シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

吉岡秀隆さんが歌う「どうしようもないこと」に衝撃を受けた

YouTubeがレコメンドした「どうしようもないこと」

YouTubeで倉本聰さん原作・脚本の『北の国から』に流れるサントラを聞いていました。「北の国から 遙かなる大地より ~螢のテーマ」、「五郎のテーマ」、「純のテーマ」・・・トランペット、ピアノ、ギターでカバーしている人もいます。

そうしましたら、YouTubeが『北の国から』で純くんを演じている吉岡秀隆さんが歌う「どうしようもないこと」をレコメンドしてきました。クリックするとその歌詞、メロディに衝撃を受けました。

「どうしようもないこと」は1994年5月20日に発売された吉岡秀隆の1枚目のオリジナル・アルバム『分岐点』に収録されている曲です。『分岐点』に収録されているのは次の9曲。「歌ネット」へのリンクを貼り付けましたので、そちらでは歌詞を見ることができます。「歌ネット」にはYouTubeへのリンクがあり、曲を聞くことも出来ます。

  1. 分岐点
  2. 北風に吹かれて
  3. 吐いたツバ
  4. 無明
  5. この街の二人
  6. 工場跡の空地
  7. どうしようもないこと
  8. 心弱き君へ・・・

吉岡秀隆さんは平成のボブディランのようであり、吉田拓郎、尾崎豊のように私に語りかけてきます。

そして、「どうしようもないことなんて世の中にはいくらでもある」、「すべては受け入れること」と歌います。受け入れても、受け入れなくても、どうしようもないんだから受け入れるしかないですよね。

吉岡秀隆さんの感受性豊かな演技力は見事なものでした。そのベースには役者そのものの人間性の豊かさがあって、だからこそ多感な役を演じられたのだと思いました。

私の「どうしようもないこと」

考えてみれば、私にも「どうしようもないこと」が山のようにあり、すべて受け入れるしかありませんでした。

  • 去年の5月、義母が大腸ガンになってしまい、人工肛門の手術をしました。ガンは全身に転移があり、どうしようもありません。義母は死を受け入れ、3月12日に旅立ちました。歌舞伎、映画の好きな浅草生まれのハイカラな女性で、話があうことが多かった。大切な人だけれども、彼女がいなくなることは受け入れるしかありません。
  • 義母の葬儀の日、私の体調は悪かった。翌日、義母が入院していた病院にいくと消化器出血で緊急入院。後日、胃ガンだとわかりました。手術するも腸閉塞を発症し、さらに手術をして5月26日に退院しました。
    最初は抗がん剤は必要ないかもしれないということでしたが、抗がん剤の治療中です。
  • 放送大学で放送授業を4科目、面接授業を1科目選択していました。面接授業は退院直後に2日間朝から晩までは無理と欠席し、放送授業は通信指導問題を提出できず、「受験資格がありません」と連絡が来ました。
  • 2014年2月、アパホテルで家族一緒に食事をシた翌日に妻は失踪。探偵さんにお願いし、いくら探しても見つからず、4月3日に妻ではないかという電話が日光警察署からきました。私がプレゼントしたiPodと一緒に遺体が見つかったのです。

どうしようもないことなんていくらでもあります。そして、それは受け入れるしかありません。当たり前ですが、と吉岡秀隆さんが高らかに歌う曲を聞いていると、逆に勇気のようなものが湧いてくるのに気づきました。

「どうしようもないこと」と「どうにかなりそうなこと」

なぜ、勇気のようなものが湧いてくるのか。

これも当たり前ですが、「どうしようもないこと」はウジウジ考えても仕方がないのです。

福島の阿武隈山系の何もない村に生まれ育ってしまった。父は、東大だったら行ってもいいというけれど、幼いうちから農作業をさせておいて、行ける訳がなかったじゃん。

自分の頭はそんなによくないのだから、出来る範囲でやればいいじゃん。

そう考えると自分が特別に不幸でもなんでもないことに気づきます。

だから、どうにかなりそうなことに立ち向かえばいいんですよね。