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なぜこの映画に引き込まれる?
「午前十時の映画祭」が開催されています。
「風と共に去りぬ」はDVDで何度も繰り返して見た映画。それでも、もう一度みたい理由があります。それは、「この映画に魅力があるのはなぜなのか」、それを知りたいからです。
どんな登場人物の映画か。
- 主人公のスカーレット・オハラは勝気で我まま
- ちょい悪オヤジのレット・バトラー
主人公が悪役をやっつけて気分爽快になる勧善懲悪の映画でもありません。
スカーレットの人格を称えるヒューマニズム映画でもありません。それでも魅力があるは何故なのか。不思議に思っていたのです。そんな疑問が解けないものかと考えて観に行くことにしました。
勝気で我がままなスカレット・オハラ
原作はマーガレット・ミッチェル。
南北戦争(1861年~)前後のジョージア州を舞台とした愛憎劇です。主人公のスカレット・オハラは大きな農園を経営している裕福な家庭の娘。
おおまかなストーリーは下のとおりです。このストーリーを見て、あなたはスカレット・オハラをどう思いますか?
最初、スカーレットは美しいただの我がまま娘でしたが南北戦争を生き抜き、レットバトラーとの別れを経験して強い女性に成長します。
いわゆる「教養小説:ドイツ語Bildungsroman(ビルドゥングスロマーン)」です。
あらすじ(スカーレットの道徳観念がハチャメチャ)
- スカーレットは魅力ある女性として多くの男性を虜にしています。けれどもスカーレットが思いを寄せるのはアシュレーだけ。それなのにアシュレーは従妹のメラニーと結婚してしまいます。
すると、なんということか、スカーレットはメラニーへの当てつけのために、メラニーの兄を求婚するように仕向けて結婚してしまいます。しかし、それは形だけ。心はずっとアシュレーを追い続けます。
もう一人の重要な登場人物がレット・バトラー。彼はずっとスカーレットを慕い続けます。 - 二度目の結婚は金目当てに妹の婚約者。農場「タラ」が買い取られそうになるとスカーレットはレット・バトラーに金を工面して貰おうとするが失敗。事業に成功した妹の婚約者と結婚して農場「タラ」を守ります。
-
スカーレットはアシュレイがメラニーと結婚しているのに愛を告白します。もちろん、受け入れられません。スカーレットは何でも自分の思い通りになると思っているところがあります。
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金のために妹から奪って結婚していたフランクが死亡。スカーレットはレット・バトラーと結婚して娘ボニーを生みます。しかし、スカーレットはアシュレーへの想いが断ち切れません。
娘のボニーが落馬して死亡。メラニーも病死。レットはスカーレットとの結婚生活に疲れて去ってしまう。スカーレットはこのときレットが大切な人であることに気付きます。
「あ~ぁ、もう、どうして良いかわからないわ。寝てから明日考えましょ。明日は明日の風が吹くんだから」
スカーレットはなんと楽天的なんでしょう。なんと力強い人なんでしょう。
ドラマの作り方は悲劇です。最後、レット・バトラーが愛想をつかして出て行く原因は、最初に準備されています。つまり、アシュレーの心がスカーレットになびく事はないのに、いつまでも追っては破滅するしかないのです。
最初にこの映画を見たとき、スカーレットが生き生きしていて、なんて素敵なんだろうと思いました。しかしよく考えてみると、彼女の道徳観念というのがハチャメチャです。特別の美女だから観客は許してしまうのでしょうか? やっていることが子どもっぽくて可愛いから面白いのでしょうか? 不思議な映画だと思うようになりました。
アシュレー以外どんな男でも自分に振り向く
スカーレットの道徳観念がハチャメチャでも、面白い映画には違いありません。それは何故なのでしょうか? それを探るために私がお気に入りのシーンを紹介して、そのシーンの何が好きなのか考えてみます。
- スカーレットが男をとっかえひっかえ踊り振り回す
オープニングは若い二人の男が戦争の話をします。スカーレットが戦争の話を嫌うのでオークス屋敷の園遊会の話になり、誰と踊るかが話題になります。相手はよろどりみどり、モテモテです。そして、メラニーとアシュレーが結婚するということが知らされます。このオークス屋敷でスカーレットが男をとっかえひっかえ、やりたい放題に男どもを翻弄して引っかき回すさまは見事です。ウキウキ面白くでしょうがありません。
男性からの視点なら、なんて酷い女なんだとなるのですが。 - 「黒い喪服は嫌だ」と駄々をこねレット・バトラーと踊る
もうひとつは、最初に結婚した夫が死んだあとのスカーレットです。喪に服さなければならないのに「黒い喪服は嫌だ」と駄々をこねます。パーティに行くと踊りたくてしょうがありません。音楽が流れると心はウキウキ。上半身は普通を装っていますが、足元はダンスのステップを踏んでしまいます。そして、レット・バトラーと踊ります。
この映画は上映時間が4時間もあって、前半と後半に分かれています。後半になると話がだんだんシリアスになって、悲劇的結末に向かいます。
好きなのは前半です。スカーレットのやりたい放題は楽しくてしょうがありません。世間の常識やモラルをガチャンガチャンと壊してくれます。映画では、私たちが出来ないことを主人公が代りにやってくれます。それが小説や映画の面白さなのですよね。
「小悪魔」と言う言葉があります。
辞書を引くと「男性の心を翻弄 (ほんろう) する、魅力的な若い女性」と出ていますが、スカーレットにぴったりの言葉です。
スカーレットはどんな男でも自分に振り向きますから、勝気でも我がままでも何でも通ってしまいます。そうなったら楽しいですよね。「風と共に去りぬ」を見ている人はそんなところに魅力を感じているのではないでしょうか。
ただし、スカーレットに振り向くのは恋するアシュレー以外という悲しい現実。それがドラマが生まれるもとになっています。
- 作者: マーガレット・ミッチェル,Margaret Mitchell,大久保康雄,竹内道之助
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/06/03
- メディア: 文庫
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そんなスカーレット・オハラが好き
こんなスカーレットですから、物語は好きでも彼女は嫌いだという人がいます。
- アマゾンの「風と共に去りぬ (1)(新潮文庫)」レビューには「彼女のこと、好きじゃないけど」とか「メラニーのようになれたら」という感想があります。
- 嫌いだという意見の代表:YAHOO!映画のレビュー「ポニーがかわいそうでした」。
こんなビッチは嫌だ。彼女のような女性とはお話したくないと言い切っています。奴隷の少女を怒鳴りつけ彼女の横面を張り倒すこと、奴隷制に何の疑問を持っていないこと。前半の終わりに「たとえ盗みを犯しても、人を殺してでも、私は飢えません」という誓いも批判の的で「たとえ飢えたとしても、盗みません、殺しません」と言うべき。 - 逆に「スカーレット・オハラを全力で擁護する」というエントリー。 これは岩崎夏海さんが書いた『ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといい』 に対して、英文学の研究者、北村紗衣さんが書いた反論です。
岩崎さんは、スカーレットはあらゆる読者から眉をひそめられそうな性格をしているから、たいていの読者は最初はスカーレットを嫌う。しかし、そうした嫌悪感を乗り越えると魅力的になってくると言っています。
それに対して、「スカーレット・オハラを全力で擁護する」を書いたsaebouさんは、スカーレットと自分を完全に最初から同一視して見ているからだと言います。あらゆる世間の規範に外れた振る舞いを全てやってくれる存在だから女性に好かれているのだと。
この映画の日本公開は1952年です。義母は兄と日比谷に見に行ったそうです。私も妻も1953年の生まれですから、義父と付き合うか結婚かしていたと思います。どうして兄と行ったんでしょうね。
義母の感想は、総天然色でドギモを抜かれた。それから、なんといっても、レット・バトラーが素敵だったと。レット・バトラーって、ちょい悪オヤジの雰囲気があるんですが、女性は危なそうな男性が好きなんですよね。
そして義母は「スカーレットは自分の出来ないことをやってくれるから、面白いのよ」と話します。
義母の言葉に納得しました。女性はスカーレットが好きな人が多くて、男性は嫌いな人が多そうです。私はずっと、スカーレットが大好きです。
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