しろっこブログ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の心理と教育コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

沖縄人は日本人ではないのか・NHKスペシャル「沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~」

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(Photo AC「嘉手納基地を離陸する米軍機」)

目次

本土爆撃のために手当たり次第作った飛行場

NHKオンデマンドの沖縄関連番組が次々と配信終了になる、という記事を書きました。

8月31日で次の番組が配信終了になります。

www.nhk-ondemand.jp

最初は無料で公開されていたのですが、2018年に有料になり、そして、配信終了になります。見られなくなる前に何か書いておかなくてはと思い、見直しました。 

この番組は、2000点の未公開、機密資料を入手したNHKが、沖縄の1945-1946の一年を追い、 なぜ沖縄が基地の島となったのか、なぜ今も変わらないのかを描いたものです。

沖縄戦終了後、住民はどうなったのか

1945年6月23日に沖縄戦が終了しました。県民の1/4、12万人が犠牲になりましたが、終戦は8月15日、まだ戦争は続きます。

アメリカ軍は戦闘から隔離するという名目で、住民を12か所の収容所へ移します。

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(Wikipedia「Battle of Okinawa」:A Japanese prisoner of war sits behind barbed wire after he and 306 others were captured within the last 24 hours of the battle by 6th Marine Division.)

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(Wikipedia「Battle of Okinawa」:A group of Japanese prisoners taken on the island of Okuku in June 1945)

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(Wikipedia「沖縄戦・沖縄における収容所」)

収容所は山の多い地域に作られました。アメリカは住民のいなくなった平地をどうしたか。日本本土攻撃のため出撃の拠点を作ったのです。

計画していた滑走路は人口が集中していた中南部を中心に18本。

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(Wikipedia「Battle of Okinawa・A map of Okinawa's airfields, 1945」)

日本もラバウルなどに勝手に飛行場を作っただろう。北方四島は今でも帰ってこない。戦争なんだからしょうがない・・・いろんなことが思い浮かびますが、酷い話です。

8月15日終戦。本土を爆撃する必要はなくなりました。それでも、沖縄は1972年(昭和47年)まで占領され、結果として多くの基地が現在も残っています。

実はアメリカは「非武装化し日本に返還すべき」と考えていました。しかし、現実にはそうはならなかった。それは何故なのか。それがこの番組のテーマです。

国務省「非武装化し日本に返還すべき」

統合参謀本部は「占領を継続すべき」と考えていました。しかし、外交を担う国務省は占領に反対でした。各国が領土を拡大しようとしたことが世界大戦を招きました。その反省から「沖縄は非武装化して日本に返還すべき」と考えていたのです。

そのために国務省は何をしたか。

「琉球列島海軍軍政府」を作り、民主主義による住民統治をしようとしました。

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琉球列島海軍軍政府「より充実した民主主義」を

政治・歴史を専門とする学者たちが、沖縄に関する知識を身に着けて派遣されます。

ハーバード大学で政治学を専攻していた将校・ワーナー・バースオフさんが海軍軍政府の責任者。彼のインタビューを中心に番組が進みます。

彼らは「より充実した民主主義を実現する(海軍軍政府報告書)」ことを目的として沖縄を統治しようとしました。

なぜ、そんなにも民主主義にこだわるのか。

それは、アメリカが沖縄は本土から差別されているとみていたからです。

スタンフォード大学フーバー研究所に保存されている戦時中のラジオ放送の音声。「沖縄の人は自分を日本人だと思っているが本土からは差別されている。日本の軍国主義を教え込まれているが地位は低いのだ」

海軍の「沖縄民事ハンドブック」にも、明治以降、強制的に支配されてきた。本土と潜在的な溝があることに着目し、そこから沖縄を開放するということが謳われていました。

ワーナー・バースオフさん「私たちのやり方は日本本土による支配よりもずっと進歩的でした。統治を押し付けるのではありません。沖縄の人々が自分たりの手で社会を運営できるように、自治を後押しすることが重要だと考えていたのです」

「沖縄諮詢会(しじゅんかい)」が組織された

戦前の教育者、政治家など15人が委員に選ばれ、収容所30万人の代表として、住民の意見や要望を伝える役目を担いました。

沖縄のことは沖縄で決める。この頃の沖縄は元気があります。

今後の沖縄について話し合った議事録が紹介されます。
元新聞記者・又吉康和さん。「アメリカの憲法を調べて、沖縄の自由のために憲法を作りたい」。

元県議・仲宗根源和さんは、もっと踏み込んでいます。

「人民の有する権限を大きくし、アメリカ大統領のごとき制度を作ることを考えてみたい」

(録音テープ)「みんなで会っていると、何かやろうじゃないかという空気が自然に出てくる。力を結集したら十分独立できるんじゃないか。日本に頼ったらまた日本に持っていかれちゃうんだから。我々は我々で、また元の秩序を取り返して生活も豊かにしていかなくてはならんと」

1945年 9月、女性に参政権が与えられ、収容所の代表を選ぶ選挙が行われました。10月には収容所住民の希望に沿い、1946年1月1日までに元の居住地に戻そうという再定住計画が作られます。

ところが計画どおりには進まず、バースオフさんは帰国の命令を受けます。台頭してきた共産主義勢力に対抗するためです。日本は非武装化されることはなく、「より充実した民主主義」はとん挫してしまいます。

ワーナー・バースオフさんのその後 

NHKがインタビューしていたワーナー・バースオフさんはどんな人だったのか。

検索してみました。

www.legacy.com

追悼記事が見つかりました。ハーバード大学名誉教授になっていて、2018年8月28に亡くなっていました。

As a naval officer, he served in the Pacific Theater after World War II, at Okinawa, Japan, 1945-1946. 

沖縄にいたことが書かれています。

それと、沖縄市役所が作った本が見つかりました。

バースオフさんをみて、「古き良きアメリカ」という言葉を思い浮かべました。

理想を追う若いアメリカ兵たち。日本の憲法草案を作ったのも若いGHQ民政局の人たちでした。彼らも理想を追っていました。

命令を受けて帰国するバースオフさんを思い浮かべると、挫折する青春ドラマのようでもあります。

基地で働くしかない人たち

共産主義勢力が台頭し、対抗する必要が出てきました。普天間飛行所滑走路はアスファルト舗装され、嘉手納飛行場の二つの滑走路が連結されます。
住民は、収容所から解放されても農業がでません。集落や農地は基地に変ってしまったのです。

無料で行われていた食料の配給が有料になり、同時に新しい通貨が導入されます。

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(Wikipedia「B円」より)

現金収入がなければ生活できない状況に追い込まれます。

マッカーサー「本土にいる沖縄人は復興の妨げ」

終戦当時、沖縄から本土へ10万人が疎開、出稼ぎに来ていました。

マッカーサーはその人たちが日本復興の妨げとなるからと、沖縄へ引き上げさせます。バージニア州マッカーサー記念館:1946/01/30 陸軍の高官にあてた電文。
「本土にいる沖縄人の大多数は子供、女、老人で極貧状態にある。食料、住居などで日本人に依存している。本土復興の妨げとなっている」

食糧援助のコストがかかりすぎる。アメリカ本土では不満が高まっていました。それに応えるための政策です。

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沖縄の人口がどう変化しているのか、Wikipedia「沖縄県の人口統計」をみてみました。1945年は調査が行われず、推定の人口です。60万人近くいた人口が戦争により亡くなった人、本土への疎開、出稼ぎで半分近くに減っています。それが1950年には一挙に約70万人に増えています。

農地がつぶされているのに人口が10万人も増える。食糧不足が深刻な問題になるのは目に見えています。「琉球列島海軍軍政府」は引き上げ計画に激しく反発します。

本国の統合参謀本部は沖縄を統治する組織を「陸軍軍政府」に変更します。
形だけの「沖縄民政府」が発足し、独立論まで唱えていた仲宗根源和は役職を外れます。
バースオフさんが帰国の命令を受けたのはこのタイミングです。

当時を知る人の声が聴けた

インタビューが印象的でした。

  • 豚小屋だった収容所に住み、食べ物がなく抜け出した中村元信惟さん。
  • 村を破壊したことを後悔する元陸軍工兵隊:ロバート・ロックさん。
    「私たちは人気のない小さな村を次々と潰していきました、飛行場や道路を作るために。今思うと悲しくなる。何百年も続いた村を破壊していったのですから。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、後になって取り返しのつかないことをしたと気が付きました」
  • 又吉康和の娘・小島葉子さん。収容所の人々に希望を与えたという。「だって、一変しちょうんですもの世の中が。女の人はものを言っちゃいかない境遇からすぐあれ(選挙)になったものですから」
  • 玉那覇祐正(すけまさ)さん。
    2500坪の農地を失った。基地の中でアメリカ兵の身の回りの世話をする仕事につく。米兵と並んだ写真を見るとまだ少年だ。
    「当時給料をもらえる場所は基地以外になかった。食べるものもない。市役所へいった先生方も辞めて軍作業。軍の炊事に行った人たちもいるぐらいだからね。だから、みんな軍作業。」
  • そして、マッカーサにより山口県から引き揚げさせられた真栄田義晃さん。
    仕事がない。軍事物資を扱う荷役の仕事だけ。
    「沖縄には民主主義がなかった。ヤマトは民主主義の新しい憲法ができるんだと草案ができたり・・・沖縄は除外や。日本は沖縄の人の福祉とかね、何とかには興味がない。軍事基地ですよ」

マッカーサーの野望

この番組を見て一番ショックだったのは、ラスト近くに紹介されたマッカーサーの本国へ向けた電文です。それは、1947年に打電され、こう述べています。

「アメリカ軍による沖縄の占領に日本人は反対しない。なぜなら、沖縄人は日本人でないのだから」 

これはいくらなんでも酷過ぎます。まさかこの電文が日本人に公開されるとは、思ってもいなかったに違いありません。

沖縄は1972年(昭和47年)5月15日まで占領されることになります。

この言葉といい、本土へ疎開、出稼ぎ行った人たちを引き上げさせたことといい、強引に自分の手腕を評価させようとしたのには、マッカーサーが「大統領になりたい」という野望を持っていたからに違いありません。

マッカーサーは1948年の大統領予備選挙で、共和党候補として登録されましたが破れています。(Wikipedia「ダグラス・マッカーサー:大統領選」)

沖縄はその影響をもろにかぶってしまいました。

この番組の意味

米軍普天間飛行場を辺野古へ移設する問題を巡り、県民投票が行われ、「埋め立て反対」が72.2%となりました。

では、どうすればよいのか。

具体的解決の道は見つかっていませんが、沖縄に基地が多すぎるのは事実。その偏りを少なくするためにも、 “基地の島”になった経緯は知っておくべきです。