むかし、みんな軍国少年だった―小二から中学生まで二十二人が見た8・15
- 作者: 石永淳,生方恵一,桐井加米彦,工藤司朗,伊藤強
- 出版社/メーカー: G.B.
- 発売日: 2004/08
- メディア: 単行本
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目次
国全体が軍国主義に満ちていた
ずいぶん前に買った本です。軍国主義の時代に少年時代を過ごした22人の著名人のエッセイを集めたもので、帯には筑紫哲也さんの推薦文があり、目次を広げるとその中には私の知っている有名人もいて、どんな少年時代だったのかと興味が湧いてきます。
私の知っている有名人を拾い出してみるとこんなにいます。
- 生方恵一さん
紅白歌合戦で都はるみさんを「ミソラ・・・」と美空ひばりさんに間違えそうになったNHKアナウンサー。 - 菅原洋一さん
「今日でお別れ」「忘れな草をあなたに」などのヒット曲で有名な音楽大学大学院卒の歌手。 - 二上達也九段
よくNHKの将棋番組でお見掛けした二枚目棋士。 - 本多勝一さん
元朝日新聞記者のジャーナリスト。 - 和田勉さん
バラエティー番組にも出演して「ガハハおじさん」と呼ばれたNHKテレビドラマディレクター。 - 福富太郎さん
キャバレー王と呼ばれ、よくテレビにも出演していた。 - 高橋治さん
松竹の映画監督。その後、作家になり直木賞受賞。 - 前田武彦さん
放送作家で、「夜のヒットスタジオ」「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」「笑点」の司会者などテレビに出演していた。
テレビを通じて知っている人ですから、親近感があります。読んでいる途中本人のイメージが浮かんできて、エッセイの中の出来事と重なりました。
映画や小説とは違うリアル感があり、興味深く読むことが出来ました。
この本を読んで気が付くのは、国全体が軍国主義に満ちていることです。
学校には配属将校が来て軍事教練が行われ、壮烈な戦死を遂げた軍人は神格化されて「軍神」として英雄化されます。街には軍歌が流れ、映画は戦意高揚を目的としたもの、少年雑誌には戦闘機や戦艦の挿絵が溢れていました。
こんな状況ならは、今なら少年たちがサッカー選手や野球選手を目指すように、陸軍大将や戦闘機乗りを目指すのも無理はない。そう思えてきます。
国はどんなふうに少年たちを鼓舞したのか、それを紹介してみます。
凄絶な戦死をすると「軍神」にしてしまう
NHKのアナウンサーだった生方さんが学んだ旧制中学は、真珠湾に特殊潜航艇で突っ込んで「軍神」と呼ばれた岩佐直治海軍中佐の母校でした。(参考:岩佐直治 - Wikipedia)
地元では彼を称える歌が作られ、よく歌ったそうです。
扇ぐ赤城の山は映え
大利根めぐる旧城下
ここに肩部の血を受けて
郷土群馬に男児あり
姓は岩佐ぞ名は直治
遺骨が前橋に戻ったときには市民のほとんどが沿道にならんだと言います。
「軍神」とは何なのでしょうか。
検索すると、こんなのが見つかりました。
九軍神
大東亜戦争中のハワイ海戦(真珠湾攻撃)において、甲標的に乗組み、未帰還となった海軍大尉(戦死後に海軍中佐)岩佐直治ら以下の9名が「特別攻撃隊の偉勳」として軍神とされた。(1942年3月6日海軍省発表)
(略)九軍神を題材にした文学作品には、坂口安吾の短編小説『真珠』があり、詩人の佐藤春夫、斎藤茂吉、高浜虚子も以下のような献句を綴っている。
ますら男のかたき心に
かねてより水漬屍を
こひねがひ時到る日を待てりしか
友九人ねがひは一つ——佐藤春夫「特別攻撃隊軍神の頌の(一)」
九つの軍の神のおもかげをすめらみことはみそなはします
にごりなくひたぶるにしてささげたる九御命あふがざらめや
そのこころ極まりぬればあなこ漬け特別攻撃隊の名をぞとどむる——斎藤茂吉
其名こそ春あけぼのの目にさやか
若草に老の涙はけがらはし母子草
その子の母もうち笑みて——高浜虚子「軍神九柱」
(Wikipedia「軍神:九軍神」より)
生方さんは「潜航艇が5隻なのに、なぜ九軍神なのか」と疑問を持ちます。
潜航艇は1隻に2人が乗り込みますから、5隻なら10人のはず。あとの一人はどうなったのかということです。
岩佐中佐だけが一人で乗り込んだ。だからなおさら偉かったと考えて納得します。当時は、誰も捕虜になったとは考えなかった。考えたとしても口には出せなかったと書いています。
生方さんたちは操られていました。実際は、VOAが一人は捕虜になったと報道しているのですが、一般には知らされません。生方さんが知るのは戦後になってからのことです。
映画で戦意高揚をあおる
(Wikipedia「海軍飛行予科練習生」より)
旧制中学は5年制です。それなのにマエタケ(前田武彦)さんは、3年のときに予科練を志願します。
子どもたちは戦闘機や戦車、軍艦に憧れ、特に海軍の新鋭戦闘機である零戦は人気がありました。ニュース映画に登場する零戦を見たいマエタケさんは、何度もとなり町の映画館に足を運んだと言います。
太平洋戦争が勃発すると、国は多くの戦意高揚映画を作ります。
- 「ハワイ・マレー沖海戦 」
1942年(昭和17年)12月3日に公開。真珠湾攻撃および12月10日のマレー沖海戦の大勝利を描いたもの。平凡な少年が海軍精神を注入され、また厳しい訓練を耐え抜いて、晴れてパイロットとして搭乗する。 - 「空の神兵」
1942年9月公開のドキュメンタリー映画。
副題「陸軍落下傘部隊訓練の記録」。主題歌『空の神兵』。 - 「海軍」
1943年。海軍報道部の企画による大東亜戦争2周年記念映画。海軍省後援。
原作は獅子文六の小説。主人公は、真珠湾攻撃で九軍神の一人となった海軍少佐・横山正治がモデル。 - 「決戦の大空へ」
予科練の生活と倶楽部の民間人との交流を描く。挿入歌『若鷲の歌』は大ヒットを記録した。(Wikipediaより) - 「加藤隼戦闘隊」山本嘉次郎監督、陸軍省後援。大ヒット作。
飛行機が好きで、映画が好きな少年ならたまりません。
私が子どもの頃は、飛行機の絵ばかり描いていました。戦後でも戦闘機をテーマにした漫画があって、貝塚ひろしさんの「ゼロ戦レッド」やちばてつやさんの「紫電改のタカ」のファンだったのです。マエタケさんも飛行機の絵を描いていたんじゃないでしょうか。
「まともな学生生活が出来ないならいっそのこと海軍に入って戦闘機乗りになったほうがいいと考えるようになった」
飛行機好きの少年だったマエタケさんは、軍国主義に乗せられ、血迷って入ってしまったのでしょう。親は内心は反対ですが、それを口にすれば「非国民」呼ばわりされます。弱弱しく忠告するしかありませんでした。
騙し打ちの特攻選抜
入隊後の訓練は厳しく無茶苦茶な暴力。マエタケさんは予科練を志願したことを後悔します。自分で志願しておいて辞めるとは言えません。辞めたいと言っても辞めさせてくれるはずもありません。
マエタケさんの頃になると、飛行訓練どころではなく、水中、海上特攻要因に割り当てられる始末。卒業即、特攻兵器要因です。
集められた予科練生が進路についての希望が聞かれます。
「これから配布する用紙は無記名でよい。特攻要因を望む者は熱望、反対の者は志願せず、と記せばいい」
航空機の搭乗員を目指した人たちです。空への夢が捨てきれず、 ほとんどが「志願せず」と書きます。
ところが無記名ではなかった。容姿に針で小さな穴が開けられ、穴の位置を見れば誰が書いたものか分かるようになっていました。「志願せず」と書いた練習生の大半が特攻要因に選ばれました。
「予科練に志願したときに戦死するかもしれないと覚悟を決めていたから、特攻兵器の要因にされてもショックは受けなかったが選抜のやり方が汚いと思った」と書いています。ホント、酷い話です。
街は戦時歌謡だらけ
本の中には軍歌・歌謡曲が多く登場します。一流の作詞、作曲家が作った戦時歌謡がラジオから流れ、国民を鼓舞していたのです。。
- 「満州娘」「今は非情時節約時代、パーマネントはやめましょう・・・」
生方さんが近所の美容院の前で友達数人と、「満州娘」の替え歌を歌って母親に叱られる話があります。
- 「若鷲の歌」作詞:西條八十 作曲:古関裕而
「わ~かい血潮の~♪ 予科練の~♪」。私も歌えます。
- 「愛国行進曲」
「見よ東条のはげ頭 ハエが止まればツルッと滑る、滑って止まってまた滑る、おお晴朗のはげ頭・・・」
中野元さんが替え歌を歌った話が出てきます。これには笑ってしまいます。時の最高権力者・東条英機のはげ頭を笑いものしているんです。パロディーとして最高ですね。 - 「加藤隼戦闘隊」
「エンジンのお~と~♪ 轟々と~♪」。宴会のときによく歌う人がいて、私も歌えるようになりました。 - 「ラバウル海軍航空隊」作詞:佐伯 孝夫 ・作曲:古関 裕而
- 「勝利の日まで」作詞:サトウ・ハチロー、作曲:古賀政男
- 「同期の桜」台詞入り 鶴田浩二
- 「あゝ紅の血は燃ゆる」
- 「轟沈(ごうちん)」潜水艦の記録映画のの挿入歌。
- 「少年兵を送る歌」
- 「露営の歌」
「勝って来るぞと勇ましく~」という歌です。これも歌えます。
最後、「瞼に浮かぶ、旗の波」なんですが、「瞼に浮かぶ、母の顔」と歌っていたような気がします。 - 「敵機爆音集」敵機の爆音を集めたレコード。
この鶴田浩二さんの台詞を聞くと、「オレも国のために死ぬしかない」と思えてしまいます。
最後に
軍国主義の時代に少年時代を過ごした22人のエッセイ集をよみました。私が知っている有名人もいます。読んでみると、戦意を高揚する映画、軍歌が多く、その影響を受けていたのがわかりました。どんなものだったのかと興味がわき、登場する映画、歌謡曲を拾い出してみました。
作る人は、どんな思いで歌や映画を作っていたのでしょう。
嫌々ながらでも、進んででも、少年たちの心を戦意高揚させるのには成功したのだと思います。
戦時歌謡を探していると、Youtube に「戦前の日本人の精神は今とは比べ物にならないほど大変高かった。親に感謝し、他者をいたわり、弱きものを助け、義を尽くす。挙げればきりが無い」という人がいました。
そんなに精神の高い人たちなら、中国に侵略はしないし、戦争になんてならなかったはずです。