか。

フラガールスタンダード・エディション [DVD]

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