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読書感想文トラウマから脱出
子どものときから作文や読書感想文は大嫌い。もう、嫌です。
「自由に書いてください」。よけいに何から書き始めたらよいのか、どうしていいかさっぱり分かりません。途方に暮れるばかりでした。
今でもそれがトラウマなのか、本屋さんに「読書感想文の書き方」があれば、手に取ってみます。しかし、書けるようになるとは思えないものばかり。最近、ブログを書き始めて「感想」とは何なのか少しずつイメージがつかめてきました。今回読んだ本の紹介をしながら、読書感想文について書いてみたいと思います。
そもそも「感想」とは何なのか
それでは、そもそも感想とは何なのでしょうか?
goo辞書を引くと「物事について、心に感じたことや思ったこと」と書いてあります。
よく分かりませんね。ふつう「感想」というと本や映画、TVなどについて面白かった、つまらなかった。食べ物なら、美味しかったとか、そういうことですね。
読み手はみんな驚きたい
齋藤孝さんは読み手はみんな驚きたいのだと言います。
「へぇ、そういう読み方をしたのか」
「この本を読んでそんなことを思ったんだ」
「ほほう、そんな気づきがあったとか、これを読んだ甲斐があったね」
映画の感想を聞くと、そんな視点から見ていたのか、と驚かされそうになることがあります。
例えば、「火垂るの墓」の「他人のうちに来てあれでは駄目じゃん」という感想を聞いたときは、「あぁ、そんな見方があったのか」と感心したのを覚えていいます。
「卒業」のラストに花嫁を奪って二人で去るシーンがありますが、残された男はどうなったんだ、とか心配する人。
そんな視点の感想を聞くと得した気分になります。
そして、その人がホントどういう出会いをしたのかが、いきいきと書かれているものを評価するそうです。
違いに注目する
生まれて以来ずっとお母さんの作ったカレーライスしか食べたことがない人がいたとします。他の食べ物があることも知りません。この人はお母さんのカレーライスをどう思うでしょうか? きっと、美味しいのか、不味いのか分かりませんよね。「感想」とは他のものと比べて、その違いが分からないと出てこないのです。
この本の中でも「違い」について書いてありますので、目次から拾い出して、さらに書き加えてみます。
- 「ビフォー」「アフター」の変化に注目する
・自分が本を読む前と読んだ後の違い。
・新しく知ったことと知らなかったこと。
・あるものに対する本を読む前と、呼んだ後のイメージの変化。
・ストーリーが変化する場面の前と後。
・登場人物の心理が変化する前と後の比較。 - 「フツウじゃない」点を掘り下げる。
・自分や常識と思われることと比較してどう思うのか。
この二項目のように、違いについて注目すれば、書くことがなくて困ることはなくなりそうです。
共通点、類似点に注目する
私は作文嫌いな子供でしたが、妹の子どもは小学校の3年生くらいのときに書いた読書感想文がコンクールに入賞し、それから作文が大好きになりました。そのとき書いたのが「お母さんは看護婦さん」(昔は、看護師を看護婦と言っていました)の感想文です。
彼女のお母さんは看護婦さんでしたから、自分と本を書いている人の立場は同じです。うちも同じようにこんなことがあるよ、とか書いて、お母さんに対する気持ちを書いたんだと思うんです。
これに味を占めて、転校したのをいいことに、また同じネタで感想文を書いていました。これがきっかけで彼女は作文が好きになり、就職難のときでも会社に潜り込めたようです。
違うようだけれども考えてみれば似ていることについて考えるという手もあります。これは「誰も教えてくれない人を動かす文章術」に登場することです。
例えば、先に映画「風と共に去りぬ」について感想を書きましたが、「風と共に去りぬ」の主人公のスカーレット・オハラとTVタレントの蛭子能収さんについて、私は似ているところがあると思うんですね。スカーレット・オハラも、蛭子さんも我がままで自由奔放。そのことについてなら書くことが出来ます。
自分もそうしたいけれど常識に縛られてできない。それを打ち破ってくれるから、どちらも人気があるのだと思います。「我がまま力」は人を生き生きとした状態にして見せてくれる。二人の共通点なら、そんなことを私は書きたいですね。
違いに注目すると、「なぜ?」という疑問が生まれる
「なぜ」の問いから始めるとスイスイ書ける例として「走れメロス」が取り上げられています。なぜか? メロスの行動は問が立てやすいからだそうです。だから、教科書に採用されることが多いのですね。
- なぜ、メロスは親友を身代わりにしたのか
- 途中で心が折れかかったのに、なぜメロスは気力を取り戻したのか
「なぜ?」と考えていくとテーマにたどり着きやすいと斉藤さんは言います。
メロスは、処刑されるのを承知の上で友情を守り、信頼のために走ります。ここが普通の人と一番違います。なぜ、そうするのか? 考えを深めていきたいところです。
自分の命より大切なものがこの世にあるのでしょうか? 家族? やっぱり、行き詰ってしまいます。どうすれば良いのでしょう?
村上春樹さん秘伝・読書感想文克服法
そこで思い出すのが村上春樹さんの「秘伝・読書感想文克服法」です。読者が村上春樹さんに質問し、その回答を公表する「村上さんのところ」というのがありました。
そこで、読書感想文をさらりと書くコツがあれば、ぜひ教えてくださいという質問があったのです。
その答えが「途中でほとんど関係ない話(でもどこかでちょっと本の内容と繋がっている話)を入れることです。それについてあれこれ好きなことを書く。そして最初と最後で、本についてちょろちょろっと具体的に触れる」。
なるほど・・・。
友情劇がウソっぽいので正面からは切り込まない
もうひとつ参考になるのが、自由に使える読書感想文というサイトの太宰治の『走れメロス』の感想文。
この作者は、友情劇がウソっぽく見えることから、正面からは切り込まず、借金の連帯保証人になった友だちのお父さんが財産を失い転居してしまった話について考えます。そして、作者の父は小説は小説だ、友情を信じたいと言う願望が小説を書かせたのではないかと言います。深いですね。
そして、人を信じることはどういうことなのだろうと、疑問が解けないまま感想文は終ります。友情を信じると酷い目に会うという例と比較して、考えを進めています。比較は重要なのですね。
脇道にそれずに正面から突破したい
しかし、正面から切り込まないのは、どうも逃げているようで納得できません。そうかと言って、メロスが、処刑されるのを承知の上で友情を守り、信頼のために走ることを賞賛する立場には簡単になれません。その問題に対し、齋藤孝さんはこう言っています。
「コンクールに入賞する感想文なんて、いかにも大人が喜びそうな道徳的な意見が書かれているものだ」と言う人がいるけれど、僕はそうとばかりは思わないんだ。むしろコンクールなんかでは、当たり前に正しそうなことが簡単に書かれているよりも、カンタンに答えが出ないことに対してその複雑さをちゃんと受け止めて書いた人の深見が理解され、評価されるんじゃないかと思います。
そして、その方法は『「フツウじゃない」点を掘り下げる』という章が参考になります。小説、ノンフィクションに描かれるのはフツウならやらないのに、やってしまうひとが描かれる、その「フツウじゃなさ」を楽しみ味わうのが読書だと言います。
尾崎豊の楽曲「15の夜」では、家出をするためにバイクを盗み、暗い夜の中を走らせる少年が描かれます。そこで、「バイクを盗むなよ」なんて思っては尾崎豊が作り出した鬱屈した青春にを味わえませんよね。共感しないと始まらないのです。
「走れメロス」は狂気の復讐劇だ
さて、太宰治は何を描くために「走れメロス」を書いたのでしょうか。そのヒントは 図書館職員を続けている林さんの調査が参考になります。
そこには「走れメロス」はシラーの劇詩Die Burgschaft(「担保」「人質」)を再話したものだと書かれています。 太宰治はシラーの詩劇を読んでメロスの狂気を感じたのだと思います。人間不信のディオニス王に怒りを感じ立ち向かう狂気の復讐劇と考えると納得できます。
「走れメロスを読んで 六年四組 木村 康人」
そこには、そんな視点で書かれた感想文「走れメロスを読んで 六年四組 木村 康人」があります。木村さんはこんな無鉄砲なメロスとは友達になりたくないと感想を書いています。感想文コンクールで入選するかどうかは分かりませんが、とても深い洞察の文章ですね。これが小学生の作文なのかと感心しました。
木村康人さん、現在は指揮者として活躍しているようです。凄い方ですね。
感想を書くこと。これから、映画・本の感想という形を借りて、自分の考えを表現していければいいなと思っています。